ブラジル、ワクチンの「40%の壁」に到達も、景気は視界不良が続く

~世論調査でボルソナロ大統領への弾劾要求が過半数に、政治動向の行方にも要注意~

西濵 徹

要旨
  • ブラジルは昨年来の新型コロナウイルスのパンデミックを受けて感染拡大の中心地の一角となってきた。感染対策はちぐはぐな対応が続くなか、年明け以降は変異株により感染が再拡大する展開が続いてきた。ワクチン接種を巡ってもちぐはぐな対応が続くが、足下では部分接種率が40%を上回るなど感染鈍化への期待が出ている。ワクチン接種の広がりを受けて人の移動は底入れしている上、財政出動による景気下支えも相俟って企業マインドも改善しており、ブラジル経済を取り巻く状況は「最悪期」を過ぎつつあると捉えられる。
  • 国際金融市場では米FRBの政策運営に注目が集まるなか、ブラジルでは中銀の「タカ派」姿勢や国際商品市況の底入れがレアル相場を押し上げる展開が続いたが、先月半ば以降は米ドル高圧力が強まるなかで一転調整している。足下のインフレ率は一段と加速するなか、レアル安は物価動向や対外債務負担の増大を通じて幅広い経済活動に影響を与え得る。景気動向を巡って好悪双方の材料が混在すると判断出来る。
  • 同国内では、ボルソナロ政権の新型コロナウイルス対策への批判がくすぶるなか、不手際が暴露されるとともにワクチン調達を巡る汚職疑惑も噴出し、弾劾を求める声が強まっている。現時点で弾劾手続きが進む可能性は低いが、国民の間で政権に対する感情は急速に悪化している。レアル相場を巡っては、感染動向のみならず政治動向も影響を与え得ると予想され、今後はその行方に注意する必要が高まっている。

ブラジルを巡っては、昨年以降における新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)を受けて感染拡大の中心地の一角になるとともに、連邦政府(ボルソナロ政権)と地方政府の間でちぐはぐな感染対策が採られたことも影響して感染収束がみえない展開が続いてきた。さらに、年明け以降は感染力の強い変異株による感染再拡大の動きが世界的に広がりをみせるなか、同国においても変異株が確認されるとともに感染が再拡大するなど、感染動向は昨年を上回るペースで急速に悪化してきた。なお、人口100万人当たりの新規陽性者数(7日間移動平均)は先月半ばに350人を上回るなど感染動向が急速に悪化するとともに医療インフラに対する圧力が掛かる状況が懸念されたものの、その後は新規陽性者数が鈍化して220人程度に低下しており、事態打開に向けた兆候がうかがえる。また、同国は感染拡大の中心地となったことを受けて、様々なワクチンの治験が実施され、年明け以降は接種が開始されているものの、ワクチンを巡ってもボルソナロ大統領自身は懐疑的な見方を示す一方、保健当局や地方政府は積極的な接種を呼び掛けるなどちぐはぐな対応が続いている。さらに、ボルソナロ大統領は新型コロナウイルスの起源を巡って、ワクチンの主要な供給元となっている中国を揶揄する姿勢をみせており、中国からの原材料輸入が急激に細っているほか、中国メーカーがブラジル国内の提携先との関係解消を発表するなどワクチン調達が難しくなりつつある。こうした事態を受けて、政府はワクチン接種の加速化を通じた早期の集団免疫獲得や経済活動の正常化を目指し、米製薬メーカーにワクチンの前倒し納入を求めるなどドタバタの対応をみせている。ただし、ワクチン接種の積極化の動きが影響して、今月10日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は14.07%に留まるものの、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)は40.08%に達しており、ワクチン接種率を巡って感染者数が急減するとされる『40%台の壁』に至るなど事態打開が進む期待もうかがえる。他方、同国で接種の動きが広がってきた中国製ワクチンを巡っては、周辺国においても接種拡大にも拘らず変異株による感染再拡大の動きが広がっており、同国においても変異株による感染が広がっていることを勘案すれば、事態収束が進むかは依然として不透明と判断出来る。ただし、足下ではワクチン接種の広がりを受けて人の移動は底入れの動きを強めているほか、政府は来年に控える次期大統領選及び連邦議会上下院選挙を前に景気回復を実現すべく財政出動による景気下支えに動いていることも重なり、幅広い分野で企業マインドは改善するなど景気の底入れを示唆する動きもみられる。その意味では、ブラジル経済は『最悪期』を過ぎつつあると捉えることが出来る。

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なお、このところの国際金融市場においては米FRB(連邦準備制度理事会)による量的緩和政策の見直し検討の動きが世界的なマネーの動きに影響を与える展開が続く一方、ブラジルについてはインフレ昂進を理由に中銀が金融政策の正常化を進めるなど『タカ派』姿勢を強めていることに加え(注1)、世界経済の回復期待を背景に原油をはじめとする国際商品市況が底入れの動きを強めたことも相俟って、通貨レアル相場は底入れする動きをみせてきた。しかし、先月半ば以降は米ドル高圧力が強まる動きがみられるなか、ブラジル中銀は『タカ派』姿勢を崩していない上に国際原油価格は高止まりしているにも拘らずレアル相場に一転して下押し圧力が掛かるなど、ブラジルを取り巻く環境が変化する兆候がうかがえる。レアル安は輸出競争力の向上を通じて外需をけん引役にした景気回復を促すことが期待される一方、輸入物価の上昇が足下で昂進が続くインフレ率の上振れを招くほか、近年は同国においても活発化してきた米ドルなど主要通貨建での資金調達を巡って債務負担の増大が幅広い経済活動の足かせとなることが懸念される。こうしたなか、上述のようにインフレ昂進を理由に中銀は金融政策の正常化の動きを加速させているものの、直近6月のインフレ率は前年比+8.35%と一段と加速して約5年弱ぶりの伸びとなっているほか、コアインフレ率も+4.74%と加速して中銀の定めるインフレ目標(4±2%)の中央値を上回るなど、インフレが意識されやすい状況にある。足下のインフレが昂進している一因としては、足下の同国が『100年に一度』とも称されるレベルの大干ばつに見舞われており、電力エネルギーの約65%を水力発電に依存するなかで効率の悪い火力発電を稼働せざるを得ず、結果的にエネルギー価格が急上昇していることが影響している。こうしたことから、中銀は今後も金融引き締めの度合いを一段と強めることも予想される一方、足下の同国経済が最悪期を過ぎつつあるなかで物価上昇の動きは家計部門の実質購買力の下押し圧力となるほか、金融引き締めの動きも景気回復の動きに冷や水を浴びせることが懸念される。ワクチン接種の動きは幅広い経済活動を押し上げることが期待されるものの、景気を巡っては好悪双方の材料が綱引きしあう展開が続くと予想される。

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ボルソナロ大統領を巡っては、来年の次期大統領選での再選を目指して早期の経済活動の正常化やそれに伴う景気回復を目指す一方、新型コロナウイルスに対しては自身が罹患したにも拘らず『ただの風邪』と軽んじる姿勢を崩していないほか、上述のように中国を揶揄する動きをみせるなど様々な混乱を招く元凶となってきた。こうしたなか、政府の新型コロナウイルス対応を巡って連邦議会上院が設置した調査委員会(CPI)は、過去に米製薬メーカーがボルソナロ大統領に対してワクチン供給を打診する旨のメールを数十件送付していたにも拘らず、ボルソナロ大統領がこれらのメールを事実上無視したことがワクチン調達の遅れを招いたことを明らかにしている。さらに、CPIはボルソナロ大統領が新型コロナウイルス対策に利用を推奨した抗マラリア薬に関連して、効果が否定的とされていたにも拘らず保健当局が関係書類を修正(偽装)して有効性を証明しようとしていたことを明らかにするなど、政府による様々な不手際が暴露されている。また、同国で接種されているインド製ワクチンを巡っても、その調達に際して保健当局が安価で提示された米国製ワクチンを排除して前倒しで認可申請が実施されるとともに、割高で調達された上で賄賂が保健当局の高官に渡っていたことが明らかになっており、ボルソナロ大統領の関与が取り沙汰される事態に発展している。先月末には野党の上院議員が最高裁判所にボルソナロ大統領を刑事告発したほか、今月3日には最高裁判所が検察当局に対して捜査を許可する事態となるなど、ボルソナロ大統領の足下を揺るがす動きもみられる。政権の新型コロナウイルス対策を巡っては、元々ボルソナロ政権に対して批判的な左派政党のほか、労働組合や学生団体などが主導する形で抗議が活発化してきたが、不正疑惑の噴出を受けてボルソナロ大統領への弾劾を求める声も強まっている(注2)。なお、ボルソナロ大統領に対する弾劾手続きを巡っては、連邦議会下院において提案された請願を議長が受諾する必要があるものの、リラ下院議長は今月1日に「弾劾実施には政治的環境が必要になるが、現時点では議会のなかにも外にもない」との認識を示すなど直ちに前進する可能性は低い。一方、直近の世論調査においては、半数を上回る国民がボルソナロ大統領に対する弾劾を支持する姿勢を示すとともに、政権に対する支持率は過去最低を更新するなど(不支持率は過去最高)、国民の間で政府に対する感情が急速に悪化している様子がうかがえる。足下の企業マインド改善の動きは景気回復に繋がるとともに、政権に対する批判を和らげる可能性が期待される一方、政治的な混乱が再燃すれば通貨レアル相場は調整の動きを強めるほか、来年の大統領選での左派政権への転換観測はそうした動きを一段と強めることも予想される。当面のブラジル市場を巡っては、感染動向に加え、政治動向の行方にも注意する必要が高まっている。

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以 上

西濵 徹

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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