年明けのタイ経済は内・外需双方で底入れも、先行きは難問山積

~商品市況の上振れによるインフレ、金融市場ではバーツ安、中銀は政策対応を迫られる懸念も~

西濵 徹

要旨
  • 足下の世界経済は主要国を中心に回復が続く一方、ウクライナ問題を受けて幅広く商品市況は上振れするなどインフレ懸念が高まっている。米FRBなど主要国中銀はタカ派傾斜を強めるなか、国際金融市場で新興国を取り巻く状況は厳しさを増している。タイは経常黒字状態が続いたが、コロナ禍を経て赤字に転じており、年明け以降はインフレが顕在化している。足下ではバーツ安がインフレ昂進を招く懸念も高まっている。
  • 年明け以降はオミクロン株による感染再拡大の影響が懸念されたが、1-3月の実質GDP成長率は前期比年率+4.66%と2四半期連続のプラス成長となるなど景気は底入れしている。外需の底入れが進むなか、インフレ懸念にも拘らずペントアップ・ディマンドの発現が家計消費を押し上げており、低金利環境は企業の設備投資を下支えしている。年明け以降のタイは内・外需の好循環により景気の底入れが進んでいる様子が確認されるも、実質GDPの水準はコロナ禍前を依然下回るなど克服は道半ばの状況にあると捉えられる。
  • 先行きは中国の景気減速懸念が外需の足かせとなる可能性が高まっている上、商品市況の底入れに伴い交易条件指数は急激に低下している。中銀は緩和姿勢を維持しているが、先行きは景気の不透明感が高まるなかでも物価及び通貨安定を目的に金融引き締めを余儀なくされる可能性もある。タイ経済を取り巻く状況は内・外需双方で課題山積となる可能性が高まっていると判断出来る。

足下の世界経済を巡っては、欧米など主要国を中心に回復が続く一方、ウクライナ問題の激化を受けて欧米諸国などはロシアに対する経済制裁を強化したことで供給不安を理由に幅広く国際商品市況が上振れしており、全世界的にインフレ圧力が高まる動きがみられる。こうした事態を受けて、米FRB(連邦準備制度理事会)をはじめとする主要国中銀はタカ派傾斜を強めており、コロナ禍対応を目的とする全世界的な金融緩和を追い風に国際金融市場がカネ余りの様相を強めてきた状況は手仕舞いが進んでいる。国際金融市場においては、全世界的なカネ余りや主要国での金利低下も追い風に一部のマネーがより高い収益を求めて新興国に回帰する動きがみられたものの、こうした環境変化を受けて資金の動きは変化しており、なかでも経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)が脆弱な国においては資金流出に繋がりやすい。タイは1990年代末に発生したアジア通貨危機の『発火点』となるも、その後は構造転換も追い風にここ数年の経常収支は黒字で推移してきたほか、外貨準備高も積み上がるなど対外収支構造は堅牢さを増してきた。ただし、一昨年来のコロナ禍を受けた世界的な人の移動の萎縮により観光収入が激減しており、足下では世界経済の回復により財貿易収支の黒字幅が拡大しているにも拘らず経常収支は赤字で推移するなど、対外収支構造は脆弱になっている。さらに、上述のように全世界的にインフレ圧力が高まる動きがみられるなか、タイにおいても食料品やエネルギーなど生活必需品を中心とする物価上昇を追い風に年明け以降のインフレ率は中銀の定めるインフレ目標を上回る推移が続いている。なお、一昨年来のコロナ禍を巡っては、タイにおいても度々感染拡大が確認されるとともに行動制限を余儀なくされたものの、ワクチン接種の進展を受けて昨年後半以降は経済活動の正常化を図る『ウィズ・コロナ』戦略への転換に舵を切ったほか、観光振興を図るなどの取り組みを進めてきた。年明け以降もオミクロン株による感染再拡大に直面したものの、ワクチン接種が進んでいることを理由にウィズ・コロナ戦略により景気下支えに注力する姿勢を維持してきた。しかし、足下では当局の『ゼロ・コロナ』戦略への拘泥を受けて中国の景気減速が意識されていることを受けて、中国人観光客の回復期待が大きく後退しているほか、サプライチェーンの混乱を理由とする輸出の下振れも警戒されるなど、外需に対する不透明感が急速に高まっている。さらに、インフレの上振れにも拘らず、年明け以降の中銀はオミクロン株による実体経済への影響を限定的としたほか(注1)、ウクライナ情勢の悪化による影響も軽微と判断するなど(注2)、金融緩和を通じた景気下支えを図る姿勢を維持している。結果、上述のように米FRBなど主要国中銀がタカ派傾斜を強めるなかで政策の方向性に差が生じたことを受けて、足下の通貨バーツ相場は調整の動きを強めており、輸入物価を通じてさらなるインフレ昂進を招く懸念が高まっている。

図 1 経常収支の推移
図 1 経常収支の推移

図 2 バーツ相場(対ドル)の推移
図 2 バーツ相場(対ドル)の推移

こうしたなか、上述のように年明け以降の同国はオミクロン株による感染再拡大に直面したほか、感染動向も過去の波に比べて大幅に上回ったことで経済活動に悪影響が出ることが懸念されたものの、政府はウィズ・コロナ戦略を維持したほか、中銀も緩和政策を通じた景気下支えを図ったこともあり、1-3月の実質GDP成長率は前期比年率+4.66%と前期(同+7.44%)からペースこそ鈍化するも、2四半期連続のプラス成長となるなど景気は底入れしていることが確認された。中期的な基調を示す前年同期比ベースの成長率も+2.2%と前期(同+1.8%)から伸びが加速しており、タイ景気は着実に底入れの動きを強めている様子がうかがえる。欧米を中心とする世界経済の回復の動きを反映して財輸出は拡大が続いているほか、当局のウィズ・コロナ戦略の維持や外国人観光客の受け入れ活発化を反映してサービス輸出は3四半期ぶりの拡大に転じるなど、外需は底入れの動きを強めている。また、年明け以降はインフレが上振れするなど家計部門にとっては実質購買力の重石となることが懸念されたものの、外需の回復を追い風に雇用環境は改善しており、行動制限の緩和によるペントアップ・ディマンド(繰り越し需要)の発現も重なり家計消費は2四半期連続となる前期比年率ベースで二桁の拡大となっている。さらに、内・外需双方で底入れが進んでいる上、中銀による緩和姿勢の継続も追い風に企業部門による設備投資意欲も底入れの動きを強めるなど、年明け以降の同国は好循環による景気の底入れが進んでいると捉えられる。分野別の生産動向についても、鉱業部門の生産は引き続き弱含む動きをみせているものの、外需の底入れの動きを反映して製造業の生産は拡大を維持している上、家計消費の堅調さや外国人観光客数の底入れを受けて幅広くサービス業の生産も拡大の動きを強めるなど、景気の底入れを促している。そして、前期においては行動制限も重石になる形で生産が下振れした農林漁業関連の生産も外需の堅調さも重なり拡大に転じており、幅広い分野で景気の底入れが進んでいる様子がうかがえる。とはいえ、季節調整値ベースの実質GDPの水準はコロナ禍の影響が及ぶ直前の2019年末時点と比較して依然▲1.8%下回っており、タイ経済によるコロナ禍の克服は道半ばの状況は変わっていないと捉えられる。

図 3 実質 GDP 成長率(前期比年率)の推移
図 3 実質 GDP 成長率(前期比年率)の推移

図 4 民間消費動向の推移
図 4 民間消費動向の推移

図 5 民間投資動向の推移
図 5 民間投資動向の推移

また、先行きについては中国の景気減速懸念が強まっているほか、中国当局によるゼロ・コロナ戦略を受けて中国人観光客も下振れする動きが確認されるなど、外需を取り巻く状況に不透明感が高まっている。さらに、このところの幅広い国際商品市況の底入れの動きを反映して昨年末以降の交易条件指数は急激に低下するなど国民所得に下押し圧力が掛かっており、家計部門を取り巻く環境も急速に怪しさを増している。このように内・外需双方を巡る状況は大きく変化するなか、中国のゼロ・コロナ戦略によるサプライチェーンの混乱は同国においても製造業を中心に生産現場に様々な影響を与えることは避けられず、景気の下押し圧力となることが懸念される。また、インフレが顕在化するなか、上述のように足下においては国際金融市場を取り巻く環境の変化も重なり通貨バーツ相場は調整の動きを強めており、中銀は物価及び為替安定の観点から金融政策の引き締めシフトを余儀なくされる可能性も高まっている。政府は1-3月のGDP統計の公表に併せて、足下の物価上振れを反映して今年のインフレ見通しを+4.2~5.2%と従来見通し(+1.5~2.5%)から上方修正する一方、経済成長率見通しを+2.5~3.5%と従来見通し(+3.5~4.5%)から下方修正している。なお、今年の外国人観光客数については700万人と従来見通し(550万人)から引き上げるとともに、輸出の見通しも前年比+7.3%と従来見通し(+4.9%)から引き上げるなど外需の回復を前提にしている模様であるが、世界経済の雲行きが急速に怪しくなっていることを勘案すれば、些か楽観に偏っている感は否めない。タイはASEAN(東南アジア諸国連合)のなかでも経済の外需依存度が比較的高い上、エネルギー資源などを中心に海外からの輸入に対する依存度も高いなか、先行きについては課題山積の状況に直面しつつあると捉えられる。

図 6 交易条件指数の推移
図 6 交易条件指数の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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