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Well-being『脊柱管狭窄症手術体験記』

杉崎 勝男

令和6年4月2日、脊柱管狭窄症の手術を受けた。まさに手術当日の朝、病院で聞くラジオから脊柱管狭窄症の患者数が推定で580万人以上と流れていた。この病気は50歳を超えると患者数が増加する。50歳以上になるとおよそ1割が罹患する可能性があるという。1割の確率であれば、当レポート読者の方にも脊柱管狭窄症で悩んでいる方が多いのではないか、もしかしたら手術を控え心配している方もいるかもしれない。私の体験で参考になることがあればと思い体験談を記してみることにした。もちろん症状は人によって異なるので治療の方向性を示すものではなく、あくまでも私の体験談である。

実は脊柱管狭窄症になったのは今回で2度目だ。1度目は46歳の時。右足首を捻挫し1か月半程で治癒、スポーツ復帰したが左臀部が痛く走りづらいと感じたのが始まりだった。捻挫した右足をかばい身体が相当に歪んでしまっていたのだ。やがて経験したことのない坐骨神経痛が左足全体を襲い、遂には直立していることもできなくなった。当時は、腰の手術は失敗の可能性があるから避けるべきだと言う人が多く、あれこれ試した挙句に万策尽き果てて総合病院の整形外科を訪れたのは2年経過した後だった。

総合病院では2週間の点滴治療を行って改善しない場合は手術に踏み切るとの方針が示され、朝1回夕方1回の点滴だけという優雅な入院生活を送った。しかし効果は絶大で、退院時にはまったく痛みが無く元の生活を取り戻すことができた。もっと早く受診すればと、この2年は何だったのかとつくづくと思わされた1度目の入院であった。             

現在の私は64歳。この数年、身長が縮むことに不安を感じていた。椎間板がなくなり背骨と背骨が触れ始めていたのだ。そして2度目の脊柱管狭窄症は、今度は右足臀部の痛みから始まった。整形外科でのブロック注射で坐骨神経痛を抑えていたが、ついには両足が正座後のような痺れで歩行中に動けなくなることが多くなった。1度目の教訓から早期に脊椎専門医の診療に変更したかったのだが、整形外科で紹介状を書いて貰えないという壁にぶつかった。開業医が自分で治すからというのだ。一方で総合病院では紹介状は必須であり選定療養費を支払うという私に予約センターは頑として折れることはなかった。困り果て、止む無く掛かり付け内科医に相談すると意外にもあっさりと紹介状を入手でき2度目の入院となった。

そもそも脊柱管狭窄症とは加齢により背骨の中の神経の通り道が細くなり、神経が圧迫されて坐骨神経痛などを引き起こす病気だ。注射や点滴など保存療法に効果が無ければ手術の選択となる。今回2週間の点滴入院は残念ながら効果が無く、退院日に手術を覚悟することになった。基本的な手術は神経の通り道を広げることだが、背骨が不安定の場合は再発防止のために固定が必要となる。背骨と背骨をボルトで固定してあたかも一つの背骨にしてしまうのだが、もちろん私は後者である。

3度目の入院。術式は低侵襲腰椎固定術、MIS TLIFと表記されていることが多い。従来の手術のように切り口を広げず最小範囲の切開にすることで、術後の痛みを抑え早期の社会復帰を可能にする方法だ。手術は全身麻酔下で行われ、目覚めた時には全て終了していたが、所要時間5時間半、背骨に打ち込んだボルトは左右3本ずつ合計6本という大手術となった。それでも麻酔切れの激痛を乗り越えた術後3日目にはドリップコーヒーを自分で淹れて味わう余裕ができ、術後14日目の今、入院前の症状は嘘のように全て消えている。

手術が決まってからは不安で迷う日が続いたが、今は手術をして本当に良かったと思っている。病院内のリハビリは今日で終了、明日退院してからの散歩が楽しみでならない。

杉崎 勝男


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