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米中技術覇権争いとノーベル賞の未来予想図

~データで見る国際秩序(5) ~

石附 賢実

要旨
  • 国際秩序のパワー・バランスは「地政学」ならぬ「地経学」とも言われるように、軍事力とともに経済力の比重が大きくなっており、「経済安全保障」という言葉も定着しつつある。岸田新政権では新たに経済安全保障担当大臣を置くこととした。経済安全保障の力の源泉の一つとなっているのが、科学技術である。
  • 昨今、報道でも「論文数」で中国の躍進が目覚ましいとの論調を目にする。論文数、特に「引用数上位の論文数」は、国の科学研究力を定量化・比較する上で、ニーズとタイムリー性も併せて表現している有用な指標と言えよう。
  • 本稿ではノーベル賞のうち技術覇権に関連する自然科学3賞(医学・生理学賞、物理学賞、化学賞)に焦点を当てる。米国が国別ランキングで圧倒的1位となっているが、出生国と比べて研究機関所在国としての存在感が際立って高く、国外から優秀な研究者を引き寄せていることが分かる。
  • 「ノーベル賞受賞時研究機関所在国(2011-21)」と、「論文数ランキング(引用数上位10%、1997-99)」との相関係数は0.9918と極めて強い正の相関となっている。ノーベル賞は、先端研究発表の10-20年後に花開く「遅行指標」と言える可能性がある。
  • 直近の論文数を見れば、10-20年後のノーベル賞受賞国は米中が双璧となっている可能性もある。ただし、論文数で米国に追いついた中国も、米国のように世界中から研究者を引き寄せている状況とは言い難い。裏を返せば米国の強さはここにあり、多様性を受け入れるアカデミアの包摂性が、科学技術発展の原動力の一つとなっている。
目次

1.経済安全保障の力の源泉は科学技術

国際秩序のパワー・バランスは「地政学」ならぬ「地経学」とも言われるように、軍事力とともに経済力の比重が大きくなっており、「経済安全保障」という言葉も定着しつつある。日本政府は昨年、国家安全保障局(NSS)に経済班を設置して、経済安全保障に本格的に取り組み始めている。また、岸田新政権では新たに経済安全保障担当大臣を置くこととし、初代大臣に小林鷹之氏が任命された。

経済安全保障の力の源泉の一つとなっているのが、科学技術である。米中それぞれが先端技術や機微技術に関連して輸出規制等を強化しているのは周知の通りである。岸田新政権が担当大臣を設置したのも、2021年6月の「骨太の方針」で示された重要技術の保全・育成やサプライチェーンの強靭化等に政府として本気で取り組む意思の表れであろう。本稿では、科学技術の指標の例として論文数とノーベル賞の関係を概観する。

2.論文数の国別動向

昨今、報道でも「論文数」で中国の躍進が目覚ましいとの論調を目にする。論文数、特に「引用数上位の論文数」は、国の科学研究力を定量化・比較する上で、ニーズとタイムリー性も併せて表現している有用な指標と言えよう。文部科学省「科学技術指標2021」では、自然科学系の論文数について、(1)論文のカウント範囲(①総数、②引用数上位10%、③引用数上位1%)、(2)時期(①1997-99年、②2007-09年、③2017-19年)、(3)論文のカウント方法(①整数法<2つの国にまたがった協働研究であれば、それぞれ1カウント=二重計上>、②分数法<複数の国の研究機関に跨っていれば分割、例えば日本のA大学、日本のB大学、米国のC大学の共著の場合、日本2/3件、米国1/3件とカウント>)の計18通りで国別のランキングを作成している。ここでは、「科学技術指標2021」のサマリー部分にも紹介されている、つまり文部科学省も代表的な分類と認識している「引用数上位10%」「分数法」によるランキングを時期別に概観する。「引用数上位」の論文は有望な先端研究の論文を代表している可能性が相対的に高く、「分数法」は後述するノーベル賞の”Prize share”の概念とも親和性が高い。

資料1
資料1

日本は左側1997-99年の4位、中央2007-09年の5位、右側2017-19年の10位と順位を落としている一方で、中国は伸展が顕著で、13位、2位、1位とついに米国を逆転した。

3.ノーベル賞受賞の国別動向

本稿ではノーベル賞のうち技術覇権に関連する自然科学3賞(医学・生理学賞、物理学賞、化学賞)に焦点を当てる。今年も既に3賞の受賞者が発表され、日本では日本出身の真鍋叔郎氏の受賞に沸き立っているが、そもそもノーベル財団は個人の「国籍」という概念に関心がなく、公表されるのは「出生地」と「受賞時に所属していた研究機関」となっている。よって、公式発表から国別の動向を分析できるのは、この2つの視点からのみとなる。

ノーベル賞は分野毎に複数人が受賞することも珍しくない。公式発表を見ると、“Prize share”(賞の割合)の記載があり、同じ3人同時受賞でも、「1/2、1/4・1/4」や「1/3・1/3・1/3」などのパターンがある。資料2は物理学賞について、2011年以降の受賞者の出生国、受賞時在籍研究機関所在国別に、当該シェアに沿って集計したものである。例えば、2021年の真鍋叔郎氏はPrize shareが1/4で、出生国は日本、現在の在籍研究機関所在国は米国としてカウントしている。

資料 2
資料 2

資料2の物理学賞と同様の集計を医学・生理学賞、化学賞についても実施し、自然科学3賞を合計して国別の割合を算出したものが資料3である。米国が圧倒的1位となっているが、「出生国」と比べて「受賞時在籍機関所在国」としての存在感が際立って高く、国外から優秀な研究者を引き寄せていることが分かる。

資料 3
資料 3

4.ノーベル賞受賞国と国別論文数との相関関係

資料3、特に「受賞時在籍機関所在地」(①)を眺めていると、デジャヴな感覚に陥る。それは、米国の突き抜け感と上位6か国の顔ぶれ、10位以降に中国という構図が、細かい分析をするまでもなく、資料1の左側「論文数ランキング(引用数上位10%、1997-99)」(②)と極めて近しいからであろう。論文数ランキング(2007-09)は中国が2位、同(2017-19)は中国が1位となっており、これらはノーベル賞の受賞状況とは明らかに様相が異なる。資料4は①と②を散布図に示し、相関関係を見たもので、相関係数は0.9918(注1)と極めて強い正の相関を示している。米国が突き抜けていることで異常な数値をもたらしているが、米国を外れ値として除外しても、引き続き0.8400の強い相関を示している。実は、論文数ランキング(2007-09)を当てはめても相関係数は0.9694と高いものの、同様に米国が突き抜けている影響が大きく、こちらは米国を外れ値として除外すると相関係数は0.5013と一気に低下する。明らかに論文数ランキング(1997-99)の方が座りが良いのである。なお、「受賞時在籍機関所在国」を「出生国」と入れ替えると相関関係は弱くなる。

資料 4
資料 4

資料4は相関関係に過ぎず、因果関係が証明されているものではないものの、有望な先端研究論文が数多く引用され、社会実装される等によりさらに評価され、その後ノーベル賞受賞に結びつくストーリーに違和感はない。ノーベル賞は先端研究発表の10-20年後に花開く「遅行指標」と言える可能性がある。

5.ノーベル賞の未来予想図

資料1論文数ランキング(2017-19)では、中国24.8%、米国22.9%と米中が圧倒的1位・2位(3位は英国の5.4%)となっており、上記の「遅行指標仮説」に基づけば、10-20年後のノーベル賞受賞国は、米中が双璧となっている可能性もある。ただし、論文数で米国に追いついた中国も、米国のように世界中から研究者を引き寄せている状況とは言い難い。例えば、文部科学省「科学技術指標2021」の分析では、中国の論文は相対的に国際共著が少なく、国内論文が多いとされている。今後、今の米国のように、多くの外国人が中国の研究機関でノーベル賞級の研究成果を次々と産み出す時代が到来するのだろうか。裏を返せば、今の米国の強さはここにあり、多様性を受け入れるアカデミアの包摂性が、科学技術発展の原動力の一つとなっている。科学技術立国を目指す日本も今後どのように人材を引き寄せていくのか、米中の状況を他人事とせず、真剣に検討していく必要がある。

今後の懸念材料として、米中対立や経済安全保障の文脈で、先端技術の管理や人の往来に係る政府の関与、制約も大きくなっていくことが想定される。これは中国のみに影響するものではなく、米国が内向き志向になっていくとすれば、米国の研究分野や研究者の裾野が狭まることにも繋がりかねない。米国を始めとした海外に数多く存在する中国人研究者の多くが帰国することとなれば、それだけでも知のバランスに影響を与えることになる。不安定な国際情勢の下で、科学技術の盟主の行方は定まっていない。

以 上

【注釈】 注1) 相関係数とは2変数間の関係の強さを表現する指標で、1から-1の間の数値を取る。1に近いほど正の相関が強く、0.7を超えると相関が強いとされる。-1に近いほど負の相関が強く、ゼロは無相関となる。

【参考文献】

石附 賢実


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