豪州、感染収束にはほど遠いが政策運営は「ポスト・コロナ」へシフト

~豪中銀はYCC中止決定も市場が見込む早期利上げは否定、豪ドル相場の「揺り戻し」に注意~

西濵 徹

要旨
  • 豪州では、昨年来の新型コロナウイルスのパンデミックに際して当初は国内での感染が比較的抑えられてきた。しかし、年明け以降のアジア新興国での変異株の流行を受けて水際対策を掻い潜る形で市中感染が広がり、大都市を中心に都市封鎖による行動制限の再強化が図られた。他方、ワクチン接種が進むなかで政府はワクチン接種を前提に経済活動に舵を切る「ウィズ・コロナ」戦略に動いている。ただし、足下の感染動向は依然メルボルンを中心に厳しい状況が続くなど、最悪期を過ぎているものの予断を許さない状況にある。
  • 昨年来、財政及び金融政策の総動員による景気下支えが図られてきたが、金融市場の「カネ余り」が意識されるなかで不動産市況の上昇や原油高などに伴うインフレ加速など副作用が顕在化した。中銀は9月会合でテーパリングに動く一方で量的緩和政策の期間を延長したが、行動制限の緩和など景気回復期待が高まるなか、中銀は2日の定例会合でYCCの中止を決定するなど金融緩和を一段と後退させた。他方、金融市場では中銀の早期利上げを期待して豪ドル相場の底入れが進んできたが、中銀はこうした期待を諫める姿勢をみせた。資源高など豪ドル相場の追い風は吹くが、足下の「行き過ぎ」への調整が進む可能性はあろう。

豪州では、昨年来の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)に際して早期に国境封鎖に動くとともに、都市封鎖(ロックダウン)が実施されたことも重なり、感染拡大が比較的抑えられる展開がみられた。しかし、年明け以降はアジア新興国を中心に感染力の強い変異株による感染再拡大の動きが広がり、5月末には第2の都市メルボルンで、6月末には最大都市シドニーでも市中感染が確認されるなど『水際対策』を掻い潜る形で感染拡大の動きが広がった。結果、これらの都市を擁する州で都市封鎖の実施による行動制限の再強化の動きが広がったほか、8月には首都キャンベラでも1年ぶりに市中感染が確認され行動制限が再強化されるなど、幅広い経済活動に悪影響が広がった。他方、行動制限が長期化するなかで若年層を中心に政府に対する不満が噴出しているほか、同国では来年9月までに連邦議会下院(代議院)総選挙が行われる予定であるなど『政治の季節』が近付くなか、政府は強力な行動制限を通じた『ゼロ・コロナ』戦略から、ワクチン接種を前提に経済活動の再開を図る『ウィズ・コロナ』戦略への転換を図っている。なお、同国ではワクチン確保に手間取ったことで当初は接種率が世界的にみて大きく遅れる展開が続いたものの、その後はワクチン確保の多様化が進んでおり、先月31日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は64.82%に達している上、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も75.24%と国民の4分の3以上が少なくとも1回はワクチンにアクセスしていることも政府の判断を後押ししている。こうしたことから、最大都市シドニーを擁するニュー・サウス・ウェールズ州や首都キャンベラでは先月以降に行動制限が段階的に解除されているほか、メルボルンを擁するヴィクトリア州でも先月末に都市封鎖が解除されており、なかでもメルボルンの都市封鎖は昨年からの累計日数で世界最長となってきたものの、すべての行動制限が解除されるなど経済活動の再開に向けて大きく舵が切られている。ただし、上述のようにすべての行動制限は解除されているものの、足下における新規陽性者数はヴィクトリア州を中心に高水準で推移するなど感染収束にはほど遠い状況が続いている。今月1日時点における人口100万人当たりの新規陽性者数(7日間移動平均)は先月半ばのピークから4分の3程度となるなど頭打ちしているものの、依然67人と比較的高い水準での推移が続いている上、その8割以上がメルボルンを中心とするヴィクトリア州に集中するなど極めて厳しい状況にある。さらに、新規陽性者数の高止まりに伴う医療インフラに対する圧力の高まりを反映して死亡者数も拡大傾向で推移するなど、感染動向は最悪期を過ぎつつあるものの依然として予断を許さない状況にあると判断できる。その意味では、豪州経済は『ポスト・コロナ』に向けて大きく動き出していると捉えることが出来るものの、完全に曇りが晴れた状態とはなっていないと言える。

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他方、昨年来の新型コロナ禍対応を目的に、政府及び中銀は財政及び金融政策の総動員による景気下支えを図っており、なかでも中銀は利下げやイールド・カーブ・コントロール(YCC)の導入に加え、量的緩和政策に動くなど異例の金融緩和による対応を続けてきた。なお、このところの感染再拡大前の豪州経済はこうした政策支援に加え、欧米を中心とする世界経済の回復を背景とする国際商品市況の上昇も追い風に着実に回復の動きを強めてきたほか(注1)、金融市場においては全世界的な金融緩和を背景にカネ余りが意識されてきた。結果、景気回復や新型コロナ禍を経た生活様式の変化に伴い住宅需要が活発化するなか、カネ余りによる低金利環境も重なり不動産価格は上昇の動きを強めるなどバブル化が懸念される事態となった。他方、感染再拡大による景気の下振れ懸念が高まっていることを受けて、中銀(豪州準備銀行)は9月の定例会合において、9月上旬までを対象期間とする量的緩和政策第2弾(週50億豪ドル)終了後に実施する第3弾(週40億豪ドル)で量的緩和政策の縮小(テーパリング)の動く一方、第3弾の対象期間を当初予定の11月半ばから来年2月半ばまで3ヶ月延長する決定を行った(注2)。他方、上述のようにその後は感染動向が急激に悪化して景気への悪影響が顕在化したことを受けて、中銀は先月の定例会合ではすべての政策手段を据え置くとともに、利上げ実施時期についても2024年以降とする見方を維持するなどこれまで同様に緩和政策の長期化を示唆した(注3)。ただし、感染動向の悪化にも拘らず不動産価格は上昇が続いているほか、昨年後半以降の国際原油価格の上昇なども理由に足下のインフレ率は2四半期連続で中銀の定めるインフレ目標を上回るなど(注4)、新型コロナ禍対応の金融緩和による弊害が表面化する事態となっている。さらに、上述のように経済活動の正常化に舵を切るなかでインフレ圧力が一段と高まる可能性が見込まれるなか、先月末以降はYCCの適用対象である2024年4月償還債(3年債)金利が急上昇したにも拘らず、中銀は買いオペを見送る姿勢をみせたことから、金融市場においては金融政策の『微修正』が行われるとの見方が強まった。こうしたなか、中銀は2日の定例会合において政策金利を0.10%、為替決済残高に対する金利をゼロ、量的緩和政策第3弾の対象期間も来年2月半ばに据え置く一方、YCCを中止する決定を行った。会合後に公表された声明文では、同国経済について「変異株による感染再拡大の影響から回復しつつある」とした上で「ワクチン接種の進展による行動制限緩和を受けてさらなる回復が期待される」とし、経済成長率は「今年(+3%)、来年(+5.5%)、再来年(+2.5)になる」との見通しを示した。労働市場についても「行動制限の再強化に伴い大きく下振れしたが、制限緩和後は操業再開の広がりを受けて大幅な回復が見込まれる」とした上で、先行きの失業率について「来年末には4.25%、再来年松には4.00%になる」との見通しを示した。また、物価動向については「燃料価格や住宅価格の上昇、世界的なサプライチェーンの混乱などの影響で上昇圧力は強まっているものの、コアインフレ率は+2.1%に留まる」とした上で、先行きのインフレ率について「コアインフレ率は今年及び来年は+2.25%、再来年は+2.5%になる」と引き続き目標域内で推移するとの見通しを示し、賃金上昇率についても「労働需給のひっ迫を反映して徐々に回復して来年は+2.5%、再来年は+3%上昇する」との見通しを示した。不動産市場についても「持ち家、投資物件双方で上昇が続いている」としつつ、「豪健全性規制庁(APRA)による住宅ローン規制強化策(銀行が借手のローン返済能力を審査する際に用いる金利バッファーの最低水準引き上げ)を歓迎する」との姿勢をみせた。他方、金融市場については「足下で債券利回りを巡るボラティリティは上昇しており、通貨豪ドル相場も上昇しているものの、過去1年の範囲内に収まっている」との認識を示した上で、「非常に緩和的である」との認識を示すなど静観する構えをみせた。その上で、今回の決定について「YCC中止は経済の改善と物価の下振れが予想以上のペースで改善していることを反映したもの」との認識を示しつつ、政策運営については引き続き「完全雇用と物価目標の実現に向けて引き続き緩和政策の維持をコミットする」との考えを示し、その理由に「足下のインフレ率は上振れしているものの、賃金上昇率が極めて低いこと」を挙げた。先行きの政策運営については「インフレ率が持続的に目標に達するまで政策金利は引き上げない」との考えを示しつつ、前回会合まで示してきた『2024年以降』という時期を削除するなどガイダンスを和らげる姿勢をみせる一方、「現在より大幅な賃金上昇をもたらすなど労働市場のひっ迫が必須であるなど時間を要する」との考えを示した上で「2023年末のコアインフレ率は+2.5%以下になると見込まれ、賃金の伸びが緩やかなものに留まることを前提に忍耐強く対応する必要がある」との見方を示すなどあくまで現行の緩和姿勢の長期化を改めて強調する考えを示した。

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なお、会合後にオンライン記者会見に臨んだ同行のロウ総裁は、今回の決定について「2024年よりも前に政策金利を引き上げるとの見解を反映しているものではない」との考えを改めて強調するとともに「今後の政策金利の調整のタイミングには不確実性がある」とした上で、「2024年まで現行水準に留まる可能性は依然ある」との見方を示した。その上で「最新の経済指標の動きや見通しは2022年の政策金利引き上げを正当化するものではない」として、「金融市場は足下の物価指標に過剰反応している」、「市場が織り込む早期利上げに動く可能性は低い」と述べるなど金融市場において利上げ期待が高まっていることを諫める姿勢を示した。他方、「イールド・カーブ・コントロールを再導入する可能性は低い」と述べるなど『出口』を着実に進めつつあることを示した格好である。足下の金融市場においては中銀の早期利上げ期待を反映する形で通貨豪ドル相場は底入れする動きを強めており(注5)、原油をはじめとする国際商品市況の上昇という追い風も影響している一方、国内外に不透明要因が山積する状況を勘案すれば、足下の動きは『行き過ぎ』と捉えられるとともに調整圧力が掛かる可能性に注意が必要と言えよう。

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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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