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植田和男氏の所信表明

~自分は物価安定の総仕上げをしたい~

熊野 英生

要旨

2月24日に衆議院では、日銀総裁候補として植田和男氏が所信表明を行った。そこでは、「物価安定の総仕上げをしたい」と述べている。これは間接的に、いずれ出口戦略に挑戦することを伝えたものだと筆者は理解する。

安全運転に徹する

植田和男氏が日銀総裁候補として、2月24日の衆議院で所信表明を行い、参考人として質問を受けた。まず、これを視聴した特徴点としては、わかりやすさが印象づけられた。同時に、今までの日銀関係者にはない語彙で説明した点が新鮮だった。反面、金融政策に関する見解は、黒田緩和の流れを承継し、金融緩和を継続するというものだった。この辺りは、極めて安全運転に終始していたと感じられた。

次に、出口に関しては、国債売却をすることはないと明言している。出口では、むしろ当座預金の適用金利を引き上げていくと説明した。これも、出口の波乱を極力抑えていくという考え方に基づくものだ。

質問者からはYCC(イールドカーブ・コントロール)の見直しについての質問が相次いだ。しかし、それに対する具体的なことはほぼ発言しなかった。それも非常に無難な対応だと感じさせた。

今後の政策運営への示唆

所信表明の言葉を使うと、「2%の物価上昇を目指すという路線を承継し、物価安定の総仕上げをしたい」と述べている。筆者は、これはいずれ「安定的に2%」を達成し、出口を果たすことを暗に述べたものだと理解する。現在の物価が4%(2023年1月はコア指数前年比4.2%)を超えていることに対しては、輸入物価のコストプッシュ圧力によるもので、2023年半ばには2%以下に低下していくとした。今後の政策運営は、政策効果のタイムラグが2年程度はあるので、基調的なインフレを見ていく旨を強調している。この基調的なインフレとは、経済指標としてのCPIだけではなく、物価というものを裁量的に判断・評価した見方になる。先行き2~3年間のインフレ圧力のようなものだろう。

こうした考え方は、植田氏が就任当初の黒田総裁のようなマネタリストではないことを象徴する発言だ。植田氏は、「インフレ率は財の需給で決まるものだ」とし、通貨(貨幣)は「物価決定の一因だ」と位置づけた。物価変動は、マクロの需給ギャップやインフレ予想に依存するとした。また、物価安定に関しては、賃金上昇を伴うことの重要性を述べている。これは、目下の春闘が成果を上げて、需要面での物価押し上げが強まれば、そこで物価安定の条件が揃ってくるだろうということを示唆している。

筆者の解釈では、展望レポートでの物価見通しが2023~2024年度について上向いて、さらに毎月勤労統計のような賃金指標が4月、7月と強まってくると、現在のYCC(イールドカーブ・コントロール)の見直しに着手していくというイメージなのであろう。

脱マネタリスト

植田和男氏の発言から色濃く感じられるのは、マネタリーな緩和よりも、リアルの経済変動を重視する人物だという特徴だ。いわゆる学者的な教条主義ところが全く感じられなかった。

例えば、マネタリーベースを増やすことに関しても、日銀が無リスク資産を買うことは、単に安全資産を交換するだけであまり意味がないとしている。その代わりに、「マネタリーベースから遠いものを買うことは、リスクプレミアムを下げる」と語った質的緩和に対する評価である。社債やETF購入の意味を語ったものである。筆者にとって、「マネタリーベースから遠いもの」という語彙は、なるほどと思わせるものだった。同時に、安全資産を日銀が買っても、それは資産の交換に過ぎないというのはマネタリストの理解を否定するものだ。

そう考えると、植田和男氏が総裁になれば、より実体面を表す経済指標に重きを置いて、緩和修正を試みるのだろう。新体制が注目するのは、まずは春闘などを受けた賃金統計、次に需給ギャップを変化させるGDP統計、そしてインフレ率と表裏一体を成している個人消費動向を重視していくのだろう。

独特の政策観

「物価安定の総仕上げをしたい」という植田氏の言葉が、今後の出口戦略の決意だと筆者は感じた。では、肝心の出口戦略とはどんなものになるか。その辺りは、具体的なことはほぼ言及がなかった。YCCの見直しについては活発な質問があったが、YCCの見直しは出口とイコールではない。植田氏にすれば、出口のまだ具体的なことを議論する段階ではないということだろう。

筆者が注目した発言は、「インフレ目標が高い方が金利も高くなる。金利が高くなると、のりしろができて、緩和するときの効果も大きくなる」というものだ。この発言の真意を読むのは難しい。

植田氏は、ゼロ金利政策から当初の量的緩和まで政策余地が極端に小さくなる局面を経験している。率直な感情として、のりしろがなくなると、金融政策は緩和において機能不全に陥るという気持ちがあるのだろう。その思いがあって、金利正常化を果たせた暁には、金融緩和の余地が生まれるようにしたいという見解になったのだろう。

もしも、そうした考え方があるのならば、長期金利の上限をより引き上げて、金利変動の余地を広げていくのだと考えられる。これは、黒田時代には完全になかった考え方だ。

総裁としての役割

24日は午後の所信表明で、内田真一候補と氷見野良三候補が、副総裁として意見聴取されている。植田和男氏の説明に比べると、内田氏の発言は従来の黒田路線を色濃く踏襲している。「日銀の人らしいな」と強く感じさせた。植田氏とのコントラストを強く印象づけられた。

植田氏は、しばしば学者出身と言われるが、重要なのは組織のトップとして日銀プロパーではない人が総裁に就くことではあるまいか。プロパーではない人がトップになってこそ、今までの日銀の組織体質を変革できると期待できる。対外的な情報発信や、政策の透明性などは組織改革の延長線上にあると感じられる。

植田氏への期待には別のこともある。植田氏が日銀の審議委員を経験した1998年は、新日銀法が施行された時期であった。当時は、現在の日銀とは違って、新しい金融政策を推進しようという気概が組織全体に満ち溢れていた。植田氏はそのときの雰囲気を覚えている数少ない人物だ。初心に返って、日銀の政策の立て直しを進めていくには誰よりもふさわしいと考えられる。

熊野 英生


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