インドネシア、感染動向改善で景気回復に期待も過度な楽観は禁物

~中銀はルピア相場安定に自信をみせるが、平時と異なる状況が影響していることに留意が必要~

西濵 徹

要旨
  • このところのASEANは変異株による新型コロナウイルスの感染拡大の中心地となっている。インドネシアでも6月以降に感染が急拡大して政府は行動制限に舵を切る対応をみせたが、感染爆発に見舞われた。しかし、その後は新規陽性者数が頭打ちするなど感染動向は改善している。ワクチン接種は依然遅れているが、感染動向の改善を受けて政府は行動制限を段階的に緩和しており、経済を取り巻く状況は改善しつつある。
  • 感染動向の悪化により中銀は景気見通しを下方修正したが、その後の改善にも拘らず様子見姿勢を維持している。中銀は21日の定例会合でも7会合連続で政策金利を据え置き、インフレ率が低水準で推移するなかで景気回復を後押しする考えを強調した。先行きについては国際金融市場の動向を注視しつつ、ルピア相場の安定を図るとともに景気下支えに向けて財務省と引き続き政策協調を図る考えを改めて示した。
  • 政府は先月に来年度予算案を発表したが、議会での協議を経て当初案から歳出増に動くことで合意した。政府は将来的な財政健全化に道筋を付ける姿勢をみせる一方、国債増発に伴う利払い負担増は財政の重石となることは不可避である。足下のルピア相場は底堅いが、今後は政策運営に注視する必要があろう。

このところのASEAN(東南アジア諸国連合)を巡っては、ワクチン接種が世界的にみて比較的遅れる展開が続いていることも影響して、感染力の強い変異株による新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染拡大の一角となる状況が続いている。こうしたなか、ASEANのなかで最も人口を有する上に経済規模も大きいインドネシアでは、6月以降に変異株の流入による感染拡大の動きが顕在化したことを受けて、政府は7月初めに人口の多いジャワ島と観光地のバリ島を対象に『緊急措置』の発動に踏み切り、行動制限の強化とともに最低限の経済活動の維持を図る方向に舵を切った(注1)。ただし、昨年来の新型コロナ禍対応を巡っては、中央政府レベルでは景気への悪影響を懸念して都市封鎖(ロックダウン)などの強力な対策に及び腰となる一方、地方政府レベルでは行動制限により事実上の都市封鎖が実施されるちぐはぐな対応が続いたなか、「感染対策と経済の両立」というどっちつかずの対応が採られたことでその後の感染動向は急速に悪化する事態を招いた(注2)。他方、7月半ばにかけて急拡大した新規陽性者数はその後に一転して頭打ちしており、今月19日時点における人口100万人当たりの新規陽性者数(7日間移動平均)は12人と7月半ばのピークの15分の1以下の水準に低下している。さらに、新規陽性者数の急拡大による医療インフラのひっ迫を受けて死亡者数も拡大のペースを強めるなど感染動向は悪化の度合いを強める動きがみられたものの、足下では新規陽性者数の鈍化により医療インフラに対する圧力は後退しており、それに伴い死亡者数の拡大ペースも鈍化するなど感染動向は改善している。なお、世界的には欧米や中国など主要国を中心にワクチン接種の進展が経済活動の正常化を後押しする動きがみられる一方、ASEAN諸国についてはワクチン確保の遅れが足かせとなる状況が続いており、インドネシアの今月19日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は16.50%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)は29.07%とともに世界平均(それぞれ31.76%、43.34%)を大きく下回るなどワクチン接種が遅れている状況は変わりない。ただし、感染動向が改善していることを受けて、政府は7月末以降に行動制限の段階的緩和に動いており、先月以降も緩和を前進させるとともに、今月からはバリ島で課された行動制限も緩和するなど経済活動の再開に舵を切る動きを強めている。同国経済を巡っては、感染再拡大の『第3波』の直前までは景気回復が続いていたとみられる一方(注3)、第3波の顕在化に伴う行動制限の再強化を受けて景気に下押し圧力が掛かったものの、足下では行動制限の緩和により一転底入れの動きを強めているとみられる。

図 1 新型コロナの新規陽性者数・累計死亡者数の推移
図 1 新型コロナの新規陽性者数・累計死亡者数の推移

図 2 ワクチン接種率の推移
図 2 ワクチン接種率の推移

同国では、昨年来の新型コロナ禍による景気減速を受けて政府及び中銀は財政及び金融政策の総動員を通じた景気下支えを図っており、なかでも中銀は利下げに加え、財政支援を目的に国債を無利子で引き受ける財政ファイナンスに動くなど、平時であれば『禁じ手』と受け取られる対応をみせてきた。年明け以降の中銀は2月に追加利下げに動いた後は政策金利を据え置く『様子見姿勢』を維持する一方、感染動向の悪化により景気に下押し圧力が掛かっていることを受けて7月の定例会合において経済成長率見通しを引き下げた(注4)。ただし、その後は想定以上に速いペースで感染動向の改善が進んでいることを受けて中銀(ペリー総裁)は先行きの景気見通しに対して楽観的な見方を示す一方、8月の定例会合では引き続き金融政策を据え置く様子見を維持するとともに、先行きについては米FRB(連邦準備制度理事会)の政策運営や変異株による感染動向を注視する考えをみせた(注5)。なお、上述のようにその後の感染動向は一段と改善する動きをみせているほか、足下のインフレ率は中銀の定めるインフレ目標を下回る水準で推移するなど、多くの国で景気回復や国際原油価格の上昇などを理由にインフレが顕在化しているにも拘らず、インドネシアについてはそうした状況と一線を画す動きが続いている。こうしたなか、中銀は21日に開催した定例会合において政策金利である7日物リバースレポ金利を7会合連続で3.50%に、短期金利の上下限もそれぞれ4.25%、2.75%に据え置く現行の金融緩和を維持している。会合後に公表された声明文では、今回の決定について引き続き「低インフレとルピア相場の安定化策に一致するとともに景気回復を後押しするもの」とした上で「金融緩和とマクロプルーデンス政策のポリシーミックスの最適化に加え、デジタル化政策などを通じて景気回復を後押しする」との考えを改めて示した。また、世界経済について「感染再拡大の影響やサプライチェーンの寸断などによる影響が懸念されるが、回復は続くと見込まれる」とした上で、国際金融市場について「中国企業のデフォルト(債務不履行)懸念や米FRBの量的緩和縮小観測、感染動向の影響を受ける」との見方を示した。一方、同国経済について「感染動向の改善を受けて緩やかな回復が見込まれる」とし、先行きについては「ワクチン接種の加速や輸出の改善、経済活動の再開や政策支援が景気を押し上げる」として「今年通年の経済成長率は+3.5~4.3%の範囲に収まる」との見通しを維持した。また、通年の経常収支について「外需の堅調さを反映して赤字幅はGDP比▲1.4~▲0.6%程度に収まる」との見方を示しつつ、足下の通貨ルピア相場についても「国際金融市場の不確実性の高まりを受けて下押し圧力が掛かった」としつつ、「今後も安定化策の強化を図る」との考えを示した。物価動向についても「低水準で推移して景気回復を後押しする」とした上で、「今年及び来年のインフレ率は目標(3±1%)の範囲内に収まる」との見通しを示した。なお、会合後に記者会見に臨んだ同行のペリー総裁は、米FRBの政策運営に対して「11月にも量的緩和の縮小が開始され、来年も継続が見込まれる」との見通しを示した上で「その影響は懸念されるが、経常赤字の縮小もあり、2013年のテーパー・タントラム時に比べれば小さいであろう」との見方を示す一方、「金融市場はまだ米長期金利の上昇といった形で織り込んでいない」との考えをみせた。他方、先行きの政策運営を巡っては「国内金融市場の安定に向けて財務当局と協調する」としつつ、「年明け以降は大規模な為替介入を迫られる事態とはなっていない」との見方を示した。その上で、「米FRBによる量的緩和縮小の影響を注視すべく、週次及び月次でストレステストを実施している」としたほか、「足下の金利及びルピア相場は経済のファンダメンタルズを反映している」としつつ「金融市場の動揺に対しては財務省と協調して『3つの介入手段(スポット市場での介入、ルピア建ノンデリバラブル・フォワード市場での入札、債券市場への介入)』を駆使する」と引き続き断固とした対応を取る考えを示した。他方、足下において国際金融市場のリスク要因と認識されている中国企業(恒大集団)の債務問題について「その動向を注視しており、国際金融市場の不確実性に繋がる可能性がある」する一方、「国内金融市場はファンダメンタルズに依拠しており、海外の動向に左右されるものではない」との見方を示した。そして、先行きの景気見通しについて「7-9月は前年比+5%程度、10-12月は同+4.5%程度になる」とした上で、ルピア相場について「少なくとも安定が見込まれ、強含みが見込まれる」とし、「政策運営は景気優先である」との考えを改めて強調した。

図 3 インフレ率の推移
図 3 インフレ率の推移

図 4 経常収支の推移
図 4 経常収支の推移

なお、今月14日に議会(国民協議会)の予算委員会と政府は来年の経済成長率の目標を+5.2%と設定することで合意したことを明らかにしたほか、8月に政府が発表した予算案で示された歳出規模(2708.7億ルピア)から2714.2億ルピアに引き上げることでも合意したこが明らかにされた。予算案においては、新型コロナ対策として検査、治療、ワクチン開発などの医療分野への歳出が拡大されるとともに、福祉関連やインフラ関連の歳出も拡充されるなど、景気下支えを重視する内容となっている。他方、予算案では歳入の前提となる経済成長率を+5.0~5.5%としており、財政赤字のGDP比は▲4.85%となるなど今年度予算(▲5.82%)から縮小する一方、政府は2023年の財政赤字をGDP比▲3.0%以下に抑える計画を掲げるものの、来年度予算案では財政赤字の穴埋めを目的に991.3兆ルピア規模の新発国債の発行を見込んでおり、利払い費の増大が将来的な財政の圧迫要因となることは避けられそうにない。足下の通貨ルピア相場を巡っては、国際金融市場において不透明感が高まる動きがみられるにも拘らず比較的底堅い動きが続いており、感染動向の改善を受けた景気回復期待が影響しているとみられる。ただし、足下の対外収支については世界経済の回復が輸出を押し上げる一方で、国内景気の弱さが輸入の重石となることで貿易収支が改善するなど、平時と異なる状況が影響している上、財政及び金融政策を巡る脆弱性はこれまで以上に高まっていることを勘案すれば、今後は如何に『正常化』への道筋を付けられるか否かが重要なカギを握る。その意味では今後の景気動向に加え、政策運営を慎重にみる必要性がこれまで以上に高まると予想される。

図 5 ルピア相場(対ドル)の推移
図 5 ルピア相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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