メキシコ、ワクチンで事態打開目指すも、物価高など新たな課題

~新規感染者数は鈍化も感染者数は高止まり、左派的な政策に舵が切られるリスクにも要留意~

西濵 徹

要旨
  • メキシコ経済は米国景気の動向の影響を受けやすいなか、昨年後半以降は米国の景気回復を追い風に底入れしている。他方、同国内では感染者数に対して死亡者数の比率が高いなど医療現場を巡る問題が顕在化したが、足下では新規感染者数は鈍化するも、感染者数は高水準で推移している。ただし、政府はワクチン接種を通じて経済活動を優先する考えを示しており、同国経済を巡る状況は徐々に改善しつつある。
  • 年明け以降は米国経済の回復や国際金融市場の活況が追い風になると期待されたが、同国景気は「踊り場」の状況にある。他方、足下のインフレ率は加速してインフレ目標を上回っており、中銀もインフレ懸念を示すなど利下げ期待は後退している。ペソ相場は米国景気や国際原油価格を追い風に底堅く推移する一方、米FRBの政策運営の影響を受けやすく、中銀は景気動向と関係なく対応を迫られる可能性もある。先行きは「政治の季節」が近付くなかで政権が左派的な政策に舵を切るリスクにも注意する必要があろう。

メキシコ経済を巡っては、輸出がGDPの4割強に達するなど構造的に輸出依存度が比較的高い上、輸出の8割を米国向けが占めるなど、米国経済の動向の影響を受けやすい特徴がある。昨年来の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)では、米国が感染拡大の中心地となるなど米国経済に急ブレーキが掛かったことに加え、同国でも感染拡大の動きが広がったことで政府は都市封鎖(ロックダウン)を発動して幅広い経済活動が制約され、内・外需双方で景気に大きく下押し圧力が掛かった。ここ数年の同国はトランプ前政権の下で米国が様々な『圧力』を掛ける動きが続いたことに加え、主力の輸出財である国際原油価格の低迷が長期化したことも重なり、景気は『右肩下がり』の展開が続いてきたが、昨年の経済成長率は▲8.2%と前年(同▲0.1%)から2年連続のマイナス成長となるなど新型コロナ禍が『ダメ押し』した格好である。しかし、昨年末にかけては米国での感染拡大一服を受けて経済活動が再開されるなど景気の底入れが進んだことに加え、景気の急減速を受けて政府は感染収束にほど遠い状況ながら経済活動を重視すべく段階的に都市封鎖を解除する動きをみせたため、実質GDP成長率は前期比年率ベースで2四半期連続の二桁%となるなど景気は一転底入れの動きを強めている。足下における同国内での累計の感染者数は238万人強であるにも拘らず、死亡者数は22万人を上回るなど、他国に対して感染者数に対する死亡者数が突出していることで注目を集めるとともに、政府は3月末に昨年の『超過死亡』が41.7万人を上回ったとの試算を公表するなど1 、実態は極めて厳しい状況にあることが示された。なお、都市部を中心に医療崩壊状態に陥ったことも影響して年明け直後にかけて新規感染者数は拡大傾向を強める動きがみられたものの、その後は一転して頭打ちするなど一見すれば状況は改善しているようにみえる。ただし、新規の感染者数は減少しているものの、罹患者数は一向に増えない一方で死亡者数は拡大傾向を強めている上、結果的に感染者数は過去数ヶ月に亘って26万人前後で推移する展開が続いており、医療現場を取り巻く状況は依然として厳しい環境にあると捉えられる。他方、同国では昨年末から医療従事者を対象に米国製ワクチンの接種が開始されたほか、ロシア製ワクチンや中国製ワクチンを確保する動きをみせるとともに、米バイデン政権は米国で未承認の英国製ワクチンを同国に貸し出す動きもみられるなど、ワクチン調達を積極化させてきた。よって、今月17日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は8.26%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)は12.06%と世界平均(それぞれ4.59%、9.09%)を上回るなどワクチン接種は大きく前進している。また、ロペス・オブラドール大統領は同国が乾季入りする10月末を目途に全国民(1億2,600万人強)に少なくとも1回はワクチン接種を終えることを目指す方針を表明するなど、ワクチン接種を加速させる姿勢を示している。こうした動きは、政府が早期のワクチン接種による集団免疫の獲得を通じて経済活動を優先することを示しているとみられ、足下で家計及び企業部門ともにマインドは底入れの動きを強めていることを勘案すれば、新規感染者数が一段と鈍化傾向を強めることでそうした動きが一段と加速することが期待される。昨年は新型コロナウイルスのパンデミックによる世界経済の減速や国際原油価格の低迷に伴う財政状況の悪化などを理由に主要格付機関が相次いで格下げを実施し、追加利下げを示唆する動きもみられたが、足下では国際原油価格の底入れに伴う財政状況の改善期待を理由に一転して据え置いている。他方、各機関は現政権が石油関連セクターの国営化を志向するなかで、厳しい財務状況が続く国営石油公社(PEMEX)への支援の行方に加え、長期的に経済成長及び投資動向が低迷していることに懸念を示しており、来月に実施される連邦議会下院選挙及び地方総選挙の行方如何ではそうした懸念が再燃するリスクはくすぶると判断出来る。

図1 新型コロナの新規感染者・死亡者(累計)の推移
図1 新型コロナの新規感染者・死亡者(累計)の推移

図2 消費者信頼感と製造業PMIの推移
図2 消費者信頼感と製造業PMIの推移

一方、年明け以降のメキシコ経済については、最大の輸出相手である米国経済の堅調さに加え、全世界的な金融緩和を背景とする『カネ余り』を追い風に国際金融市場が活況を呈する動きをみせるなど、景気の追い風になる動きがみられるにも拘らず、1-3月の実質GDP成長率(速報値)は前年同期比▲2.9%と引き続きマイナス成長で推移しており、前期比年率ベースでも+2.2%程度と試算されるなど底入れの動きを強めてきた動きも『踊り場』を迎えている様子がうかがえる。さらに、実質GDPの水準は新型コロナウイルスのパンデミックの影響が及ぶ直前である一昨年末を比較して▲4.0%程度下回るなど、依然として新型コロナ禍は同国経済に強い爪痕を残している状況は変わっていない。上述のように足下の米国経済は一段と底入れの動きを強めている上、その動きに呼応するように企業及び家計部門のマインドが改善傾向を強めていることは先行きの景気の追い風になることが期待される。ただし、昨年半ば以降の世界経済の回復を追い風に原油をはじめとする国際商品市況が底入れの動きを強めるなか、足下では世界的にインフレ圧力が強まっており、一部の新興国では通貨安による輸入物価の上昇も相俟ってインフレ圧力が増幅される動きも顕在化している。メキシコの通貨ペソ相場については、米国経済の堅調さが景気の追い風になるとの期待や国際原油価格の底入れの動きなどを背景に比較的堅調な推移が続いている。直近4月のインフレ率は前年同月比+6.08%と昨年同月に都市封鎖が実施された影響で大きく下振れした反動で加速しており、中銀の定めるインフレ目標(3±1%)を大きく上回る水準となっている。なお、中銀は13日に開催した定例会合で政策金利を2会合連続で4.00%に据え置く決定を行い、物価動向について「物価のリスクバランスは上方に傾いている」との認識を示した上で「不確実性が極めて高い環境のなか、物価動向、経済活動、金融市場に対するリスクが金融政策の主要テーマとなっている」との見方を示すなど、2月の利下げ決定に際しては国際金融市場で追加緩和観測が高まる動きがみられたものの2 、そうした状況は一変していると捉えられる。足下のペソ相場については上述した追い風となる材料がある一方、米FRB(連邦準備制度理事会)の対応を巡って国際金融市場を取り巻く環境に不透明感が高まる状況ではその影響を受けやすく、先行きについては物価上振れの影響も重なり、同国中銀も景気動向と関係なく米FRBと足並みを揃える対応を迫られることが予想される。さらに、来月に実施される連邦議会下院選や地方総選挙後の政局を巡る勢力図如何では、元々バラ撒き志向の強い財政運営に加え、石油関連セクターの国家資本主義化を掲げて当選したロペス・オブラドール大統領がそうした政策実現に大きく舵を切るリスクもくすぶる。ここ数年の中南米では、同国やアルゼンチンで相次いで左派政権が誕生したほか、先月のペルー大統領選(第1回投票)でも急進左派の候補がトップに立ち3 、コロンビアでも政府の財政健全化策をきっかけに反政府デモが活発化しており4 、チリでも憲法改正議論が急進方向に舵が切られる可能性が高まっている5 。そうした流れの『先兵』である同国では、事前予想に反してロペス・オブラドール政権が現時点では穏当な政策運営を維持したことで政治が金融市場の混乱要因となる事態は避けられているものの、今後は2024年の次期大統領選及び連邦議会上下院総選挙といった『政治の季節』が近付くなかで急進的な政策に舵を切る誘因が高まることも予想されるなど慎重な見方が必要になるであろう。

図3 実質GDP成長率の推移
図3 実質GDP成長率の推移

図4 インフレ率の推移
図4 インフレ率の推移

図5 ペソ相場(対ドル)の推移
図5 ペソ相場(対ドル)の推移

以上


西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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