ブラジルにとっての本当の悲劇は「選択肢の極端さ」

~「政治の季節」が近付くなか、右派と左派の不毛な議論が構造問題への視線を掻き消す懸念も~

西濵 徹

要旨
  • 足下の世界経済は、主要国で経済活動の正常化が進む一方、新興国で変異株による感染再拡大が広がるなど好悪双方の材料が混在する。ただし、主要国の景気回復を追い風に原油価格は底堅い上、ブラジルはインフレ昂進を理由に利上げを実施しており、通貨レアル相場や主要株価指数は国際金融市場の動揺にも拘らず底堅さを維持している。ただし、実体経済は自律性を欠く上、インフレによる内需への悪影響が懸念されるなか、レアル相場や主要株価指数は国際金融市場の「空気」に晒されやすくなるリスクをはらんでいる。
  • なお、同国は新型コロナウイルス感染拡大の中心地となり、足下でも拡大が続いている。ワクチン接種は比較的進む一方、新型コロナ対応を巡るボルソナロ大統領の不手際が明らかになるなか、左派を中心に反政府デモが活発化する一方で右派も政治活動を活発化させている。来年には大統領選、議会上下院選が控えるなど「政治の季節」が近付くなか、今後は右派と左派の両極による政治運動が活発化すると予想される。
  • この背景にはルラ元大統領の有罪判決が無効となり、次期大統領選への出馬が可能となったことがある。左派PTは労働者階級からの人気が厚いルラ氏を中心に巻き返しを目指す一方、ボルソナロ氏は再選を目指してバラ撒きも辞さない姿勢をみせる。他方、急速な少子高齢化や財政など構造問題を抱えるも、政治が両極の不毛な動きで揺さぶられるなかで地域大国としての地盤沈下が進む懸念は同国の悲劇と言える。

足下の世界経済を巡っては、欧米や中国といった主要国で新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染一服やワクチン接種を背景に経済活動の正常化が進むなど景気回復が促される一方、新興国で感染力の強い変異株により感染が再拡大して行動制限が再強化されるなど景気に冷や水を浴びせる動きがみられるなど、好悪双方の材料が混在している。ただし、主要国を中心とする景気回復の動きは世界経済の押し上げに繋がるとの期待を背景に原油をはじめとする国際商品市況は底堅い動きをみせており、南米有数の『資源国』であるブラジル経済にとって追い風になりやすい上、足下のインフレ昂進を理由に中銀は3会合連続で利上げ実施を決定するなど金融政策の正常化を進めている 1。こうした動きは、このところの国際金融市場が米FRB(連邦準備制度理事会)による利上げ実施の前倒しや量的緩和政策の縮小を巡る討議の示唆を受けて動揺しているにも拘らず、通貨レアル相場や主要株価指数は比較的底堅さを維持していることに影響している。他方、年明け以降のブラジル経済は景気の底入れが続くなど底堅い動きが確認されたものの、世界経済の回復を背景に外需が景気を下支えする一方で経済成長のけん引役となってきた家計消費など内需は弱含むなど自律性の乏しい動きが続いている上 2、上述のようにインフレ昂進を受けて中銀はタカ派姿勢を強めるなど景気に冷や水を浴びせる動きもみられる。その意味では、足下の通貨レアル相場や原油、鉄鉱石など国際商品市況の動向に左右されやすい主要株価指数については、実体経済の動きとは無関係に世界経済や国際金融市場を取り巻く状況によって押し上げられている面が強く、その『空気』によって状況が一変するリスクをはらんでいると捉えることが出来る。

図1
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なお、ブラジルは昨年来の新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に際して感染拡大の中心地となったが、足下では変異株の流入を受けて感染が高止まりする展開が続いている上、累計の死亡者数は50万人を上回るなど米国に次ぐ水準となっている。ただし、累計の陽性者数は今月20日時点で1,793万人弱と米国の半分強に留まる一方、累計の死亡者数は50万人を上回るなど米国の8割を上回る水準となるなど、医療インフラの脆弱さが死亡率の高さに繋がっている可能性が考えられる。さらに、同国において感染拡大の動きが広がった背景には、感染対策を巡って地方レベルでは社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)やマスク着用のほか、都市封鎖(ロックダウン)といった行動規制を重視する取り組みが図られる一方、連邦レベルでは新型コロナウイルスを「ただの風邪」と揶揄するボルソナロ大統領の下で経済活動を優先する対応が採られるなど『あべこべ』な動きが続いたことも影響している。他方、同国は感染拡大の中心地となったことを受けて様々なワクチンの治験が実施されたほか、年明け以降はワクチン接種が開始されるなどの動きもみられる。今月20日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は11.39%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)は29.52%とともに世界平均(それぞれ9.92%、21.76%)を上回るなどワクチン接種は進んでいる。ただし、ボルソナロ大統領は自身が新型コロナウイルスに罹患したにも拘らず、ワクチンに対して懐疑的な見方を示すとともに、新型コロナウイルスの『起源』を巡って中国とは名指ししないものの、「急速に拡大する国家が仕掛けた『化学兵器戦争』」との見方を示すなど中国を揶揄する姿勢をみせた結果、中国からのワクチンの原材料輸入が急激に先細りする事態に直面している。こうしたなか、政府はワクチン接種の加速化を目指して米製薬メーカーに対してワクチンを前倒しで納入するよう要請する動きをみせている。そうしたなか新型コロナ禍対応を巡って議会上院が設置した調査委員会(CPI)は同メーカーからのメール数十件をボルソナロ大統領が事実上無視したことを明らかにするなど、政府の対応がワクチン接種の遅れに繋がったことを明らかにした。さらに、CPIはボルソナロ大統領が利用を推奨した抗マラリア薬を巡って、効果が否定されていたにも拘らず保健当局が関係書類の修正により有効性を証明しようとしていたことも明らかにするなど、政権の不手際が相次いで暴露される事態となっている。こうしたことから、元々ボルソナロ政権に対して反対姿勢を示してきた左派政党や労働組合、学生団体などが主導する形で全土において政権の新型コロナ禍対応への抗議集会が発生しており、来年に控える次期大統領選に向けて動きが一段と活発化することも予想される。一方、ボルソナロ大統領には右派を中心とする『岩盤支持層』と称される支持基盤が存在しており、政府への抗議集会が活発化する背後では支持層が大量のバイクで行進する政治活動(『キリストのために加速を』)を活発化させるなど、右派と左派という両極で政治的な動きが活発化している。

図2
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図3
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こうした政治運動が活発化している背後には、大統領任期中の汚職事件に対する有罪判決を理由に2018年に一時収監され、前回大統領選に出馬することが出来なかったルラ元大統領に対して、今年2月に最高裁判所が手続き上の問題を理由に有罪判決を無効とする判断を下し 3、ルラ氏が次期大統領選に出馬することが可能となっていることも影響している。なお、ルラ元大統領については首都ブラジリアの連邦裁判所で再審理される見通しであり、仮に有罪が確定すれば次期大統領選への出馬は難しくなるなど状況は依然として流動的ではある。ただし、ルラ氏を巡っては、そのカリスマ的な人柄に加え、任期中に実施した「ボルサ・ファミリア」と称する貧困層及び低所得者層を対象とする手厚い社会福祉制度を理由に労働者階級から人気が高く、政権奪還を狙う左派PT(労働者党)はルラ氏を旗印に集結する動きをみせる。他方、PTが政権を担ったルラ及びルセフ元政権の下では、政財界を巻き込む形で巨大な汚職事件がまん延するとともに、最終的にルセフ元大統領が弾劾される事態に発展するなど国民の間に深刻な政治不信を招くことに繋がった。さらに、国際商品市況の高騰を前提とする手厚い社会保障制度はその後の商品市況の低迷を受けて財政状況の急速なひっ迫を招く事態となり、前回大統領選において既存政治との距離があるとともに、政治思想のみならず経済政策面でも右派色の強いボルソナロ氏が勝利する一因になった。こうしたことから、国民のなかには右派や中道派を中心にルラ氏を嫌う傾向がみられる一方、政財界を巻き込む汚職事件では多数の中道派政治家の関与が疑われたことで、大統領選と同時に実施された議会上下院選では既存の中道政党が軒並み議席を減らすとともに、多数の政党が濫立するなど政治的に不安定な状況となっている。ボルソナロ政権の下では中道政党が与党入りする形で政権運営の一翼を担う展開となっているものの、ボルソナロ大統領という『強力なキャラクター』を前にどの政党も政策をリードすることが出来ず埋没する状況が続いており、結果的に次期大統領選では極右(ボルソナロ氏)と左派(ルラ氏)という両極が際立つ事態が続いている。さらに、CPIは8月にも調査を終了する見通しであったものの、ボルソナロ大統領を巡る新たな疑惑が噴出するなかで調査延長に動く可能性があるほか、最終報告では大統領の弾劾や刑事訴追といった対応を求める可能性も出ている。仮にそうした事態となれば、中南米では左派政権が誕生する動きが広がりをみせるなかで同国も左派政権に交代する可能性が高まり、政策面では再び手厚い社会保障制度を志向する向きが一段と強まることが予想される。ただし、近年のブラジルでは急速な少子高齢化を背景に手厚い年金制度などの負担が財政の重石となるなか、新型コロナ禍を経て少子高齢化が一段と進んでいることを勘案すれば、『バラ撒き』志向の強い政策は経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)をこれまで以上に脆くするリスクがある。ボルソナロ政権が前進させた年金改革のほか、現在議会において議論がなされている国有企業改革といった右派的な経済政策は、経済のファンダメンタルズが脆弱な上、公的部門の肥大化が経済の足かせとなるなどの構造問題に真正面から取り組むといった観点で有益であることは間違いない。他方、昨年来の新型コロナ禍対応ではボルソナロ大統領は左派政権と同様に『バラ撒き』政策を志向する動きをみせており、次期大統領選に向けてそうした姿勢を一層強める可能性も考えられる。その意味では、今後は『政治の季節』を迎えるブラジルにとって最も悲劇であるのは、目の前に迫る構造問題に真正面から取り組む必要性が右派と左派という両極の不毛な論争によって掻き消されることで、地域の大国としての存在感が地盤沈下を余儀なくされることであろう。

図4
図4

以 上

西濵 徹

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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