ブラジル・ルラ大統領が「御執心」の共通通貨構想に水を差す中銀総裁

~現実を勘案すれば当たり前だが、「思い付き」が世界を左右する可能性、政治を巡る動きに要注意~

西濵 徹

要旨
  • ブラジルでは今年1月、左派のルラ政権が誕生して中南米で広がる「ピンクの潮流」のうねりが同国に舞い戻った。ルラ氏は予ねてより反米色が強く、外交政策面ではグローバルサウスと呼ばれる新興国・資源国との関係深化を図るとともに、米国の影響力低下を目指す姿勢をみせる。同政権は隣国アルゼンチンとの共通通貨創設に向けた協議を開始するほか、メルコスールで単一通貨採用を提唱している。また、ルラ氏はBRICSの活性化に向け新開発銀行総裁に自身の腹心であるルセフ元大統領をねじ込むとともに、貿易決済に用いる共通通貨の採用を求めるなど、新興国における米ドル、ひいては米国の影響力低下を目指す姿勢をみせる。ただし、中銀のカンポス・ネト総裁はこうした共通通貨構想に真っ向から反対する姿勢をみせており、現実を勘案すればそのハードルが高いことは間違いない。他方、新興国においては大統領の「思い付き」が政策を左右することはよくあるが、そうした国々が世界で存在感を高めていることは翻って世界がそうした動きの影響を受けることを意味しており、新興国の政治動向を具にみていく必要性は高い。

ブラジルでは今年1月、左派のルラ大統領が12年ぶりとなる返り咲きを果たすとともに、約6年半ぶりに同国に左派政権が誕生しており、ここ数年中南米諸国において広がりをみせる『ピンクの潮流』のうねりが域内大国である同国に舞い戻ってきたと捉えられる。過去に中南米においてピンクの潮流の動きが広がった背景には、同地域で『反米』色が強まったことと軌を一にする傾向があったとみられるものの、足下においてはそうした色合いはかつてと比べて薄らいでいるとの見方がある。他方、ルラ大統領については予てより反米姿勢を強調してきたこともあり、親米姿勢を鮮明にしてきたボルソナロ前政権から大規模な政策転換が図られるとみられた。事実、ルラ政権は外交政策を巡って各国との関係の相対化を目指す一方、同国が加盟するBRICSの強化を通じてアフリカ諸国をはじめとする新興国との関係深化を図るなど、いわゆる『グローバルサウス』と呼ばれる新興国・途上国への影響力拡大を目論む姿勢をみせている。さらに、そうした取り組みの一環として、貿易決済や国際金融市場において存在感の高い米ドルへの依存体質からの脱却を目指す考えを示してきた。その一端は、就任早々の今年1月に同国と同様に左派政権の隣国アルゼンチンとの間で『共通通貨』の創設に向けて協議を開始することを発表したことに現れている(注1)。両国は元々地理的な関係に加え、メルコスール(南米南部共同市場)を通じて経済関係の深化を図ってきたものの、近年は両国間の貿易は萎縮しており、その背景にアルゼンチンが外貨不足に直面するなかで同国通貨ペソ相場は下落に歯止めが掛からず、結果的にメルコスールが掲げたヒト、モノ、カネの移動促進といった目標にほど遠い状況にある。共通通貨の創設によりそうした事態の打開を図るとともに、中南米における経済規模が1位と2位の両国の結び付きが強まることは、地域全体として実質的に米国の影響力低下に繋がることが期待される。さらに、ルラ大統領は先月末に自身が旗振り役となる形で南米首脳会議を開催し、メルコスールで単一通貨を採用すべきと提唱するとともに、その実現に向けてアンデス開発公社(CAF)をはじめとする地域開発機関の積極的な関与を求めるなど前のめりの姿勢をみせている(注2)。また、BRICSの強化に向けては今年3月、BRICS5ヶ国の共同出資により設立された新開発銀行(BRICS銀行)の総裁にルラ氏の腹心であるルセフ元大統領を就任させるとともに、その融資被支援国通貨建で実施する方針を呼び掛けるなど米ドルやユーロなど主要通貨を介して取引される国際貿易の在り方にも少なからず影響を与える可能性もある(注3)。ルラ氏はBRICSに対して加盟国間の貿易決済に用いる共通通貨の採用を検討するよう求める考えをみせるなど、様々な取り組みを通じて自国や新興国・資源国における米ドル、ひいては米国の影響力低下を目指していると捉えられる。しかし、現実問題としては共通通貨創設のハードルは極めて高い上、新開発銀行を巡ってもALMの観点から極めて難しいオペレーションを迫られることは避けられない。さらに、共通通貨の設立については中銀の政策運営に大きな影響を与えるが、ブラジル中銀のカンポス・ネト総裁はルラ氏が提唱する共通通貨の創設に関連して、金融関連イベントにおいて「すでに存在しない問題の解決を目指すための非常に古い考え」、「デジタル化時代には必要のないもの」と述べるなど真っ向から反対する考えを示すとともに、アルゼンチンとの共通通貨構想についても「異なる金利とインフレ動向を混合させることになる」として改めて反対する考えを強調した。その上で、カンポス・ネト総裁はデジタル化の進展が効果的な代替手段になり得ると述べるとともに、デジタル担当相を新設して対応すれば充分とする考えを示した。このように大統領の『思い付き』を元に政府が具体的な政策運営に落とし込むよう試みるも、関連当局との調整がまったくなされていない状況が露呈することは新興国においては間々あることではあるが、こうした国々がグローバルサウスとして世界における存在感を高めていることは、そうした思い付きに世界が揺さぶられることを意味する。他方、同国においては政権交代が政策転換のきっかけとなっていることを勘案すれば、ルラ政権をはじめとする左派政権の間は同様の政策運営が継続する一方、中道派や右派に政権が変われば一変する可能性も充分に考えられるなど、政治の動きを具にみていく必要性が高まっていると判断出来る。他方、ルラ大統領と中銀のカンポス・ネト総裁とは金融政策を巡って対立するなど、中銀の独立性に対する懸念が表面化する動きがみられるが(注4)、共通通貨を巡る見解の相違も総裁人事の行方に影響を与える可能性もある。足下の通貨レアル相場は、中銀が高金利政策を維持する一方でインフレ鈍化に伴う実質金利の上昇も追い風に底堅い動きをみせているが、先行きについては政治を巡る動きが影響を与える可能性にも注意が必要と言える。

図表1
図表1

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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