韓国中銀、家計債務の抑制を目的に新型コロナ禍後初の利上げに動く

~先行きも「緩和度合いの調整」を示唆する一方、感染動向や金融市場環境との「板挟み」は不可避~

西濵 徹

要旨
  • 韓国では、昨年来の新型コロナ禍を経て「K防疫」とワクチン接種の積極化を図ってきたが、集団免疫にはほど遠い状況が続く。こうしたなか、6月半ば以降は変異株の流入により感染が再拡大する「第5波」が顕在化している。感染爆発状態となる事態は免れているが、感染拡大の中心地である首都ソウル周辺の行動制限は長期化しており、家計のマインドは悪化するなど家計消費など内需への悪影響は避けられなくなっている。
  • 足下の国際金融市場は米FRBの量的緩和縮小が意識されるなか、新興国通貨は金融政策の方向性が影響を与える動きがみられる。韓国では金融緩和の長期化を受けて不動産市場への資金流入が活発化している上、家計債務が拡大傾向を強めるなど金融セクターのリスク要因となる懸念が高まっている。さらに、足下のインフレ率はインフレ目標を上回る推移が続いており、中銀は7月の定例会合で8月会合以降の利上げ実施の可能性を示唆した。他方、感染拡大の動きは中銀の判断に影響を与える可能性も高まっていた。
  • こうしたなか、中銀は26日の定例会合で2年9ヶ月ぶりの利上げ実施に踏み切った。家計債務の拡大による金融不均衡の影響を警戒し、先行きの政策運営について「金融緩和の度合いの調整」と追加的な利上げの必要性に言及した。ただし、次回以降の判断は感染動向がカギを握るなど慎重姿勢をみせた。利上げ実施はウォン相場を下支えする一方、重石となる材料も山積するなど中銀にとっては難しい対応が続くであろう。

韓国では、昨年以降の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)を受けて、文在寅(ムン・ジェイン)政権が主導するIT技術による個人情報を活用した疫学調査や感染経路の調査といったいわゆる『K防疫』が実施されるも、度々感染が再拡大する事態に見舞われるなど感染対策を目的に行動制限が強化される展開が続いてきた。他方、文政権は国際的なワクチン供給スキーム(COVAX)にワクチン調達を依存したため、当初は供給遅延により政府が掲げたワクチン接種計画は後ろ倒しを余儀なくされたものの、その後は新たなワクチンへの承認に加え、米企業による国内でのワクチン生産合意などを通じて調達の多様化を図る動きをみせてきた。こうしたことから、その後はワクチン接種が加速する動きがみられるほか、ワクチン接種の『すそ野』を広げる戦略が採られていることを反映して今月24日時点における部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)は52.08%と国民の半数以上が1回はワクチン接種を済ませる一方、完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)が25.13%に留まるなど集団免疫獲得の道のりは依然遠い状況にある。なお、ワクチン接種を巡っては部分接種率が40%を上回ると感染者数が急減する『閾値』と見做されてきたものの、足下では感染力の強い変異株が感染拡大の中心となっているほか、変異株に対してはワクチンの効果が低いとの見方が示されるなどの問題も出ている。こうしたなか、足下ではASEAN(東南アジア諸国連合)などアジア新興国が変異株による感染拡大の中心地となっており、アジア新興国と経済的な結び付きが深い同国でも6月半ば以降は変異株の流入を受けて感染が再拡大する『第5波』の動きが顕在化しており、新規陽性者数も拡大傾向を強めるなど感染動向は悪化している。なお、足下では新規陽性者数が急拡大している首都ソウルを中心に医療インフラがひっ迫しており、死亡者数も緩やかに拡大ペースを強める動きがみられるものの、依然として累計の陽性者数は24万人強、死亡者数も2,300人弱に留まっている。さらに、人口100万人当たりの新規陽性者数(7日間移動平均)も上昇傾向を強めるも35人程度に留まっており、多くのアジア新興国でみられるような感染爆発状態とはなっていない(なお、日本は直近で184人に達するなど完全に感染爆発状態に陥っていると捉えられる)。なお、政府は先月から感染拡大が続く首都ソウルを除く大半の地域に対する行動制限を緩和する一方、首都ソウル及びその周辺に対する行動制限を維持する対応をみせてきたが、その後は感染拡大の動きが徐々に広がりをみせていることを受けて、行動制限を一段と延長する事態を迫られている。こうした事態を受けて、感染動向が頭打ちの動きをみせたことを受けて底入れしてきた人の移動は、その後の首都ソウル及び周辺を対象とする行動制限の強化を受けて頭打ちしており、こうした状況に呼応するように家計部門を中心にマインドに下押し圧力が掛かる動きがみられるなど、家計消費をはじめとする内需に悪影響を与えることは避けられそうにない(注1)。

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なお、足下の国際金融市場においては米FRB(連邦準備制度理事会)が年内にも量的緩和政策の縮小に動くとの見方が強まり、世界的な『カネ余り』の縮小が意識されて新興国への資金流入が先細りするとの見方が強まりつつある。他方、新興国のなかにはインフレの顕在化などを理由にすでに金融引き締めに舵を切る動きが出ている一方、感染拡大が続くアジア新興国を中心に国内の感染動向が実体経済に与える影響を警戒して金融緩和を維持する国もあり、金融政策の方向性の違いが資金動向を通じて通貨に悪影響を与える動きがみられる。なお、韓国では中銀が新型コロナ禍対策を理由に利下げに加え、事実上の量的緩和政策を実施する異例の金融緩和に舵を切るなど金融市場の『カネ余り』が意識されており、低金利環境を追い風に首都ソウルを中心とする不動産市場への資金流入が活発化して『バブル』が懸念される状況にある。さらに、不動産市場への資金流入が活発化する背後で元々アジア太平洋地域のなかでも過剰状態にあった家計債務は加速する形で拡大しており、足下では家計債務残高のGDP比は90%を上回るなど金融市場及び金融セクターのリスク要因となりつつある。さらに、昨年後半以降の世界経済の回復期待などを追い風とする原油をはじめとする国際商品市況の上昇を追い風に、足下のインフレ率は中銀が定めるインフレ目標を上回る推移が続くなどインフレが顕在化している。不動産市場を巡る問題は今年4月に実施された首都ソウル市及び第2の都市プサン市の市長選で与党候補が惨敗した理由のひとつであるなど喫緊の課題となるなか(注2)、家計債務問題は同国経済の火種となることが懸念されており、中銀は7月の定例会合において8月の定例会合において政策変更の必要性を検討する考えを示した(注3)。他方、上述のように国内の感染動向は悪化するなど内需を巡る状況は急速に悪化している上、最大の輸出相手である中国の景気減速も意識されるなど外需の不透明感も強まるなかで通貨ウォン相場は調整の動きを強めており、ウォン安は輸出競争力の向上に繋がる一方で対外債務の債務負担の増大を招くなど幅広い経済活動の足かせとなり得るなか、中銀にとっては政策運営を巡る不透明要因となることが懸念された(注4)。こうしたなか、中銀は26日に開催した定例会合において政策金利を25bp引き上げて0.75%とするなど新型コロナ禍対応からの脱却を決定しており、同行による利上げ実施は2018年11月以来の2年9ヶ月ぶりとなる。なお、アジア太平洋地域ではニュージーランド中銀が今月の定例会合において、感染再拡大による実体経済への悪影響を懸念して利上げ実施を躊躇する動きがみられたものの(注5)、韓国中銀は不動産バブルや家計債務の膨張によるリスクを重視したと判断出来る。

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会合後に公表された声明文では、足下の世界経済について「主要国におけるワクチン接種の拡大とそれに伴う行動制限の緩和を受けて回復が続いている」との認識を示した上で、国際金融市場について「主要国の長期金利は感染再拡大の影響を受けているほか、米FRBによる年内の量的緩和縮小開始の影響も出ている」としつつ、先行きについては引き続き「感染動向やワクチン接種動向に加え、主要国の金融政策の変更やその影響などに揺さぶられる」との見方を示した。一方、同国経済については「感染再拡大に伴い家計消費は幾分下振れが避けられないが、輸出の旺盛さを追い風に設備投資も堅調に推移するなど回復が続いている」との認識を示した上で、「雇用環境も改善している」とし、先行きについて「輸出や投資の堅調さに加え、ワクチン接種動向や補正予算の進捗動向の影響を受けるも、家計消費の緩やかな回復を追い風に回復が続く」との見通しを示し、「今年通年の経済成長率は5月時点の見通し(4%近傍)に沿った展開が期待される」とした。一方、物価動向については「原油や食料品価格の上昇に加え、サービス物価の上昇を理由に2%台半ばで推移している」とした上で、先行きについても「インフレ期待の上振れを受けて5月時点の見通し(+1.8%)を上回り2%台前半になる」との見通しを示した。また、金融市場については「国際金融市場を取り巻く環境や感染再拡大を受けて株価は調整するとともに、ウォン相場は著しく調整しており、長期金利を中心に金利も下振れしている」ほか、「家計債務の拡大ペースの加速とともに不動産価格は全土で上昇傾向を強めている」との認識を示した。その上で、先行きの政策運営については「金融市場の安定に留意しつつ景気回復と物価の安定を目指す」との従来姿勢を維持する一方、「感染動向を巡る不確実性にも拘らず経済は堅調な成長が続き、インフレ率はしばらく目標を上回る推移が見込まれる」として「金融緩和の度合いを徐々に調整する」として金融引き締めを進める考えを示した。ただし、今後の引き締めペースについては「感染動向や景気と物価の動き、金融不均衡によるリスク、主要国の金融政策の行方を見極めつつ判断する」との考えを示した。また、会合後に記者会見に臨んだ同行の李柱烈(イ・ジュヨル)総裁は今回の決定について「全会一致ではなかった」として、「朱尚栄(チュ・サンヨン)委員(建国大学経済学部教授)が反対票を投じた」ことを明らかにした。なお、今回の利上げ決定については「拡大が続く家計債務の抑制を目指したもの」としつつ、「金融不均衡の解決は金融引き締めだけでは不十分」との認識を示すなど、政府に政策対応を求める考えを示した。その上で、今回の決定について「判断が遅れたとは言えない」としつつ、足下の物価動向について「過度に高い状況ではない」との認識を示したほか、足下で進行するウォン安については「米ドル高圧力が影響したもの」として、適切な政策運営が行われているとの認識を示した。さらに、先行きの景気動向については「年後半から来年にかけては潜在成長率である2%近傍での推移が見込まれる」とした上で、金融政策について「感染動向や家計債務の動向がカギを握る」と述べるなど、次回会合以降における利上げ実施の可否は現時点では未定との見方を示した。中銀による利上げ決定は調整の動きを強めてきたウォン相場を下支えする可能性がある一方、感染動向を巡る不透明感に加え、中国景気の減速懸念などが引き続き重石となることも予想されるなど、結果的に先行きは金融市場からの『圧力』に留意する必要性は高まると見込まれる。

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以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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