インドは中国を超えるのか インドは中国を超えるのか

インドを襲う「トリプル安」、当局と市場との「神経戦」が続く

~ルピー安定には利上げが必至も副作用も多く、株式や債券市場への影響も警戒される~

西濵 徹

要旨
  • 中東情勢の緊迫化は原油や化学肥料の価格上昇を招き、輸入依存度の高いインド経済に打撃を与えている。ルピー相場は連日最安値を更新しており、資金流出圧力が強まっている。また価格高騰による物価上昇や対外収支悪化が懸念されている。川上の物価に当たる4月の卸売物価は前年比+8.3%と約2年半ぶりの高水準に達するなど、インフレが顕在化している。

  • 4月の州議会選挙を控え、政府は燃料価格を据え置くなど国民生活への影響を抑制してきた。しかし、選挙での勝利後、5月に入りモディ首相は在宅勤務推進、化学肥料の使用削減、海外渡航の自粛などを国民に呼びかけるとともに、ガソリンや軽油の値上げも実施。選挙終了を待った「後出しじゃんけん」的な需要抑制への政策転換が鮮明になっている。

  • 外貨準備はIMFが示す「適正水準」を満たすが、輸入増による対外収支の悪化などによる体力低下が懸念される。RBIはルピー安定へ利上げへの転換が迫られる可能性もある。一方、利上げは景気を冷やすリスクもあり、金融政策の舵取りは難しい局面にある。株式市場も上値が重い推移をみせるなか、政策運営を巡って当局と市場の神経戦が続くとみられる。

目次

【中東情勢の緊迫化を受けてルピー相場は連日最安値を更新】

このところの金融市場では、インドの通貨ルピー相場は連日で最安値を更新するなど、資金流出圧力が強まる動きがみられる(図1)。背景には、中東情勢の緊迫化による原油や化学肥料の供給懸念や価格上昇がインド経済に深刻な悪影響を及ぼすとの懸念の高まりがある。

図表
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インドは国内の原油需要の約9割を海外からの輸入に依存している。同国は「等距離外交」を国是としており、ウクライナ戦争を機に欧米などはロシアに対する経済制裁を強化したものの、そうした姿勢に距離を置くとともに、割安なロシア産原油の輸入を拡大させた。その結果、2025年には原油輸入の4割をロシア産が占め、中東産原油への依存低下と、割安な原油調達によるエネルギー価格の抑制を実現した。

その一方、トランプ米政権はロシア産原油の輸入拡大を理由に、インドに対する関税を大幅に引き上げるなど圧力を強めた。その後の協議を経て、インドはロシア産原油の輸入を停止するとともに、引き換えに米国は関税を大幅に引き下げることで合意した。その後、中東産原油に対する供給懸念が高まったため、米国は時限的にインドによるロシア産原油の輸入を許可した。しかし、国際価格の上昇を受けてロシア産原油の割安感は薄れており、原油や化学肥料の価格高騰による物価上昇や対外収支の悪化が懸念される状況にある。

また、インドは一次エネルギーに占める石炭比率が46.4%とアジア新興国のなかでも相対的に高く、原油高の影響も比較的受けにくいとされる。しかし、各国で石炭への代替需要が拡大するなかで石炭価格も上昇しており、エネルギー価格の上昇が避けられない状況にある。こうしたなか、川上段階の物価である4月の卸売物価は前年同月比+8.3%と2022年10月以来の高い伸びに加速しており(図2)、食料品やエネルギーなど生活必需品を中心に物価上昇が進んでいることが確認されている。

図表
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【選挙での勝利を受け、政府は「後出しじゃんけん」的に需要抑制に転換】

川下段階の物価に当たる消費者物価は、モディ政権が、前述した米国による関税引き上げによる景気への悪影響を懸念して2025年9月末にGST(財・サービス税)の実質引き下げを実施して鈍化した後、足元では底打ちの動きを強めている。4月のインフレ率は前年同月比+3.48%とRBI(インド準備銀行)が目指すインフレ目標(4±2%)のレンジ内で落ち着いた推移をみせている(図3)。

図表
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これは、中東情勢の緊迫化以降も、ガソリンや軽油の価格引き上げを回避するなど、国民生活への悪影響を抑える対応をみせてきたためである。そのうえで、モディ政権が国民に対してパニック買いを控え、節約を呼び掛ける一方、国営石油公社が損失を吸収して供給を継続する対応を維持した。さらに、軽油やジェット燃料に対する輸出税を引き上げて国内向け供給を重視したほか、LPG(液化石油ガス)を家庭向けに優先的に供給してきた。

こうした動きの背景には、4月に5つの州・直轄地(アッサム州、ケララ州、プドゥチェリー連邦直轄地、タミルナドゥ州、西ベンガル州)で議会選挙が予定されていたことがある。インフレが抑制されたことも追い風に、改選前に与党BJP(インド人民党)が与党、ないし与党連立の一角を形成したアッサム州とプドゥチェリー連邦直轄地では順当に勝利を収めた。また、BJPは西ベンガル州で初めて政権を獲得するなど「金星」を挙げることにも成功した。

州議会選での勝利を受けて、モディ首相は5月10日、原油をはじめとするエネルギー資源価格の高騰に対応すべく、国民に在宅勤務の導入、公共交通機関やEV(電気自動車)の利用による燃料需要の抑制を呼び掛けた(注1)。さらに、外貨準備高の維持を目的に、最低1年は不要不急の海外渡航や海外での挙式、金の購入など外貨流出につながる行動を控えることを求めた。また、農家には、化学肥料の消費を半分に抑えて自然農法に移行すれば、外貨と農業、地球を守ることができると述べるなど、化学肥料の使用抑制を呼びかけた。そして、5月15日にはガソリンと軽油価格を1リットル当たり3ルピー引き上げるなど価格政策の変更に動いており、選挙という政治イベントの終了を待って「後出しじゃんけん」的に原油や化学肥料の需要抑制へと政策転換した。

公式統計では、原油の国家備蓄と民間在庫を合わせて74日分に相当する備蓄があるとしているものの、中東情勢が長期化するなかで厳しさは増している。こうしたなか、インド政府は中東のほか、ロシアやアフリカ、米国、中南米などからの原油調達の多様化を活発化させている。ただし、足元ではすでに天然ガスに供給懸念の影響が出ており、前述したように家庭向けの都市ガスなど優先分野に対する供給を確保する一方、産業向けは通常の8割程度に抑制し生産活動に悪影響が出る事態となっている。さらに、原油高によるエネルギーインフレへの懸念に加え、ルピー安に伴う輸入インフレへの警戒感も強まっている。したがって、RBIによる金融緩和観測は急速に後退している。そのうえ、世界的にはAI(人工知能)関連需要への期待が株価を押し上げる動きがみられる。なお、インド株はIT関連企業の比率が高いものの、その多くはAIによる代替リスクが意識されやすいSaaS関連企業で占められている。このため、世界的なAI関連需要拡大の恩恵を受けにくいとの見方がある。その結果、足元の主要株価指数(ムンバイSENSEX)は上値の重い展開が続いている(図4)。

図表
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【ルピー相場の安定に向け、当局と市場は「神経戦」の様相をみせるか】

政府が国民に燃料や化学肥料の需要抑制の呼びかけを行った背景は、インドがかつて、湾岸戦争をきっかけとする原油高騰を受けて、対外収支が悪化して外貨準備の枯渇が警戒されるとともに、債務危機に陥ったことが影響している。なお、足元のインドの外貨準備高は、IMF(国際通貨基金)が金融市場の動揺への耐性を示すARA(適正水準評価)に照らして、「適正水準(100~150%)」の水準にあると試算されるなど、危機的状況にはほど遠いと考えられる。RBIはルピー相場の安定を目的に為替介入を積極化させており、中東情勢の行方次第では「体力勝負」に追い込まれることも考えられる。とはいえ、原油、天然ガス、化学肥料の価格上昇により輸入額は押し上げられ、対外収支は急速に悪化しており、体力は着実にむしばまれていることに注意する必要がある。

アジア新興国のなかでは、すでにフィリピン中銀(注2)、インドネシア中銀(注3)が物価と為替の安定を目的とする利上げ実施に追い込まれているが、ルピー相場の本格的な安定を目指すのであれば、RBIも利上げに動く必要性が高まっている。とはいえ、原油高にもかかわらず燃料価格を据え置いたことを受けて事実上の財政負担が高まっており、金融市場においてRBIは金融緩和を維持する姿勢を示してきたものの、長期金利は高止まりしている(図5)。仮にRBIが物価と為替の安定を目的とする利上げにかじを切れば、長期金利のさらなる上昇を招くなど景気に冷や水を浴びせることも懸念される。当面のインド金融市場を巡っては、当局と市場との「神経戦」の様相を呈することに注意が必要である。

図表
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以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一ライフ資産運用経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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