時評『インフレ予測、3つのシナリオ』

山澤 成康

世界的にインフレ率が高まっており、先行きについては流動的だ。日本のインフレ率の見通しも、この1年で様変わりした。2022年4月時点で2022年度の消費者物価指数上昇率(総合)の見通しは、1.64%だったが、2023年4月時点では3.01%となった(ESPフォーキャスト)。インフレはいずれ沈静化するとの見方が強かったが上昇が続いている。

インフレの見通しについてデータに基づいて、3つのシナリオを描いてみた。

一つ目のシナリオは、デフレ経済への逆戻りである。新型コロナウイルス感染拡大前後で、日本経済は何も変わらなかったという立場だ。雇用調整助成金のおかげで、失業率は高まらなかったが、企業の新陳代謝は進まなかった。GAFAMに対抗できる企業が出現する可能性も少ない。生産性の上昇に目に見えた成果はなく、コロナ・ショックを通り越せば元の状態に戻る可能性はある。

景気の回復力が弱ければ、物価への上昇圧力も弱く、インフレ率は傾向的に下がっていく。賃金も上がらず、需要は拡大しない。高齢化の進展も下押し圧力になる。

二つ目のシナリオは、物価高騰シナリオである。原油価格は伸び率ベースでは落ち着いていく。しかし、物価と賃金のスパイラル的な上昇が出現する可能性はある。緩和気味の金融環境がこれを後押しする。これまで物価が上がっても賃金が上がらなかった理由として、労働供給量の増加があった。女性や高齢者の就業率の高まりである。この傾向は現在も続いており、女性の30歳台の労働力率や、60歳台以上の労働力率は上昇している。総務省の労働力調査によれば、2023年1-3月期の女性の就業率は、30‐34歳で79.2%、35‐40歳で77.7%である。同期の高齢者(男女計)の就業率は、60-64歳で73.9%、65-70歳で51.6%、70-74歳で33.8%と、それぞれ前年同期より上昇している。就業率は天井を打っていないが、早晩これらが頭打ちになる可能性は高い。労働需給がひっ迫すると、企業は賃金を上げざるを得なくなり、物価と賃金のスパイラル的な上昇が現れる可能性がある。

三つ目は最も望ましいシナリオである。2023年3月のエネルギーと食品(酒類を除く)を除く総合指数(コアコアCPI)は、2.3%で2ヵ月連続で2%を超えた。消費税要因などを除いたコアコアCPIが2%を超えたのは画期的なことであり、財やサービスの価格が広い範囲で上昇していることを示している。

これまで多くの国民は「物価は上がらないもの」と考えていたが、現在の物価上昇率によりその考えを変えつつある。内閣府の消費動向調査をみると、インフレ期待は明らかに上昇している。アンケート結果を基に計算すると4%程度のインフレ率に相当する。物価が上がると実質所得が減るため、需要の減少要因にはなる。しかし、これまでの日本経済を見ると、適度なインフレ期待があった方が経済は回っていくことがわかる。

デフレ経済下では値上げによる顧客離れを懸念して、コストを価格転嫁できない企業が多かった。インフレ期待が安定的に続くと、消費者が適度なインフレに慣れることで、コストに見合った値上げに踏み切る企業が増えていくだろう。

賃金上昇も重要だ。厚生労働省の毎月勤労統計によれば、現金給与総額のうち、2022年のきまって支給する給与は前年比1.4%上昇にとどまったが、2%程度まで上昇することが望ましい。春闘の賃上げ率は、ベースアップに加えて定期昇給分が含まれているため、春闘ベースでは4%程度の賃上げが実現できた場合である。現在の物価上昇率は、総合指数でみると4%程度なので実質賃金ではマイナスとなるかもしれない。しかし、4%のインフレが今後も続く可能性は低く、2%程度の賃金上昇が続くことが望ましい。賃金が適度に上昇することで、需要が拡大していく要因になる。

これまで第一シナリオの可能性が高かったが、第三シナリオの可能性が高まってきた。可能性は低そうだが、第二シナリオのインフレスパイラルへの注意も必要だ。

山澤 成康


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