タイ、次期総選挙が近づくなかで政権の求心力低下が露わに

~首都バンコク知事選及び議会選で与党連立は惨敗、不信任決議案の行方に注目が集まるか~

西濵 徹

要旨
  • タイでは2014年のクーデターを経て軍事政権が発足し、2019年の民政移管後も事実上の軍政が続いている。来年に次期総選挙が予定されるなど「政治の季節」が近付いているが、タイ経済はコロナ禍からの回復途上にあるなど周辺国に比べて回復が遅れている。他方、インフレが顕在化している上、国際金融市場を取り巻く環境は大きく変化するなど政策対応は困難が増している。こうしたなか、次期総選挙の前哨戦として先月末に実施されたバンコク知事選及び議会選でプラユット政権を支える与党連立は惨敗を喫した。与党連立内には処遇を巡る不満もくすぶるなか、野党はプラユット首相など11人に対する不信任決議案を提出して揺さぶりを掛ける。コロナ禍を経て国民の間には政権、王室への不満が高まるなか、次期総選挙に向けてそうしたうねりは一段と強まると予想される。他方、プラユット氏は過去に軍政維持に向けた強権発動も辞さない動きをみせており、次期総選挙が近付くなかで政局を巡る動きは一段と喧しさを増す可能性は高いとみられる。

タイでは、2014年の軍事クーデターを経て陸軍司令官であったプラユット氏による暫定政権が発足した後、2019年に開催した議会下院(人民代表院)総選挙において『親軍政党』である国民国家の力(パランプラチャーラット)を中心とする連立与党の下でプラユット氏が改めて首相に就任するなど、民政移管後も事実上の軍政が続いている(注1)。なお、来年にも次期総選挙が予定されるなど『政治の季節』が近付いているが、民政移管後のタイ経済はコロナ禍の余波を大きく受ける形で景気低迷を余儀なくされており、今年1-3月の実質GDPの水準は依然としてコロナ禍の影響が及ぶ直前(2019年末時点)に対して▲1.8%下回るなど、周辺国と比較して景気回復が遅れている。この背景には、タイがASEAN(東南アジア諸国連合)のなかでも経済に占める観光関連産業の割合が高く、コロナ禍を受けた全世界的な国境を跨ぐ人の移動の萎縮の余波を受けやすい構造にある上、中国による『ゼロ・コロナ』戦略の余波を受ける形でアジア域内全体のサプライチェーンが混乱して製造業の生産活動に悪影響が出ていることが影響している(注2)。他方、足下ではウクライナ情勢の悪化を受けた幅広い国際商品市況の上振れに伴い全世界的にインフレ圧力が強まるなか、同国においても生活必需品を中心にインフレが昂進するなど影響が顕在化している。さらに、国際金融市場においては米FRB(連邦準備制度理事会)をはじめとする主要国中銀がタカ派傾斜を強めるなど新興国を取り巻く状況は厳しさを増すなか、タイではコロナ禍を経た外国人観光客の減少を受けて経常収支は赤字に転じるなど経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の悪化を受けて資金流出圧力が強まる動きがみられる。ただし、上述のように足下の同国経済はコロナ禍からの回復途上にあることを理由に、政府内では中銀に金融緩和の維持を求めるなど『けん制』を強めるなか、中銀は今月8日の定例会合で政策金利を16会合連続で過去最低の0.50%に据え置いたものの、政策委員の票が割れるなど『タカ派』姿勢に傾斜する動きがみられた(注3)。こうした動きは金融市場において中銀の独立性に対する懸念を惹起させる可能性があり、足下の通貨バーツ相場は一段と調整の動きを強めるなど資金流出が加速する兆候がうかがえることを勘案すれば、先行きは物価及び通貨の安定の観点から政策の見直しを余儀なくされる可能性は高まっている。こうしたなか、先月末に実施された来年に迫る次期総選挙の前哨戦として注目を集めた首都バンコクの知事選では、無所属候補のチャチャート氏が勝利を収めた。バンコクではクーデター前の2013年に前回知事選が実施されたものの、クーデターを経て誕生したプラユット暫定政権が2016年に当時の知事を解任し、選挙を経ずに副知事であったアサウィン氏を知事に任命した経緯がある。バンコクでの知事選の実施は9年ぶりとなるなか、アサウィン氏は無所属ながら『親軍政党』の国民国家の力の支援を受ける形で出馬したものの、計7人が出馬した選挙戦で5位に留まるなど惨敗した。一方、チャチャート氏はインラック元政権下で運輸相を務めたほか、2019年の前回総選挙では『タクシン派』のタイ貢献党の首相候補であるなど、今回の選挙戦でも同党が事実上支援したほか、得票数は139万弱に達して次点の候補に対し110万票余りの差をつける形で圧勝した。同時に実施されたバンコクの議会選挙においても与党連立は大敗を喫しており、次期総選挙に向けた前哨戦とみられたなか、プラユット政権及び与党連立にとって厳しい結果となった。こうしたなか、与党連立は多数の政党による『寄り合い所帯』ゆえに発足当初から処遇への不満が溜まる動きがみられたが、野党は次期総選挙を見据えて揺さぶりを掛ける観点から今月16日に首相及び閣僚、そして副大臣など計11人に対して経済対策の失敗や汚職疑惑、権力の濫用を理由とする不信任決議案を議会下院に提出した。今後は連立与党内の結束の行方に注目が集まるなか、なかでも昨年のプラユット首相に対する不信任決議案を巡る造反を理由に今年1月に国民国家の力の離党に追い込まれるも、その後に経済党を結党して連立与党内に留まったタマナット党首(国民国家の力の元幹事長)はキャスティングボートを握るとみられる(すでに連立離脱との報道もあり)。その他の少数政党の間にも不満がくすぶるなか、来月18~22日の予定で審議される不信任決議案の行方は極めて流動的な状況となっている。今年11月には同国でAPEC(アジア太平洋経済協力)の首脳会議の開催が予定されており、プラユット首相は議長として同会議を仕切るとともに政治基盤の強化を目指している模様だが、仮に不信任決議案の否決に成功した場合にも、APEC首脳会議後には与党連立内でプラユット氏への離反の動きが強まるとの見方も出ている。また、コロナ禍を経て同国ではプラユット政権に対する反発のみならず、王政に対する反発も強まる動きがみられたほか(注4)、足下においても散発的に反政府デモが発生するなどそうしたうねりは次期総選挙に向けて一段と強まることも予想される。他方、プラユット政権は過去に軍の影響力が色濃い憲法裁判所を通じて有力野党を解党に追い込むなど、親軍政党の勝利に向けた『強権』発動のほか、総選挙の実施も繰り返し延期するなどタイミングを計る動きをみせてきたことを勘案すれば同様の動きをみせる可能性もある(注5)。次期総選挙が近付くなかで政治を巡る状況は再び喧しさを増すことは避けられそうにない。

図 1 バーツ相場(対ドル)の推移
図 1 バーツ相場(対ドル)の推移

図 2 議会下院における党派別議席数
図 2 議会下院における党派別議席数

以 上

西濵 徹

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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