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タイ憲法裁、プラユット首相の職務停止決定で政局混乱の可能性

 ~バーツ安懸念がくすぶるなか、中銀は慎重姿勢をあらためて強調するなど対応が難しくなる懸念も~

西濵 徹

要旨
  • タイでは2014年のクーデターを経てプラユット氏が暫定首相に、2019年の民政移管を経て正式に首相に就任した経緯がある。なお、来年3月に議会下院は任期満了を迎えるなか、連立与党はギリギリ多数派であるなど、政治の季節が近付くなかで野党は度々けん制を掛ける動きをみせた。しかし、6月に提出した内閣不信任案は否決されるなど与党連立の結束が確認され、政権は次期総選挙前最大の試練を乗り越えた。
  • ただし、2017年に制定された現行憲法では首相任期は「最大で通算8年」とされるなか、野党はプラユット氏が今月23日に暫定首相就任から丸8年を迎えたとして憲法裁に請願書を提出していた。憲法裁は24日に請願書を受理し、任期に関する判断が出るまでプラユット氏の職務停止を公表した。判断には1~2ヶ月を要するとみられ、プラウィット副首相が代行するなど事実上の軍政は維持される。他方、11月のAPEC首脳会議の成功を次期総選挙への足掛かりにしたいプラユット氏の目論見は外れ、政局の流動化が懸念される。
  • 商品高やバーツ安によるインフレ昂進を受け、中銀は今月初めの定例会合で利上げ実施を決定した。ただ、中銀総裁は大幅利上げを否定するなど慎重姿勢を崩さず、「タカ派度合い」は弱い展開が続くとみられる。政局の混乱がバーツ安に繋がる懸念があるなか、今後の政策対応は難しさが増すことも考えられよう。

タイでは、2014年に発生した軍事クーデターで陸軍司令官であったプラユット氏を議長とする国家平和秩序維持評議会(NCPO)がすべての統治権を掌握した後、同年8月24日に同氏は当時のプミポン国王の任命を受ける形で暫定首相に就任した。その後、2019年に実施された議会下院(人民代表院)総選挙でプラユット氏が率いる親軍政党(パランプラチャーラット)が第2党になり、少数政党と与党連立を構成して多数派を形成した結果、議会上下院の首相指名選挙で選出された後、同年6月11日に正式に首相に就任した。なお、議会下院は来年3月に任期満了を迎えるなど『政治の季節』が近付いているが、与党連立は政権発足当初から半数をギリギリ上回る水準に留まっており、大臣ポストをはじめとする処遇を巡って連立内がぎくしゃくする動きがみられた。よって、野党は攻勢を強める動きをみせるなか、一昨年以降は政権のコロナ禍対応の拙さを理由に反政府デモが活発化したほか、政権批判の一部が現行憲法上不可侵とされるワチラロンコン国王など王族に向かう事態に発展した。また、与党連立の足並みの乱れを揺さぶるように、野党は議会に度々内閣不信任案を提出したものの、昨年までに提出された計3回の内閣不信任案はいずれも与党連立が結束して否決する対応をみせた。他方、足下のタイ経済を巡っては実質GDPの水準がコロナ禍前を下回るなど回復が道半ばの状況にあるなか(注1)、幅広い商品市況の上振れや国際金融市場での通貨バーツ安による輸入物価の押し上げも重なりインフレが昂進するなど、景気に冷や水を浴びせる懸念が高まっている。こうしたなか、5月末に実施された首都バンコク知事選では『タクシン派』の最大野党・タイ貢献党が事実上支援した候補が圧勝するなど野党への流れが強まる動きがみられ、野党は6月にプラユット首相や閣僚、副大臣など計11人に対する経済政策の失敗や汚職疑惑、権力濫用などを理由とする不信任案を提出するなど与党連立にさらなる揺さぶりを掛けた(注2)。ただし、先月末に不信任案に対する採決が行われた結果、反対多数で否決されるなど計17政党で構成される与党連立の結束が改めて確認されたほか、プラユット政権にとっては次期総選挙に向けた最後の試練を乗り越えたとみられた(注3)。

ただし、上述の経緯もあり、野党はプラユット首相が今月23 日に就任から丸8年を迎えたと判断し、軍政下の2017年に制定された現行憲法における首相任期規定(最長で通算8年)に抵触することを理由に、憲法裁判所に対してプラユット首相の在任期間に対する判断に加え、結論が出るまでプラユット首相の職務停止を求める請願書を提出した。一方、プラユット政権は首相の在任期間について、2017年の現行憲法が公布された時点(2017年4月6日)、ないし、民政移管後の正式就任時(2019年6月11日)と判断しており、いずれの場合においても来年3月に控える議会下院の任期満了まで政権は全うできるとの見方を示していた。こうしたなか、憲法裁判所は24日に野党が提出した請願書を受理するとともに、判断が下されるまでの間についてプラユット首相の職務を停止する旨を発表した。なお、発表では首相任期に関する判断は計9人の裁判官すべてが賛成するとともに、職務停止についてもうち5人が賛成したことが明らかにされた。憲法裁判所による判断が下される時期については不明であるものの、現地報道などでは関係者の話として1~2ヶ月程度を要するとみられるなか、当該期間中についてはプラウィット副首相が代行する見通しである。同氏は元陸軍司令官でプラユット氏の元上司の関係であるなど実質的な軍政状態は維持される。仮に憲法裁判所が任期規定に抵触すると判断すれば、プラユット氏は即失職するとともに内閣総辞職となるとともに、2019年の総選挙を経て各党が首相候補に登録した名簿のなかから議会上下院による首相指名選挙を経て選出されることになる。同国では今年11月にAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議の開催が予定されている。上述の内閣不信任案を乗り切ったことでプラユット氏は同会議を議長として仕切ることにより、会議の成功を通じて政治基盤の強化を図る道筋を描いていたとみられるが、そうした目論見は一変する可能性も出ている。さらに、プラユット氏の職務停止をきっかけに与党連立の結束が緩むことも考えられるなど、政局が流動化する可能性もある上、結果として政情が混乱することも考えられる。

なお、幅広い商品高に加え、金融市場におけるバーツ安による輸入物価の押し上げがインフレ昂進を招くなか、中銀は今月初めの定例会合において政策金利を25bp引き上げて0.75%とする決定を行っている(注4)。このところのアジア新興国においては、物価及び通貨安定を目的とする利上げドミノとも呼べる動きが広がりをみせているが、同行による利上げ実施は2018年12月以来であり、同国もその流れに追随したと捉えられる。バーツ安の一因となった米FRB(連邦準備制度理事会)によるタカ派傾斜を巡っては、先月半ば以降一旦はその後退が期待されたことで、その後のバーツ相場を巡る動きは一進一退の動きをみせている。こうしたなか、中銀のセタプット総裁は24日に開催されたビジネスフォーラムにおいて先行きの政策運営を巡って「積極的な勇ましい大幅利上げは必要ない」、「景気回復を損なわないようにする必要がある」と述べるなど、市場で懸念される同行が後手に回っているとの見方をけん制する姿勢をみせた。その上で、足下において不安定な動きが続くバーツ相場について「異常な資本の動きはみられない」と指摘しつつ、「為替が過度に変動した場合にのみ行動する」との考えをあらためて強調した。他方、一昨年末以降におけるバーツ安が長期化する背後で外貨準備高は着実に減少しており、足下においては依然としてIMF(国際通貨基金)が国際金融市場の動揺への耐性として示す適正水準評価(ARA:Assessing Reserve Adequacy)は『適正水準』の上限をも上回ると試算されるなど、危機的状況にはほど遠い状況にあると捉えられる。しかし、上述のように政局の不安定化をきっかけに政情が混乱する可能性があり、そのことをきっかけに資金流出圧力が強まる懸念がある一方、中銀の『タカ派度合い』の弱さはバーツ安圧力を惹起させることも考えられるなど、今後は政策対応の困難さが増すことも予想される。

図表1
図表1

図表2
図表2

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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