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政府債務残高の対GDP比引き下げにある弊害

~インフレによる調整で資産価値に打撃~

熊野 英生

要旨

高市政権は、財政運営に関して、政府債務残高の対名目GDP比を引き下げていく方針を掲げる。しかし、この方針を守っても長期金利が上昇するリスクはなくならない。むしろ、政府債務以外の家計や企業の運用資産がインフレで目減りする弊害が生じてしまう。金融抑圧というリスクが高まる。

目次

マーケットの信認

高市政権は、10月24日の所信表明演説で経済財政政策の基本方針を示した。その中で注目されるのは、「政府債務残高の対GDP比を引き下げていくことで、財政の持続可能性を実現し、マーケットからの信認を確保していく」と謳われた点だ。この文言のうち「マーケットの信認」とは、長期国債の需給を大きく悪化させるような財政運営を行わないというメッセージであろう。しかし、政府債務残高の対名目GDP比を現状よりも引き下げていくことでは、債券需給を改善することにはつながらない。つまり、長期金利上昇リスクはつきまとうということである。需給改善を考えるのならば、むしろ、基礎的財政収支(PB)を黒字化の方向にもっていくことが望まれる。PBを黒字化させると、国債残高は元本部分が純減になるからだ。

現在、警戒されているのは、経済対策を盛り込んだ2025年度補正予算が巨大化することだ。新規国債発行の増加が債券需給を悪化させるからである。高市首相は、政府債務残高の対GDP比の低下で財政悪化への配慮を訴えるが、それは積極的な財政出動を始めるときの口実に聞こえる。名目GDPが拡大すれば、対GDPの残高が実質的に低下するからよいではないか、という理屈に思える。

しかし、財政悪化によって長期金利が上昇するリスクは高まるのだから、それを看過できない。もしも、長期金利が中長期的に高止まりすれば、既存債務の借り換えコスト(利払い費)が膨らみ、政府債務が発散するリスクが生じる。高市首相のロジックは、そうした金利上昇リスクにあまり注意を払っていないように感じる。

なお、石破前政権の下で予想されていた政府債務残高の対名目GDPの比率(成長移行ケース、復旧・復興対策費等を含むベース)は、2024年度202.7%→2029年度189.6%→2034年度176.6%の見通しであった(図表1、2025年8月経済財政諮問会議)。政府債務残高のうち、国分だけでみると、2024年度176.1%→2029年度170.0→2034年度161.8%である。161.8%は10年かけて随分と低下していくように見えるが、コロナ前の2019年度161.0%以下には戻っていない。政府債務の対GDP比率という甘い基準でみても、あまり目に見えた成果に思えない。

図表
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ところで、政府債務残高の対名目GDP比率を引き下げていくには、どういった経済条件が必要になるのか。まずは、名目GDPの伸び率を高めることである(8月の内閣府試算では2024~2029年度平均年2.9%成長)。しかし、足元の日本の潜在成長率は0.5%前後である。この数字は短期的に高まりにくい。そうなると、GDPデフレーターを高めざるを得ない。つまり、インフレ加速を意味する。2025年8月の政府試算(成長移行ケース)では、2024~2026年度は消費者物価が年平均2.3%ずつ上昇する見通しであった。

高市首相は、様々な場面でインフレ加速に寛容な印象が感じられる。もしも、インフレ率が高まれば、もう一方で物価高対策とは相反する。インフレ率をそのままにして物価高対策を推進しようとすると、減税など家計支援を繰り返さざるを得なくなる。財政出動も自ずと膨らんでいく。

そうなると、政府債務残高の増加を抑えるためには、長期金利を低くせざるを得ない。かつては、物価上昇率と長期金利の関係性は、長期金利の方が高かった(図表2)。長期国債の借り換え時に長期金利が高いと、その分、国債費が膨らんで歳出拡大が進む。政府債務の発散を抑えるために、「長期金利<名目成長率」という関係を長期的に作っていかなくてはいけない。現時点では、まだ長期金利の水準は1%台後半で十分に余裕がある。しかし、金融政策には暗黙のうちに、緩和的なスタンスを維持する圧力が加わるだろう。このことは、黒田緩和の時代を思い出せばよくわかる。日銀の政策は、なるべく利上げを最小限に止めて、長期金利を低位に釘付けにする役割を担わされた。植田日銀は、金利のある世界に移行しているので、この方針とどう向き合っていくのかが問われる。筆者は、政府債務の発散を避けるために、あまりに高い長期金利になることは慎むべきだと考えるが、今のところ長期金利を低位安定に据え置きすぎて、財政規律が不安定化するリスクの方が高まっている気がする。日銀も「政府債務残高の対名目GDPの比率を引き下げていく」方針を意識して、政策金利を抑制した方がよいという配慮が強まることで、後手(ビハインド・ザ・カーブ)の金融政策になるのではないかと心配される。

図表
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インフレ課税の圧力

経済原理として、対名目GDPで債務を下げていくとはどういうことだろうか。インフレが起こるとき、政府債務が目減りすると同時に、あらゆる負債、元本固定の金融資産が目減りする。こうしたインフレ調整=インフレ課税は、バランスシートの右側(負債)が減れば、同時に左側(資産)も減るという考え方だ。つまり、家計金融資産2,239兆円(2025年6月末)もまた、預貯金などを中心に実質的な目減りが起こるということだ。コロナ以降の5年間ですでに10%以上の物価上昇=通貨減価が起こっている。

こうした目減りは、長短金利の水準があまりに低くて、物価上昇率に割り負けてしまうから起こる。かつては、長期金利>消費者物価上昇率という時代が長く続いていた。海外でも、そうした水準の長期金利で推移している。

こうした現象の弊害は、運用資産が目減りしてしまうことである。例えば、10年後に年金生活を始める人の運用利回りが1%であればどうなるか。物価が年2%の上昇で約20%ほど上がっているのに、運用利回りが約10%では割り負けてしまう。実質的に老後の資金が目減りしていることになる。特に、元本が安定している保守的運用に徹している場合は、実質利回りがマイナスになりやすい。こうした弊害は、金融抑圧と呼ばれる。人為的な金利抑制の弊害を意味する。

年金運用の場合は、国内株や海外株・外貨資産を組み込んでいるので、必ずしも運用全体では割り負けることはない。しかし、多くの企業・家計には、安全資産を中心とした保守的運用を自分のルールにしている主体も多く、彼らはインフレ課税によって浸食されている。

もしも、政府が日銀に政策金利の引き上げを慎重化することを求め、長期金利についても上昇を抑制する方針であれば、運用利回りがインフレ率を下回り続けて、実質的な運用利回りはマイナスを抜け出せないだろう。保守的運用という方針を維持する個人や事業者は、インフレ課税の悪影響をより受けやすいとみられる。

熊野 英生


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

熊野 英生

くまの ひでお

経済調査部 首席エコノミスト
担当: 金融政策、財政政策、金融市場、経済統計

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