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実質消費が伸びていかない構造

~バラ色の好循環は成立しない~

熊野 英生

要旨

大企業の賃上げが広がり、いずれ消費拡大を誘発すると考えられている。これが通説である。しかし、総務省「家計調査」からみえる構造を考えると、問題解決はそれほど簡単ではない。年金問題、個人事業主の衰退、シニア・ワーカーや年金ワーカーの待遇、などの構造問題が根深いことを無視してはいけない。

目次

いずれ好循環は来る?

GDP統計では、実質消費が減り続けている。物価上昇に対して、所得の伸びが追いつかないから購買力が低下する。実質消費減は、その購買力低下が原因だ。

大勢意見は、賃上げが進めば、いずれ実質消費増に転じるというものだ。実質賃金の上昇は常にタイムラグが大きいと言われる。春闘をみても、2023・24年度で大企業を中心に大幅な賃上げができた。それが消費拡大を誘発すれば、今後は中堅・中小企業にも業績改善が波及するはずだ。これが通説である。

しかし、筆者は、この通説はいくつかの消費の構造問題を見落としていると思う。それは、総務省「家計調査」をつぶさに見ないと気が付かない。以下では、それを調べて結果を紹介していきたい。

無職世帯が増える

「賃上げが進めば、いずれ実質消費も増える」はずだという見通しは、世帯に占める勤労者のウエイトが大きい場合に限られる。政府の中には、国民は皆働いているという強い先入観を持つ人が多いと思える。

ところが、全世帯(単身世帯+2人以上世帯)の構成を調べると、世帯主が勤労者の割合は、51.6%と約半分だ(図表1)。これは、2023年平均の総務省「家計調査」(全世帯)のサンプル構成である。残りは、無職世帯38.0%、個人事業主など10.4%で構成されている。賃上げされても、そのインパクトは全世帯では半分に薄まってしまう。無職世帯とは、そのほとんどが65歳以上の高齢者であり、年金生活者で占められよう。

(図表1)全世帯の世帯構成
(図表1)全世帯の世帯構成

公的年金受給額は、年金改革の影響により、通常毎年その購買力が切り下がっていく宿命を持つ。ここ数年の年金改定は、2022年度は前年比▲0.4%、一方2023年度は同+1.9%、2024年度は同+2.7%と一見増えているようにみえる。しかし、この伸び率は、マクロ経済スライドにより、1年遅れで前年の物価上昇率よりも低めにしか連動していかないと決められている。つまり、購買力ベースでは、無職年金世帯は年々貧しくなっているのだ。これは、年金制度を守るためだから仕方がないと、筆者は年金の専門家たちから説明を受けてきた。

この無職世帯の割合は、年金改革は始まる前の2003年は全世帯の27.6%のウエイトだったが、それから2008年32.0%、2013年36.6%、2018年38.8%、2023年38.0%と上昇してきた(図表2)。この無職世帯の可処分所得は低く、1世帯当たり毎月17.2万円(2023年の家計調査)である。同じ年の勤労者世帯の毎月42.6万円の4割と少ない。年々、リタイヤして年金生活者になる人口が増えると、そこで家計所得の平均値は押し下げられる。消費が構造的に弱くなる圧力とも言える。

(図表2)無職世帯のウエイトの推移
(図表2)無職世帯のウエイトの推移

個人事業主の衰退

実は、勤労者以外・無職世帯以外のカテゴリーも、消費を弱体化させているようだ。「家計調査」の分類に従うと、個人事業主の内訳は①商人及び職人(2023年の世帯ウエイト4.9%)、②自由業者(同2.1%)、③法人経営者(同1.7%)、④個人経営者(同0.7%)、⑤農林漁業従事者(同0.6%)である。これら①~⑤を併せて10.4%の構成比になる。「家計調査」では、これら世帯の可処分所得は調査していない。しかし、その世帯数ウエイトが2003年の17.3%から激減している(図表3)。このことからも窺えるように、個人事業主は、長いデフレ下で減少が進んでいる。おそらく、2022年以降のインフレ下でも価格転嫁に苦しんでいるだろう。個人事業者の世帯主の平均年齢も61.1歳と高くなり、新陳代謝が起きにくいのが実情だ。

(図表3)個人事業主のウエイトの推移
(図表3)個人事業主のウエイトの推移

しばしば、「好循環に向けて、中小企業の価格転嫁が進むことが課題」とされるが、この中には個人事業主も含まれている。彼らが衰退する圧力に抗して、さらに価格転嫁を進めて賃上げに前進することは、結構、厳しいことだと感じられる。

シニア・ワーカーと年金ワーカー

好循環の課題は、大企業で賃上げができても、中小企業ではそれができないとされる。しかし、大企業に属していても、賃金が上がらない年配の労働者は少なくない。政府は、定年延長など継続雇用を強力に推進している。正確に言えば、年配者の中には役職定年で給与カットされる50歳代も含むから、「年配者」という言葉のイメージよりも若い人たちを多く含んでいる。シニア・ワーカーという方がよいかもしれない。

実は、勤労者世帯のうち、21.7%(「家計調査」2023年)は世帯主が60歳以上である。この中には、年金受給前の人も居れば、年金受給後も所得が低くて働かざるを得ない人も居る。彼らも、賃上げの恩恵を必ずしも受けていない。年金受給後も働かざるを得ない人は、年金ワーカーである。そのウエイトは、勤労者世帯の11.1%も居る。

通説では、「好循環の恩恵はいずれ行き渡る」とされているが、勤労者世帯の2割を占めている60歳以上の家計にその恩恵は行き渡るのだろうか。こうした方々は、大企業の賃上げで消費市場が拡大し、そのことで中小企業の業績が良くなっても、恩恵が行き渡りにくいと考えられる。人手不足で需給も逼迫していないし、企業内で生産力を高められるような役割を与えられていないケースもあるように見受けられる。あまり語られることのない問題点だ。

春闘の役割

以上のように、岸田政権の好循環シナリオは、高齢化・個人事業主の衰退、企業が抱えるシニアという構造問題を抱えて、それほど単純には進まないと考えられる。

ならば、どうすればよいのだろうか。最後に、この課題を考えてみる。筆者は、賃上げができる範囲では最大限の成果を引き出すしかないと考えている。勤労者の間で、大きな賃金格差が生じるが、それには目を瞑る。日本経済が好循環を実現できる潜在的パワーは低いと思うが、低いなりに最大限の賃上げをそれができる経済環境の下で進める。おそらく、日本経済は2024~2030年にかけても完全なデフレ構造からの脱却は難しいだろう。人口高齢化によるデフレ作用は、決してなくならないからだ。それを承知の上で、経済システムを正常化していくことが重要だ。弱い体質ばかりに目を向けていると、成長できる企業まで共倒れする。だから、大企業の中で春闘で賃上げができるところは、消費拡大のためにやればよい。バラ色の日本経済を描いてみせることは無益ではない。

熊野 英生


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熊野 英生

くまの ひでお

経済調査部 首席エコノミスト
担当: 金融政策、財政政策、金融市場、経済統計

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