既視感満載の英EU貿易戦争の影

~北アイルランド政局を受け、議定書の一方的な見直しに動く~

田中 理

要旨
  • 英国は近くEU離脱後の北アイルランドの取り扱いを定めた議定書の修正案を議会に提出する。EU側は一方的な議定書の見直しに反発し、法的措置も辞さない構えを示唆している。英国に報復関税を課すことや、最悪の場合、離脱合意が破棄される恐れもある。英国側の強引な動きには、北アイルランド政局が関係している。最近の議会選挙で、南北アイルランドの再統一を支持するナショナリスト政党が史上初の第1党となったが、ユニオニスト政党が政権参加を拒否し、政権発足ができずにいる。北アイルランド政府は、紛争後の和平合意に基づき、ユニオニストとナショナリストが合同で政府を率いる取り決めとなっている。第1党の座を失ったユニオニスト政党は、北アイルランド議定書が見直されない限り、政権に参加しない意向を示唆している。英EU間の貿易戦争まで発展する可能性は今のところ低いが、政治情勢も絡んで早期の解決は難しい。

英国のトラス外相は17日、EU離脱後の北アイルランドの取り扱いを定めた北アイルランド議定書を一方的に見直す法案を近く議会に提出することを発表した。英国を構成する4つのカントリーの1つである北アイルランドは、過去に英国から独立したEU加盟国のアイルランドと陸続きで国境を接するが、北アイルランド紛争の和平合意では、この国境線に一切の物理的な国境を設置することが禁止されている。そのため、英国とEUが離脱時に交わした北アイルランド議定書では、離脱後の北アイルランドにEUの諸規則を適用し、北アイルランドとその他の英国(イングランド、スコットランド、ウェールズ)の間の物品移動時に一定の検査を行うことを定めた。だが、離脱後の北アイルランドでは、EU規則に従うための追加コストや検査負担の発生、英国本土との物流停滞や品不足、英国から事実上切り離されることに不満を持つ一部のユニオニスト(プロテスタント)住民の暴力事件などが発生し、英国側は議定書の抜本的な見直しをEU側に要請していた。EU側は運営上の見直しには応じるが、条約改正に相当する議定書の全面的な見直しには応じられないとして、両者の協議は膠着が続いている。EU側は昨年10月に、①英国本土から北アイルランドに出荷される食品の検査や事務手続きを削減・簡素化する、②英国本土から北アイルランドへの医薬品出荷が継続できるような取り決めを立法化するなどの、運営見直し案を提示したが、英国側はこれを拒否していた。

今年2月には議定書の見直しが進まないことに抗議して、当時の議会第一党のユニオニスト政党・民主統一党(DUP)出身のギヴァン第一首相が辞任し、ナショナリスト政党(カトリック)のシンフェイン党との合同政府が崩壊した。これを受けて5月5日に行われた北アイルランド議会選挙では、1998年の議会設置以来で初めて、アイルランド再統一を支持するシンフェイン党が議会の第1党となった。北アイルランド議会は、和平合意に基づき、ユニオニストとナショナリストが合同で政権を率いることが定められている。ユニオニストが第1党となった場合には、ユニオニストが北アイルランドの第一首相を、ナショナリストが第一副首相を任命し、ナショナリストが第1党となった場合には、ナショナリストが第一首相を、ユニオニストが第一副首相を任命する。双方の勢力が政権発足で合意できない場合、英国政府が直接統治を行うが、これはあくまで緊急避難的な措置と位置付けられている。

北アイルランドを英国から事実上切り離す離脱案を阻止できなかったとして、離脱後にユニオニスト系有権者の支持を失ったDUPは、今回の選挙で北アイルランド議定書の見直しを公約に掲げていた。議会第一党の座を失ったDUPは、議定書が修正されるまでは、シンフェイン党が率いる合同政府に参加しない意向を表明しており、政権発足の目途が立たない状況にある。アイルランドでも活動するシンフェイン党は、2020年のアイルランド議会選挙で第一党の座を逃したものの、得票率では最多の支持を獲得した。ユニオニスト住民の間では、北アイルランドのアイルランド接近や将来的な南北統一を不安視する声もある。英国政府が議定書の一方的な修正に踏み切る背景には、膠着するEUとの協議を打開する狙いとともに、こうした北アイルランドの政治情勢もある。

報道によれば、近く議会に提出される議定書の修正法案では、①英国本土と北アイルランドの物品取引時に、検査が必要な物品(レッドレーン)とそうでない物品(グリーンレーン)を区別する、②北アイルランド経由でアイルランドに迂回輸出されない物品については、不必要な行政手続きを無くす、③英国の規則に準拠した物品の北アイルランドで販売する際のEU規制を撤廃する、④北アイルランドの企業は、英国の規則に準拠するか、EUの規則に準拠するかを選択可能にするなどが盛り込まれる模様だ。

トラス外相はEUとの協議を通じて問題を解決したいとしながらも、今回の議定書の改正案が国際法に違反するものではないと説明している。EU側は英国側の動きが両者の関係を損なうとして懸念を表明しているほか、一方的な議定書の改正が条約破棄に当たるとして、法的措置も辞さない構えを示唆している。今後の展開次第では、EUが英国からの輸入に関税を賦課するなどの報復措置に出る可能性や、離脱協定そのものを破棄する恐れもある。英国はこれまでも離脱後の北アイルランドに適用されていた猶予措置を一方的に延長するなどを繰り返し、その度に英EU間の関税戦争への懸念が浮上した。議定書の改正案を議会で通すとなると、EU側の反応もより厳しいものとなる恐れがある。但し、議会や与党内には一方的な見直しに慎重意見もあり、議会審議がすんなり進むとは限らない。

なお、2025年以降に北アイルランド議定書が継続するためには、2024年末までに北アイルランド議会の多数決による同意が必要となる。ユニオニストとナショナリストの双方が同意する場合、その後の8年間、議定書の効力が継続する。どちから一方しか同意しない場合、4年毎に継続の是非を判断する。継続が否決された場合、2年間の現状維持期間中に英国とEUの間で新たな取り決めの合意を目指す。現在の北アイルランド議会の構成は、南北アイルランドの再統一を支持するナショナリストが36議席、英国との一体性確保を支持するユニオニストが35議席と割れ、残りの19議席が北アイルランドの政体について中立的な立場を採る。ユニオニストが議定書の継続を拒否するには、中立派やナショナリストの協力が必要となる。

以上

田中 理

田中 理

たなか おさむ

経済調査部 主席エコノミスト
担当: 欧州・米国経済

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