時評『アフターコロナで改めて高まる人的資本経営の重要度』

嶌峰 義清

新型コロナウイルスが猛威を振るった2020年に経済産業省から発表された「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~人材版伊藤レポート(座長:伊藤邦雄一橋大学院経営管理研究科特任教授(当時))」は、多くの企業経営者に影響を与えた(その後同2.0、3.0と続けて発表されている)。22年11月に金融庁は「企業内容等の開示に関する内閣府令」を改正し、女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差-の3項目について、23年3月期決算の有価証券報告書での開示を求めるに至っている。

企業の価値評価については、欧米では無形資産(人的資本や知的財産資本の量や質、ビジネスモデル、将来の競争力に対する期待等)が時価総額に占める割合が年々高まっているのに対し、日本では低水準にととまっている(時価総額から純有形資産を除いたものを無形資産とした場合、米国のS&P500対象企業では無形資産の割合が90%に達しているのに対し、日本の日経225対象企業では32%にとどまっている:数字は2020年時点)。

無形資産に対する関心の高まりは、投資の世界で重要度が増したESG投資と同じ方向を向いている。単に環境や社会的責任を企業に求めているのではなく、そうした無形資産こそ企業の持続的な価値向上や発展に繋がる要素がある、とした考え方だ。リーマンショックを契機に、非連続的で予測が困難な時代においては、財務指標のみで企業価値を計るのはリスクが大きいとの考え方が主流になってきた。90年代から2010年代にかけて、財務指標の表面的な数字を刹那的に評価することに傾きすぎた、市場主義に対するアンチテーゼともいえる。

岸田首相が議長を務める「新しい資本主義実現会議」では、非財務情報可視化研究会が22年8月に「人的資本可視化指針」をまとめた。そこでは従業員の育成やエンゲージメント、ダイバーシティ、健康などについて詳細な項目を開示例として示している。今後、従業員にどれだけ投資をしているかが、企業成長を図る指針として開示することが求められることになろう。

“ヒトへの投資”というと、日本企業の十八番と感じる人も多いだろう。しかし、データを見る限りではそうとも言えない。人材版伊藤レポートによれば、GDP比で見た日本企業の人材投資(OJTを除く)は、欧米主要国に比べると圧倒的に低いことがわかる(たとえば2005年~2012年の間に、米国では2.1%だったのに対し、日本では0.1%にすぎない)。非連続で不透明な時代の中で、経営戦略には柔軟さが求められるが、人事戦略が経営戦略に紐付いていないことを人材マネジメントの課題として挙げている企業は33.7%にも上る。また、経営戦略実現のために必要な人材の採用・配置・育成状況について、できていない、あるいはどちらかというとできていないというネガティブな回答は全体の3分の2に及ぶ。

一方で、従業員の指標にも世界に劣後している指標は多い。社外学習や自己啓発を行っていないと回答した人の割合は、日本はアジア諸国の中で圧倒的に高い46.3%に及ぶ(2位はニュージーランドの22%)。エンゲージメントについては、日本は世界平均の半分以下のスコアにとどまっている。エンゲージメントスコアは、企業の営業利益率や労働生産性との相関が確認されており、その向上は必須課題だ。無論、これは従業員にその責が負わされるものとは言い難い。企業が従業員の自己啓発を促しているか、働くに値する企業と評価されているかどうかが問われている課題と言える。

新型コロナウイルス感染が収束に向かい、生活の自由度は回復したが、世界は元に戻ったわけではない。働き方の多様性が生まれ、デジタル技術やAIは一気に発展、浸透した。行動の自由度が増した分、今後変化はより早くなると考えられる。そうした中でも企業が持続的な価値向上を保ち、社会に受け入れられ、魅力的な投資対象であり続けられるには、人的資本経営を正しく理解し、取り入れていくことが重要だ。

嶌峰 義清


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