フィリピン、ワクチン接種で周辺国に後れ、新型コロナの足跡は依然色濃い

~次期大統領選まで残り1年、南シナ海問題とワクチン確保で対中政策が右往左往する混乱にも懸念~

西濵 徹

要旨
  • 足下の世界経済は、主要国で新型コロナウイルスの影響を克服する動きが強まる一方、新興国で感染が再拡大するなど不透明感が残る。フィリピン経済は内需依存度が比較的高い一方、内需を支える移民送金や外需依存度の高さは世界経済の影響を受けやすい体質に繋がっている。昨夏以降は新規感染者数が鈍化してきたが、3月以降の再拡大に伴い行動制限が再強化されている上、周辺国と比較してワクチン接種が大きく遅れを取る状況が続いており、フィリピン経済を取り巻く状況は極めて厳しい状況に置かれている。
  • 年明け以降の世界経済の回復の動きや国内での感染鈍化は経済の追い風になると期待されたが、1-3月の実質GDP成長率+1.06%に鈍化するなど景気は踊り場を迎えている。ただし、財輸出の堅調さに加え、物価高にも拘らず家計消費は堅調に推移するなど内容は数値以上に良いと判断出来る。他方、実質GDPの水準は新型コロナ禍の直前を大きく下回るなど影響は色濃く残っているほか、3月末以降の行動制限の再強化に伴う下振れも懸念されるなど、景気の足取りは見通しが立ちにくい状況にあると判断出来る。
  • 足下のインフレ率は中銀のインフレ目標を上回るが、金融市場ではペソ相場は安定するなかで中銀は12日の定例会合で政策金利を据え置いており、当面は現行の緩和姿勢を維持すると見込まれる。他方、次期大統領選まで1年を切るなか、南シナ海問題への対応が争点となるなか、ドゥテルテ政権の対中姿勢はワクチン接種の遅れも影響して右往左往しており、わが国にとっても無視し得ない状況となることは不可避である。

足下の世界経済を巡っては、中国をはじめ、欧米など主要国での新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染拡大一服を受けた経済活動の正常化の進展が景気回復の追い風となる動きがみられる一方、新興国では感染力の強い変異株による感染再拡大の動きが顕在化しており、景気回復の動きに冷や水を浴びせる懸念が高まっている。他方、全世界的に新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)による悪影響の克服に向けて財政及び金融政策を総動員する対応が採られた結果、その後の国際金融市場は『カネ余り』の様相を一段と強めており、主要国を中心とする景気回復の動きも追い風に活況を呈する展開が続いている。フィリピン経済を巡っては、1億人を上回る人口を擁することでGDPに占める家計消費など内需の割合が高い構造を有する一方、GDPの1割程度を海外移民労働者からの送金が占める上にその3分の1を米国からの流入が占めるほか、GDPに占める輸出比率も比較的高い上にその約3割を中国向けが占めるなど、世界経済の動向に影響を受けやすい体質を有する。さらに、同国においても昨年夏場にかけて新規感染者数が急拡大したことを受けて、政府は都市封鎖(ロックダウン)の発動に踏み切るなど幅広い経済活動に悪影響が出る事態となり、昨年の経済成長率は▲9.5%と22年ぶりのマイナス成長に陥るとともにマイナス幅は過去最大となるなど深刻な景気減速に見舞われた 1。なお、強力な感染対策も奏功して昨夏をピークに新規感染者数は鈍化したため、政府は行動制限を緩和するとともに、外国人に対する入国制限も緩和するなど経済活動の正常化を図るとともに、政府及び中銀は財政及び金融政策を総動員して景気を下支えする姿勢を強めた。しかし、年明け直後にかけて鈍化傾向を強めた新規感染者数は、3月以降に感染力の強い変異株により再拡大する『第2波』が直撃する事態となり、政府は行動規制を再導入する事態に追い込まれるなど 2 、底入れが進んだ景気に冷や水を浴びせることが懸念された。なお、足下における新規感染者数は頭打ちしているものの、依然として水準は『第1波』のピークを上回る推移が続いている上、病床のひっ迫を受けて死亡者数は拡大傾向が続くなど依然として予断を許さない状況にあると判断出来る。他方、ワクチン接種については国際的な枠組(COVAXファシリティ)に加え、中国によるいわゆる『ワクチン外交』による寄付を通じて調達を活発化させているが、今月11日時点における接種回数は累計で254万回強、完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は0.47%、部分接種率(少なくとも1回は接種した人の割合)は1.85%に留まるなど世界平均(それぞれ4.19%、8.53%)を大きく下回り、ASEAN(東南アジア諸国連合)主要国と比較しても大きく後れを取っている。その意味では、フィリピン経済を取り巻く状況は極めて厳しい状況に置かれていると判断出来る。

図1
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なお、年明け直後にかけて新規感染者数は鈍化傾向を強めてきたことに加え、世界経済の回復が進んだことやそれに伴う移民送金の底入れの動きは景気の追い風となることが期待される一方、昨年半ば以降における国際原油価格の底入れなどを受けてインフレ率は中銀の定めるインフレ目標を上回る推移が続くなど、家計部門にとっては実質購買力の下押し圧力に繋がる動きが顕在化している。こうした状況を反映して、1-3月の実質GDP成長率は前期比年率+1.06%と3四半期連続のプラス成長となるも、前期(同+16.04%)からプラス幅は大きく鈍化するなど景気は早くも『踊り場』を迎えている。さらに、中期的な基調を示す前年同期比ベースの成長率は▲4.19%と前期(同▲8.26%)からマイナス幅は縮小するも5四半期連続のマイナス成長となっている上、季節調整値ベースの実質GDPの規模は新型コロナウイルスのパンデミックによる影響が及ぶ直前の一昨年末と比較して▲8.3%も下回る水準に留まり、依然として深刻な悪影響の真っ只中にあると判断出来る。中国や米国など主要国の景気回復を背景に財輸出は拡大傾向が続く一方、新興国を中心に変異株による感染再拡大の動きが広がりをみせていることを受けてサービス輸出に再びブレーキが掛かるなど、経済に占める観光関連産業の割合が比較的高い同国経済にとって外需を巡る状況は引き続き不透明な状況が続いている。一方、インフレ昂進による悪影響が懸念されるも、移民送金の底入れの動きや通貨ペソ安によりペソ建でみた移民送金額に押し上げ圧力が掛かっていることに加え、新規感染者数の鈍化による経済活動の正常化の動きも重なり家計消費は堅調な動きをみせているほか、政府による公共投資の拡充といった景気下支え策も奏功して政府消費や固定資本投資は押し上げられるなど、幅広く内需は底堅い動きをみせている。結果、輸入の拡大ペースは輸出を上回る水準となるなど純輸出の成長率寄与度に下押し圧力が掛かっており、内容は表面的な成長率の動きに比べて良好と評価することが出来る。ただし、上述のように3月以降の感染再拡大を受けて政府が行動制限の再強化に追い込まれたことを受けて、その後は再び人の移動に下押し圧力が掛かる動きがみられたことを勘案すれば、家計消費をはじめとする内需に下押し圧力が掛かったことは間違いないと捉えられる。足下では人の移動が再び底入れする動きをみせており、当面の最悪期は過ぎていると捉えられるものの、感染収束にほど遠い状況が続いている上、インドを中心とするアジア新興国では変異株による感染再拡大の動きが顕在化していることを勘案すれば、国境封鎖の完全解除には暫く時間を要することは避けられそうにない。さらに、上述のように同国は周辺国と比較してもワクチン接種が遅れており、同国経済が新型コロナ禍を完全に克服するのは相当先になると見込まれることから、アジア新興国のなかにはすでに克服する動きがみられる状況を勘案すれば投資先としての魅力も劣後すると予想されるなど、景気の足取りは見通しが立ちにくい状況が続くであろう。

図2
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図3
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足下のインフレ率は国際原油価格の底入れの動きなどが影響して中銀の定めるインフレ目標を上回る推移が続く一方、春先以降は感染再拡大による実体経済への悪影響を懸念して通貨ペソ相場に下押し圧力が掛かる動きがみられたものの、足下では国際金融市場における米ドル高圧力の後退も追い風にペソ相場は底堅く推移している。こうした状況を受けて、中銀は12日の定例会合で政策金利を4会合連続で過去最低水準である2.00%で据え置く決定を行うとともに、同行のジョクノ総裁は「インフレ見通しと景気の下振れリスクを勘案すれば、金融政策は現状維持が妥当」との考えを示すとともに、「内需を継続して支援することが金融政策にとっての優先事項になる」との姿勢を示すなど、当面は現行の緩和姿勢が維持される可能性が高いと見込まれる。他方、次期大統領選まであと1年を切るなど同国は『政治の季節』を迎えつつあり、現行憲法では現職のドゥテルテ氏は出馬出来ないなか、世論調査ではドゥテルテ氏の長女で現在は南部ダバオ市長を務めるサラ(・ドゥテルテ)氏が引き続き首位となるなど、サラ氏の待望論が根強い状況が続いている(サラ氏自身は現時点で態度を明らかにしていない)。ドゥテルテ政権の残りの任期も1年強となるなか、サラ氏の次期大統領選での当選によるいわゆる『ドゥテルテ王朝』の実現にはもたついた展開が続く実体経済の立て直しが急務になるが、上述のように見通しは立ちにくい状況にある。ドゥテルテ大統領はアキノ前政権下で対立が激化した中国との関係を巡り、その原因となっている南シナ海問題で融和姿勢を示してきたが、今月初めにはロクシン外相が中国に対して自身のSNSで罵詈雑言を発しているほか、ドゥテルテ大統領自身も次期大統領選を意識して強硬姿勢に転じる動きをみせるなど、同国の外交姿勢は右往左往している。同国の外交政策を巡る右往左往は東南アジアのみならず、東アジア情勢にも少なからず影響を与えるなどわが国にとっても無視し得ないものになることは避けられない。他方、上述したようにワクチン接種が周辺国と比べて遅れるなか、中国による『ワクチン外交』は政権の対中姿勢に微妙な影響を与えている可能性もあり、政権は完全に『板挟み状態』に置かれていると捉えられる。なお、次期大統領選を巡っては最大の争点が南シナ海問題への対応となるなか、サラ氏以外の有力候補者と目される面々のなかには対中強硬姿勢を示す動きもみられ、結果的に大統領選が近付くにつれて全体的に強硬姿勢に傾いていくことも予想され、ワクチン接種が一段と後ろ倒しとなることも考えられる。そうした意味でも、フィリピン経済が新型コロナ禍の影響から立ち直るには相当の時間を要することは避けられそうにないと判断出来よう。

図4
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以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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