ブラジルとアルゼンチンが「共通通貨」の創設に向けて協議開始

~「シン・ピンクの潮流」の背後で、中南米は米中対立の「新たな土俵」と化す可能性は高まっている~

西濵 徹

要旨
  • ブラジルでは今月ルラ政権が発足し、中南米で広がるピンクの潮流は域内大国にも及んだ。過去には反米が流れを生む一助となったが、各国の対米関係には温度差があるなか、足下ではコロナ禍やインフレが流れを後押しした。他方、中南米では中国が存在感を高めるなかで米国の存在感が相対的に低下しており、対中輸出が対米輸出を上回るなど経済のみならず、外交面でも中国との結び付きが強まる動きもみられる。
  • こうしたなか、ブラジルとアルゼンチンの首脳会談で共通通貨の創設の協議開始を明らかにした。両国が左派政権であることが議論を後押したとみられる。外貨不足が経済関係の停滞を招くなかで米ドルに代わる決済手段の構築によりメルコスルの強化を目指す一方、両国通貨の廃止は意図しないとした。現実には共通通貨創設のハードルは極めて高い一方、米ドルの実質排除による米国の影響力低下は中国の影響力拡大に繋がりやすい。中南米が米中摩擦の新たな土俵となる可能性もあり、中国の出方に注目する必要がある。

ブラジルでは今月、ルラ氏が12年ぶりとなる大統領への返り咲きを果たすとともに、約6年半ぶりとなる左派政権が誕生した(注1)。ここ数年の中南米地域においては『ピンクの潮流』とも呼ばれる動きが広がりをみせており、多くの国において左派政権が誕生する流れがみられる。ピンクの潮流を巡っては、長らく『米国の裏庭』とも称されるなど米国の影響力が強いこの地域において、親米保守政権による政権運営が採られる一方、汚職がまん延するとともに社会経済格差が拡大したことで1990年代から2000年代にかけて世界的に資源ナショナリズムが勃興したことに歩を併せる形で、貧困層や低所得者層などを中心に『弱者の見方』を自任する左派勢力が伸長したことがきっかけとなった。さらに、当時はベネズエラのチャベス政権が主導する形で『反米』といった旗幟を鮮明にするとともに、アメリカ大陸において米国とカナダ以外の国々が加盟するラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)の発足を通じて結び付きを強めるなど、具体的に米国による影響力の排除に繋がる動きもみられた。しかし、その後は右派勢力による揺り戻しの動きがみられるとともに、CELACに加盟する33ヶ国の間には経済政策、及び対米関係を巡る微妙な『温度差』が存在するなど、地域を取り巻く状況は一枚岩にはほど遠い状況にあると捉えられる。他方、ここ数年は米国が『米国第一主義』による内向き姿勢を強めたことに加え、コロナ禍による景気悪化とその後の商品高によるインフレも重なり、左派勢力が掲げる大衆迎合的な政策が広く国民に受け入れられたことが再び勢いを取り戻すことに繋がってきた。さらに、ここ数年は中国が高い経済成長を追い風に世界経済における存在感を高めるなか、それに伴う資源需要の拡大の動きに呼応する形で多くの中南米諸国は中国向け輸出を拡大させており、足下の輸出額は中国向けが米国向けを上回る事態となっている。こうした動きは、中国が推進する外交戦略である『一帯一路』に基づく形で中国企業が進出の動きを強めていることに加え、米中摩擦の激化を受けて中国が穀物や資源などの調達先を分散化したことで一段と加速しており、多くの中南米諸国が中国経済への依存度を高めていることに繋がっている。中南米諸国の経済構造は元々特定の鉱物資源、ないし穀物の輸出に対する依存度が高く、その市況動向に大きく左右される傾向があるなか、中国の景気動向やそれに伴う需要の影響を受けやすくなっている。こうした事情も中南米において中国が影響力を拡大させる一因になっているとみられるほか、そうした動きは昨年、アルゼンチンが中国のお膳立てを受ける形で『新興国の盟主』とされるBRICSへの加盟申請を行ったことにも現れている。

図表1
図表1

こうしたなか、23日に行われたブラジルとアルゼンチンの首脳会議において、両国が共通通貨(名称は「スル(スペイン語で南の意)」で検討中)の創設に向けて協議を開始する方針を決定しており、直前に公表されたアルゼンチンメディアへの両首脳による共同寄稿でも明らかにされている。なお、両国による共通通貨構想そのものは過去にも浮上したものの、政権交代により政権の性質が一変したことで立ち消えとなるなど紆余曲折が続いてきたが、ルラ氏の大統領就任に伴い両国ともに左派政権となっていることが状況を後押ししたと考えられる。さらに、ルラ氏は大統領就任に際して多極化外交を掲げており、同国が加盟するBRICSやメルコスル(南米南部共同市場)を軸にした外交戦略を展開する姿勢を示しており、上述したアルゼンチンによるBRICS加盟申請に対して賛意を示など周辺国との関係強化に動くことが予想された。共通通貨構想が立ち上がった背景には、アルゼンチンが直面する外貨不足に伴い両国間の貿易が勢いを欠く展開が続くなど、メルコスルが掲げるヒト、モノ、カネの移動の促進といった目標にほど遠い状況が続いていることがある。なお、両国は共通通貨の創設を通じて貿易取引の活発化や通貨安定を目指す考えを示す一方、両国の既存通貨(レアル、及びペソ)の廃止は意図しておらず、米ドルに代わる『共有可能な決済手段』の構築を目指しているとの考えを示している。仮に共通通貨構想が前進すれば、通貨ペソ相場が公定レートと闇レートの間で大きく乖離するなど信認が著しく低下しているアルゼンチンにとっては為替安定に繋がるほか、通貨の信認向上も追い風に高インフレが続く状況も改善することが期待される(注2)。他方、ブラジルのレアル相場は国際金融市場を取り巻く環境に揺さぶられやすいなか(注3)、共通通貨の創設により通貨圏が広がることで取引機会が拡大することは、中長期的な観点で通貨の安定に繋がる可能性は考えられる。さらに、両国首脳は共通通貨の創設を通じてメルコスルの強化を目指す考えを示しており、今後は加盟するウルグアイ、及びパラグアイにも参加を呼び掛けることも予想される。ただし、現実的には両国の経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)が大きく異なることに加え、デフォルト(債務不履行)の常習者であるアルゼンチンが加わる形で共通通貨を構築することのハードルは極めて高く、ブラジル国内においてはそうしたことへの警戒感が根強いとされる。なお、今回の両国首脳による発表にも拘らず、現時点で協議は極めて初期段階のものに留まる上、協議完了の時期なども設けられていないとされるなど、如何なるスケジュール感を以って前進するかは極めて見通しが立たない状況にある。他方、両国が共有する米ドル準備を介さない形での貿易取引の活発化という目標を巡っては、地域における米国の存在感の一段の低下を招くと予想されるほか、中国が存在感を高める『隙』が生まれることを意味する。今回の動きに中国が直接的な影響力を有するかは不透明ながら、中南米諸国においてピンクの潮流が広がるなかで域内1位、及び2位の経済規模を有する両国が結び付きを強める形で実質的に米国の影響力低下に繋がる動きを進めることは、鉱物資源や穀物などの調達先の多様化を図りたい中国にとり『渡りに船』と捉えることが出来る。その意味では、中南米は『シン・ピンクの潮流』の動きが広がる背後で米中摩擦の『新たな土俵』となる可能性があり、中国の出方にこれまで以上に注意を払う必要性が高まっていると判断出来る。

図表2
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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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