ライフデザイン白書2024 ライフデザイン白書2024

誰もが地域で健やかに暮らし続けるために

~公益財団法人身体教育医学研究所(長野県東御市)~

稲垣 円

目次

1.老後の生活の質を左右する「地域社会への参加」

地域社会への参加は、老後の生活の質を左右する重要な構成要素の1つである。 退職により職場での人間関係がなくなり、また子どもが巣立つなど家族形態が変化すると、多くの場合は人との関係や社会での役割は縮小する。それを補完するのが、地域社会から得られる関係である。現在は、インターネットを通じて地理的、時間的制約を超えて、趣味嗜好が合う人とコミュニティを形成することも容易である。高齢であっても意欲的にツールを使いこなし、つながりを広げる人もいる。

しかし、高齢になれば誰しも身体は衰え、慢性的な疾患を複数抱えることも珍しくはない。居住地域以外での交流が盛んで孤独を感じていないとしても、地域によっては(または季節によって)移動手段の確保が困難な状況が続けば、必要な支援を受けられず孤立し、健康状態が悪化するケースもある。ゆえに、物理的な距離が近い居住地域で主体的に地域社会へ参加し、人との関わりをもち続けることは、高齢になった自身のセーフティ・ネットを充実させる、という側面からも大きな意味をもつ。

とはいうものの、実際に地域で住民同士の交流や結びつきがどの程度できているか、また孤立している人はないかを直ちに判断することは難しい。行政が個々人の暮らしの実態まで追い、詳細を把握することはできない。では、どのよう方法があるのだろうか。本稿では、その事例の1つとして長野県東御市にある「身体教育医学研究所」の取り組みを紹介する(注1)。

2.地域に密着した研究機関「身体教育医学研究所」

東御市は、長野県の東部(東信地方)に位置し、市内には湯ノ丸山や烏帽子岳などの山々が連なる、自然豊かな地域として知られている。このような豊かな自然環境の中に、研究機関「公益財団法人身体教育医学研究所」(通称「しんたい」)がある。

しんたいは、1980年代後半から高齢化社会の先駆的モデル施設として各地で開設された高齢者ケアモデル施設「ケアポート」(注2)の1つ「ケアポートみまき」内に1999年に設置された。大きな特徴は、研究を行うだけではなく、地元自治体の東御市の健康福祉部、企画振興部、教育委員会や長野県の関係機関など地域の主要機関と連携し、地域に密着して地域住民の健康づくりに取り組んでいる点である。その活動は、高齢者の転倒・介護予防の研究と地域住民への教育実践、誰もが関われる多様なスポーツ環境の充実、働き盛り世代の生活習慣病予防・メタボリックシンドローム対策、メンタルヘルス対策、そして子どもの健康・体力づくりや子育て支援など多岐にわたる。なぜここまで地域に密着した取り組みをするのだろうか。

そもそも、地域住民の健康増進は自治体の役割だと認識されやすい。しかし、現在の自治体の福祉サービスだけでは、多様で複雑化する地域のニーズすべてに対応することは難しい。きめ細やかな対応が必要であっても、目の前の業務に忙殺され、多くの自治体で「仕組みがない」、意欲はあっても職員の「余力がない」のが現状だ。

しんたいは、保健・医療・福祉・介護・教育・スポーツを専門とする人材を備えており、地域住民の健康状態を把握し、専門家の見地から地域の実情に沿った身体活動や運動を継続的に提案・実施することができる。加えて、所属する専門家自身も東御市の住民であることから、地域住民との信頼関係をつくりやすい、日頃の関わりの中でより専門的な対処が必要だと判断すれば、医療機関につなげることもできる。まさに健康づくりの砦(ゲートキーパー)的存在でもあるのだ。

図表 1 長野県東御市
図表 1 長野県東御市

写真 1 地域で開催される運動教室の様子
写真 1 地域で開催される運動教室の様子

3.「コミュニティ」の力を高める

一方で、地域の健康を支えていくには、行政、専門家だけが連携するのでなく、地域住民すなわちコミュニティ全体の力を高めていくことも必要だ。

言うまでもなく、高齢化が進む日本では、65歳以上人口は、「団塊の世代」が65歳以上となった平成27年(2015年)に3,379万人となり、「団塊の世代」が75歳以上となる令和7年(2025年)には3,653万人に達すると見込まれている。令和25年(2043年)に3,953万人でピークを迎え、その後は減少に転じると推測されている(注3)。 政府は、2025年を目途に高齢者の尊厳の保持と自律生活の支援を目的として、可能な限り住み慣れた地域で、人生の最期まで自分らしく暮らし続けることができるような地域の包括的な支援・サービスの提供体制「地域包括ケアシステム」の構築を推進している。

都市部では互助を期待することは難しいが、代わりとなる民間サービス市場が大きいため「自助」によるサービス購入が可能である。一方で、都市部以外の地域では、「互助」の役割が大きくなる。先に述べたように、自治体の福祉サービスだけでは、多様で複雑化する地域のニーズすべてに対応することも難しい。常に支援を必要としていなくても、地域住民を含めた地域のさまざまな主体の参加と協働の体制(コミュニティの強化)を整えていくことは、住み慣れた地域で暮らし続けていくためにも必要であり、そうした時に地域に密着した活動を行うしんたいの存在意義が見えてくる。

4.地域住民の「地域のために何かしたい」に応える

東御市では地域の住民同士が支え合う体制をつくるため「介護予防住民指導者養成講座」を2022年から始めた。東御市は、平成の大合併によって広域化(東部町と北御牧村が合併)したこともあり、地区によっては地域に所属している意識が低いという課題をもっていた。養成講座の受講者は住民同士をつなぐ担い手として、多少おせっかいでも地域住民に積極的に働きかけていくことで、地域内の関係性が作られていくことを目指している。本事業は、約半年間でフレイル(健康な状態と日常生活でサポートが必要な介護状態の中間)予防に関する講習、そして介護予防と仲間づくりの方法について学ぶ。自治体が発行する広報を通じて参加者を募集したところ、市内から50名を超える応募があったという。講座には、普段からボランティアで地域住民に体操を教えている人、近所で認知症になる人が増えたことに気づき、何かできないかと参加した人、古民家を改修して地域住民が集まり運動やレクリエーションができる場にしたいという人など、身近な環境で地域住民のために何かしたい、と考えている市民が集まった。

しんたいは、こうした地域住民の健康づくりを推進する企画や事業実施に対しても中心的な役割を担う。東御市の現状やフレイル予防に関する知識、仲間づくりにつながるような身体活動やレクリエーションの方法など住民が主体となって実施できる方法を伝えながら、フレイル予防には住民の力がいかに必要であるかと伝えている。5回の講座が修了した現在は、参加者によって指導者が組織化され、各地で活動を進める準備を進めている。

写真 2 介護予防住民指導者養成講座の様子
写真 2 介護予防住民指導者養成講座の様子

5.健康づくりDXの推進に向けて

そして、しんたいは、新型コロナウイルス感染拡大を機に新しい挑戦もはじめた。

新型コロナウイルス感染拡大期は、外出自粛の要請が一定期間、数度行われたことで、地域高齢者の生活にも影響が及んだ。不可抗力な事態とはいえ、身体を動かさないこと、他者とコミュニケーションしない期間が長くなれば、分かりやすく目に見えなくとも身体機能は低下していく。そこでしんたいは、物理的に集まることが難しい、または予定していた人数が集まらないことで、「人と人が集う交流の機会(集い)」が失われることがないよう、コミュニケーション・アプリ「つどエール」を2021年に民間組織と共に開発した。

コロナ禍に限らず、特に中山間地などの場合、定期的に健康教室を開催していても、気候や季節によって外へ出かけること自体が困難な場合もある。このような現地の集いに参加することが難しい場合でも、「つどエール」を通じて、現地から配信される映像を見ながら、自宅などの遠隔地から集いに参加し、活動を継続することができる。指導者にとっても参加者のとのかかわりを継続することで身体の状態を確認することもできるようになる。

他方で、デジタルツールを使いこなす高齢者もいれば、よくわからない物、使いこなせない物は遠ざけてしまう人もいる。行政としても業務プロセスの変更やツールの導入にすぐさま対応できるかというと、それも難しいだろう。

「つどエール」開発にあたっては、さまざまな利用場面を想定し、簡易なデザイン、操作のしやすさを工夫し、高齢者にとって親しみやすく扱いやすいアプリになるよう志向されている。今後は、活動データを活用できるしくみを整え、健康教室や地域活動だけでなく、会議や子ども・学生を対象とした教室などに活用できるよう、利用者をサポートし、多様な活用可能性を柔軟に模索しながら普及を図っていくという。

写真 3 つどエール画面、地域住民が自身のスマートフォンにアプリを 設定する様子
写真 3 つどエール画面、地域住民が自身のスマートフォンにアプリを 設定する様子

6.地域の主体がつながり、力を発揮できるように

心身が健康であることは、自分自身の意思で身体を動かし、自立した暮らしを営むうえで欠かせない。年齢なりの健やかな状態を保つことができれば、日常生活のみならず地域活動、生涯学習、趣味、買い物、旅行など、行動・移動することができる。 

地域という視点からみても、健やかな住民が増えることで、町の中における人びとの往来も増え、活発なまちになるであろうことは想像に難くない。重要なのは、高齢化が進む地域において、一人だけで身体の健康状態の向上を目指すのではなく、「仲間と一緒に」行うことだ。たとえ軽い運動であっても、互いに誘い合い、おしゃべりしながら、楽しんで行うことは、健やかな心身を維持することにつながる。そうして影響をし合うことで、健康づくりの習慣化が進む。

リアルでもオンラインでも、人びとにとって地域社会の中で自分の存在を感じられる場所があり、交流を通じて心身の健康を維持するサイクルを回し続けること。そして、地域の主体それぞれの力を発揮することができる環境をつくるために、専門家としての知見を持ち、かつ住民視点で地域に根付き活動するしんたいの存在は、今後ますます地域にとって重要になっていくだろう。

【注釈】

  1. 本稿は、2023年10月に刊行予定の「ライフデザイン白書2024」掲載予定の内容をもとに、本稿用に書き下ろしたものである。
  2. 高齢者の自立と地域とのつながりを支援する施設。住み慣れた土地で、安心して、生きがいと尊厳を持って暮らすまちづくりを目指して、在宅生活の継続支援、世代交流、地域住民のコミュニケーションの場として、地域の医療・保健・福祉のニーズを満たすさまざまな機能を合わせ持つ多機能施設として作られた。
  3. 内閣府「令和5年版高齢社会白書(全体版)、第1節高齢化の現状 」より

【参考文献】

  • 岡田真平、武藤芳照、飯島裕一「信州東御・ケアポートみまき 地域ぐるみのケアと予防の歩み」厚生科学研究所、2009年
  • 一般社団法人 信州とうみ観光協会( https://tomikan.jp/about/)
  • 公益財団法人身体教育医学研究所ホームページ(https://pedam.org/)
  • 厚生労働省「地域包括ケアシステム」
  • つどエール(https://www.tsudo-yell.net/)
  • 東御市公式ホームページ(https://www.city.tomi.nagano.jp/)
  • 内閣府「令和5年版高齢社会白書」(https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/index-w.html)

稲垣 円


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。