エコノミストの経済・投資の先を読む技法 エコノミストの経済・投資の先を読む技法

イラン攻撃で浮き彫りになる正常性バイアス

~戦闘長期化リスクに備えて~

熊野 英生

要旨
  • 危機が起こっても、人々には今までの生活が目先ずっと続くだろうという心理バイアスがある。私たちは万一に備えて、節電などの取り組みに動こうとするとき、この正常性バイアスが問題になる。
  • これから、原油の供給が不安定化することに備えるのならば、短期・中期・長期の3段構えでエネルギー政策を練り直していく必要があると考える。
目次

※本稿はロイター通信に寄稿したものをもとにレポートにしたものである。

停戦協議

米国とイランの停戦協議は2回目が行われる模様である。しかし、協議が難航し、合意ができるかどうかはわからない。むしろ、何らかの停戦合意が行われても、日本への原油供給にはしばらくは制約が生じる可能性があることに注意を払っていく必要があろう。筆者はそうしたリスク・シナリオへの対応を考えるときに、人々には「正常性バイアス」という問題があると考えている。以下では、そうした問題意識の下で何をすればよいのかを考えてみた。

正常性バイアス

災害が起こっても、自分だけは被害に遭わないと信じ込んで、回避行動を採らない人がいる。最近の心理学では、こうした行動バイアスのことを「正常性バイアス」と呼んでいる。大衆の心理は、たとえ危機が起きている最中でも、いつまでも正常なままで居られるという慣性力に流されやすい。

私たちは、イラン攻撃によって石油消費をいくらか節約しなければ、もしかすると日本に輸入されてくる原油の量が制限されて、備蓄の取り崩しでも必要量をまかなえなくなる日が来るかもしれない。日本の備蓄原油は、4月11日時点で225日分あるとされる(1日消費量180万バレルの前提)。日本で何も節約することを考えずに、イラン攻撃前のように電気、ガス、ガソリンなどを使っていると、備蓄原油はもっと早く底をつく可能性もある。識者の中には、1日の消費量が実際は300万バレル以上もあって、備蓄日数が4〜5か月分しかないと言う人もいる。

人々に強い正常性バイアスがあるとき、政府が「日本は十分な備蓄があるから安心して下さい」と説明すると、消費量が減らずにかえって備蓄日数が短くなってしまうのではないか。それよりも、「万一に備えて、不要不急の自動車の使用は控えましょう」と訴える方が備蓄日数を増やせるので好ましい。筆者は、政府が国民を啓蒙するかたちで万一に備えた節約を呼びかけることを望む。

実は、アジア諸国の中には、節約を国民に呼びかけている国が多くある。筆者が数えただけでも16か国になる。この中には、備蓄日数が少ない国もあるが、韓国のように200日程度の長い日数で備蓄を持っている国もある。万一に備える発想を重視している国には、政府が先手を打って、エネルギー管理に動いている。

円安バイアスへの連鎖

さて、日本が他国よりも正常性バイアスが強く働くとすれば、それはマーケットをどう動かすのであろうか。

筆者は、さらなる円安を促すだろうと考えている。例えば、政府が原油高騰の悪影響を封じるために、ガソリン補助金や電気・ガス代支援をもっと積極的に行うことがシナリオとしてはある。正常性バイアスとは、すでに外部環境が変化しているのに、自分の暮らしはそのまま維持できると信じる現状維持思考に通じる。仮に、政府がそうした国民意識にあまりに強くおもねると、極力、インフレ圧力を見えにくくするような価格維持政策をどこまでも突き進むことになる。財政支出を投じて、痛み止めが効く限りそれを続けようとするだろう。しかし、それは貿易収支の赤字拡大を間接的にサポートして、円安圧力となるだろう。

では、仮に日本に入ってくる原油が本当に乏しくなり、備蓄放出でも賄い切れない状態になると、為替レートはどうなるのか。それは、エネルギー制約によって経済活動が部分的に停滞することを引き起こす。輸出は減って、経済成長率も低下するから、こちらも円安要因である。

バイアスに流されない対応

日本の経済政策は、もっと短期・中期・長期といった異なる時間軸で優先順位を明確にして組み立てられた方がよい。現在は、そうした軸があいまいで、短期の対策が無期限に続けられる印象が強い。

エネルギー政策は、短期的には価格補助を行ってもよいと思うが、それは3か月とか、6か月とか期限を設ける。その3〜6か月の間に節電計画の準備をして、エネルギー消費を抑える。日本のエネルギー効率は年々低下しているようだから、中期的には効率化は流れに沿ったものと言える。電源構成を見直して、脱化石燃料を進めていく。長期的には脱炭素化で、EVや水素自動車へのシフトや、産業のエネルギー転換が求められる。実際、電源構成の見直し計画や脱炭素目標はすでにあるので、そうした計画の実効性を高めていけばよいだけである。

おそらく、その推進をするときに障害になっているのが、短期的な痛み止めを継続するような政策志向である。これは姿を変えた正常性バイアスが、政策志向に強く反映しているということだろう。

円安是正に向けた日銀の利上げについても、根強い反対論がある。日銀関係者は、日本の実質金利は低すぎるから、これを中立金利水準まで戻そうと言っている。この金利正常化は、2022年以降の実質金利低下を物価上昇トレンドに合わせて是正していくものになる。筆者の実感では、イラン攻撃によって、インフレ予想は高まっているから、「名目中立金利=実質中立金利+期待インフレ率」は+0.5〜+1.0%程度ほど上振れしていると思う。日銀が目指す名目中立金利はより上昇しているはずだ。こうした環境変化を織り込まずに、今の政策金利をずっと据え置くスタンスを強く打ち出すと、為替レートの円安化はさらに助長されるだろう。

熊野 英生


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一ライフ資産運用経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

熊野 英生

くまの ひでお

経済調査部 首席エコノミスト
担当: 金融政策、財政政策、金融市場、経済統計

執筆者の最近のレポート

関連テーマのレポート

関連テーマ