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2025.11.11
アジア経済
インドネシア経済
国際的課題・国際問題
インドネシアで進む「逆コース」、故スハルト元大統領に「英雄」授与
~民主化の流れが逆行するなか、今後はプラボウォ政権が開発独裁色を強める可能性も~
西濵 徹
- 要旨
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インドネシアでは近年、民主化の流れに逆行する動きが強まっている。腐敗摘発で注目された汚職撲滅委員会(KPK)は2019年の法改正で捜査権などを実質的に失い、大統領の監督下に置かれた。さらに、2022年の刑法改正では大統領侮辱罪のほか、報道や表現の自由を制限する内容などが盛り込まれた。
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昨年就任したプラボウォ大統領は、スハルト元政権で軍幹部を務め、人権侵害疑惑が指摘されてきた。政権発足前後から放送法、国家警察法、国軍法などの改正を進め、報道規制やサイバー監視、軍の民政介入拡大など、権威主義的な統治強化が進む。こうした動きはスハルト体制を想起させる「逆コース」と懸念される。
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こうしたなか、政府は10日に独裁政権を率いたスハルト元大統領に名誉称号「英雄」を授与した。汚職や弾圧の象徴とされる人物への授与は批判を呼んだが、スハルト氏の元娘婿であるプラボウォ大統領の名誉回復の意図があるとみられる。これは自身の正当性強化と「開発独裁」の再評価に繋がる可能性がある。
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政権支持率は78%と依然高水準で、バラ撒き政策や積極的な施策が評価されている模様だ。一方で、歳出削減や議員の優遇、軍の民政介入などへの反発から抗議行動も拡大している。スハルト時代への記憶の風化が権威主義的な統治を許容する一因になっているとの見方もある。今後、プラボウォ政権が開発独裁路線を強めれば、同国の国際的評価の低下のほか、外交方針にも影響を与える可能性に要注意である。
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インドネシアではここ数年、民主化に逆行する動きが強まっている。インドネシア政界では長らく腐敗が問題視されるなか、政府から独立した捜査機関の汚職没滅委員会(KPK)が現職閣僚や国会議員、裁判官、高級官僚などの不正を摘発してきた。しかし、ジョコ前政権下の2019年、議員立法による法改正でKPKの捜査権、逮捕権、公訴権が事実上はく奪され、大統領直轄の監視委員会の傘下に置かれるなど、その権限は大幅に制限された(注1 )。また、2022年の刑法改正では、正副大統領や国家機関への侮辱行為に対して最大で禁固3年の大統領侮辱罪が新設されたほか、報道の自由や国民のプライバシー・人権の侵害などに繋がり得る内容が盛り込まれた(注2 )。さらに、昨年10月に就任したプラボウォ大統領を巡っては、スハルト元政権で国軍の秘密工作や謀略などを担当する陸軍戦略予備軍司令官を務め、民主活動家の誘拐事件に関与した疑いで人権侵害の疑惑が指摘されてきた。よって、同氏の大統領就任により、国内外では民主化の行方が一段と不透明なるとの見方が強まった。政権発足前後に国会で審議され成立した法律改正の動きは、そうした見方を後押しした。放送法改正により、調査報道に対して事実上規制が掛かるなど報道の自由が脅かされるほか、国家警察法改正では、警察がサイバー空間の監視や情報遮断が可能となるなど、監視国家化や言論の自由が脅かされる動きがみられる。そして、国軍法改正では、各省庁に将兵を出向させることが可能となるなど、シビリアンコントロール(文民統制)の形骸化に繋がる内容が盛り込まれた(注3 )。なお、これらの法律はスハルト元政権が崩壊した後に制定され、その後の民主化を後押ししてきたものの、なし崩し的に『逆コース』への移行が進行している。
こうしたなか、インドネシア政府は10日、1965年の軍事クーデターを鎮圧した後、当時のスカルノ大統領に代わって最高権力者に就任し、その後1998年まで30年余りにわたって独裁政権を率いたスハルト元大統領に対して、国家の名誉称号である「英雄」を授与した。英雄を巡っては、国家の独立や発展など国民に記憶される行為に寄与した人物に対して死亡した後に授与されており、過去には、オランダからの独立戦争において功績を残した元軍人、宗教指導者、初代大統領となったスカルノ氏などに授与された。さらに、その要件として、国家への貢献、高い愛国心、人格的・道徳的な誠実さ、国家に対する背徳的な行為がないこと、そして自ら築いた遺産を傷つけなかったことなどが示されている。スハルト氏については、30年余りにわたる独裁政権の下で当初は開発独裁により高い経済成長を実現した。しかし、その後は縁故主義による汚職がまん延し、経済の疲弊を招いたとともに、国軍が影響力を強めるなかで共産党や民主活動家に対する弾圧が行われ、多数の犠牲者が発生したとされる。さらに、経済が疲弊するなかで同国はアジア通貨危機の発火点のひとつとなるとともに、民主化を求める動きを機に暴動が発生し、政権崩壊に至った経緯がある。よって、過去にもスハルト氏に対する英雄授与は提案されるも、その独裁統治に対する批判を考慮して見送られてきたが、今回は国内外での反発にもかかわらず押し切る形で授与された。この背景には、プラボウォ大統領がスハルト氏の元娘婿であったことが影響している。
上述したように、プラボウォ氏はスハルト元政権で陸軍戦略予備軍司令官を務めたが、同氏がスハルト氏の二女と結婚したことが国軍での出世を後押ししたとされる。さらに、同氏は、スハルト政権が崩壊した後、民主活動家の誘拐事件に関わったことを理由に国軍を追放された経緯がある。その後、プラボウォ氏は政界に転身し、2009年大統領選には副大統領候補、2014年と2019年の大統領選には大統領候補として出馬するも、いずれも敗れるなど不遇の時期が続いた。しかし、2019年のジョコ2次政権発足に際して国防相に就任して政治的な立場を強固にするとともに、昨年の大統領選ではジョコ前大統領の長男(ギブラン氏)を副大統領候補に据え、ジョコ路線の継承を掲げて当選を果たした。さらに、大統領選の勝利を受けて、ジョコ前大統領はプラボウォ氏に名誉大将の称号を授与するなど国軍における名誉回復を進める動きもみられた。よって、今回のスハルト氏への英雄授与は、スハルト氏に対する名誉回復を進めることにより、プラボウォ氏自身の名誉回復をさらに進める狙いがあると捉えられる。さらに、上述したプラボウォ政権の発足に前後して進む法改正の動きは、スハルト政権崩壊後に同国が民主化の歩みを進めてきた流れに逆行するが、こうした動きはプラボウォ氏が過去に行われた開発独裁を踏襲しているとの見方もある。仮に今後もこうした動きが一層強まれば、東南アジアにおいて透明性の高い政治体制を築いてきた流れが大きく変化することも考えられる。今回の英雄授与は、民主化を主導したワヒド元大統領や、スハルト元政権下で暗殺された労働運動の指導者マルシナ氏など計10人を対象に行われたが、スハルト氏や、かつて弾圧を主導したとされるウィボウォ将軍も含まれる。
なお、先月末に行われた世論調査においては、プラボウォ政権に対する支持率は78.0%と、今年1月に行われた調査(80.9%)からほぼ横這いで推移していることが明らかになった。今年1月の世論調査は、政権発足から100日のいわゆる『ハネムーン期間』にあたり、支持率そのものもジョコ前政権より高水準であるなど上々の滑り出しをみせた。この背景には、プラボウォ政権が推進するバラ撒き政策に加え、矢継ぎ早に政策を実行に移すなど「やっている感」が追い風になっているとみられる。しかし、プラボウォ政権は財政の持続可能性を高めるべく歳出削減に動いたものの、教育関連や福祉関連、公共事業関連を対象としたことで幅広い経済活動に悪影響が及んだ。さらに、国会議員に対する厚遇ぶりが明らかになったことをきっかけに、学生など「Z」世代を中心に政権に対する反発が高まった。そして、労働者を中心に最低賃金の引き上げや派遣労働の廃止、解雇規制の強化、税の軽減などを求める声も高まった。加えて、国軍法改正により民政における軍の役割の拡大が正式に決定したことも、幅広い国民から反発を招くとともに、一連の反政府デモが激化する一旦になったとされる(注4 )。こうした反発があるにもかかわらず、世論調査ではプラボウォ政権に対する支持率が依然高水準であることが示された背景には、国民の間でスハルト独裁政権に対する記憶が薄れていることが影響しているとの見方もある。そうした間隙を突く形で、仮にプラボウォ氏が開発独裁を目指す動きを強めれば、同国に対する国際的な評価が大きく変化していく可能性がある。一方、インドネシアは今年1月に『新興国の雄』であるBRICSに正式に加盟しており(注5 )、同枠組みが中国やロシアが主導する色合いを強めるなか、インドネシアが開発独裁の道を歩むことで、外交面でこれらの国々と連携を強める岐路に立たされる可能性にも注意する必要がある。
注1 2019年10月3日付レポート「インドネシアで浮かび上がる「不都合な真実」」
注2 2022年12月13日付レポート「インドネシアで進む法改正の動きに要注意」
注3 2024年10月23日付レポート「インドネシア・プラボウォ政権発足、「継続」と「膨張」の行方は?」
注4 8月29日付レポート「インドネシアで反政府デモ激化、民主化の行方に不透明感も」
注5 1月7日付レポート「インドネシアがBRICSに正式加盟、東南アジア初の加盟国に」
西濵 徹
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
- 西濵 徹
にしはま とおる
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経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析
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