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2024.05.13
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賃金と物価の好循環の幻想
~実質賃金プラスのみで個人消費の活性化は困難~
永濱 利廣
- 要旨
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- 2024年の春闘賃上げ率が33年ぶりの水準となったことで、早ければ今夏にも実質賃金がプラスに転じることが期待されており、6月給与分から開始される定額減税とも相まって、個人消費の拡大を期待する向きもある。
- しかし、実質家計支出の実質雇用者報酬に対する弾力性は2015年ピークの5割強にまで低下しており、マクロで見た実質賃金となる実質雇用者報酬が増加に転じたとしても、物価→賃金→消費の好循環が起こりにくくなっている。
- 理由としては、先進国でも断トツの国民負担率の上昇で雇用者報酬が増えているほど可処分所得が増えていないことがある。また、無職世帯比率の増加も一因。むしろ世帯の3分の1以上を占める無職世帯にとってみれば、賃金と物価の好循環が進めば進むほど公的年金のマクロ経済スライド制により受給額が減ることになる。
- 一昨年の防衛増税報道から足元にかけて、様々な負担増の報道が相次いでいることも消費マインドを委縮させている。また、若い頃の不況経験がその後の価値観に影響を与えることが米国のデータから明らかにされており、仮にこれが日本にも当てはまるとすれば、少なくとも失われた30年の間に社会に出た50代前半までの世代の財布のひもはそう簡単には緩まないことになる。
- 世界でも異例の失われた30年により家計にデフレマインドが定着してしまっていることからすれば、実質賃金が安定的にプラスになった程度では、個人消費の回復もおぼつかない可能性が高い。家計のデフレマインドが完全に払しょくされていない個人消費を盛り上げるためには、支出をした家計が得をするような思い切った支援策を打ち出すことが必要になる。
低下する賃金に対する消費の弾力性
岸田政権は、政権発足当初から「賃金と物価の好循環」を目標として掲げてきた。そして、その実現に向けて積極的に施策を展開しているとされており、2024年の春闘賃上げ率は33年ぶりの水準となった。具体的には33年ぶりに5%を超え、30年ぶりの水準となった昨年を1.5%ポイント程度上回っている。これによって、早ければ今夏にも実質賃金がプラスに転じることが期待されており、6月給与分から開始される定額減税とも相まって、個人消費の拡大を期待する向きもある。
しかし、マクロで見た実質家計支出の、マクロで見た実質賃金となる実質雇用者報酬に対する弾力性を時系列で計測すると、2016年以降低下していることがわかる。

具体的には、1994年第一四半期から2023年第4四半期までの実質家計消費支出(除く帰属家賃)を被説明変数、同時期の実質雇用者報酬を説明変数とし、両者の自然対数を取った単回帰モデルを基に時間の変化に伴う回帰係数の変化を計測すると、2015年をピークに低下に転じており、直近ではピークの5割強にまで低下してしまっていることがわかる。
従って、マクロで見た実質賃金となる実質雇用者報酬が増加に転じたとしても、マクロで見た家計最終消費支出が増加しにくくなっている、すなわち物価→賃金→消費の好循環が起こりにくくなっていることがわかる。

背景にある国民負担率及び無職世帯比率上昇とデフレマインド
理由としてまず考えられるのは、雇用者報酬が増えているほど可処分所得が増えていないことがある。実際にグラフで雇用者報酬と可処分所得の比較をすると、特に弾力性が下がった2010年代後半以降に雇用者報酬が増えるほど可処分所得が増えておらず、社会保障負担や税負担が可処分所得を押し下げていることがわかる。こうした動きは、2010年代以降における日本の国民負担率の上昇幅がG7諸国でダントツに高まっていることからも裏付けられる。


また、無職世帯比率の増加も一因だろう。というのも、総務省の家計調査によれば、二人以上世帯に占める無職世帯の割合は30年前の10%代前半から直近では34%を超えていることがわかる。また、こうした無職世帯のうち大部分が公的年金受給者であるが、年金受給額はマクロ経済スライドにより、賃金と物価の好循環が進む中では自動的に実質の受給額が減る仕組みになっている。
こうしたことからすれば、むしろ世帯の3分の1以上を占める無職世帯にとってみれば、賃金と物価の好循環が進めば進むほど収支環境が悪化することになる。従って無職世帯にとっては、賃金と物価の好循環が消費の活性化につながるどころか、消費活動の抑制につながる可能性すらあろう。そうなると、ここ10年足らずで家計消費支出に対する雇用者報酬の弾力性が半分近くの水準まで低下していることも踏まえれば、賃金と物価の好循環で個人消費が活性化するとの過大な期待は禁物と言えよう。

もちろん、無職以外の世帯が実質賃金プラスに伴って支出が活性化すれば、幾分個人消費にプラスに作用する可能性もある。しかし、これまたタイミングの悪いことに、一昨年の防衛増税報道から足元にかけて様々な負担増の報道が相次いでおり、消費マインドを委縮させている。
また、経済学者のギヴリアーノとスピリンバーゴが2009年に公表した論文によれば、若い頃(具体的には18~25歳)の不況経験が価値観に影響を与えることを米国のデータから実証的に明らかにしており、その価値観はその後年齢を重ねてもほとんど変わらないとしている。このため、仮にこれが日本にも当てはまるとすれば、少なくとも失われた30年の間に社会に出た50代前半までの世代の財布のひもはそう簡単には緩まないことになる。
使った人が得する政策が必要
こうしたことからすれば、実質賃金がプラスになった程度では個人消費が盛り上がる可能性は低いと思われ、最早、消費をした人が得をするぐらい思い切った政策を打たない限り、日本の個人消費は盛り上がらないだろう。
そうした意味では、韓国の政策が参考になる。というのも、韓国のキャッシュレス普及率は95%を超えて世界トップクラスとなっているが、その理由として上げられる政策の一つが、キャッシュレス決済の所得控除である。具体的には、キャッシュレスの決済額が年収の1/4を超えた分に対して、その一定割合を上限付きで所得額から控除し、年末の源泉徴収時に還付するという制度を始めたことで、キャッシュレス決済の普及と消費の活性化が進んだ。
もちろん、この政策をそのまま日本に導入すべきとまでは思わない。しかし、これまで見てきた通り、失われた30年により家計にデフレマインドが定着してしまっていることからすれば、実質賃金が安定的にプラスになった程度では、個人消費の回復もおぼつかない可能性が高い。従って、家計のデフレマインドが完全に払しょくされていない状況が続く中では、支出をした家計が得をするような思い切った支援策を打ち出すことが必要になるといえよう。
<参考文献>
Paola Giuliano and Antonio Spilimbergo, “The long-lasting effects of the economic crisis”(VOX, September 25, 2009)
永濱 利廣
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

