中国当局が目指す「経済の安定」の観点からみたウクライナ問題

~物価安定に向けた食料・エネルギー安全保障を勘案すれば、中ロ接近の可能性は充分に考えられる~

西濵 徹

要旨
  • このところの中国経済は当局の「ゼロ・コロナ」戦略に加え、ウクライナ問題の激化を受けて景気の先行きへの不透明感が強まっている。なお、今月5日に開幕した全人代では財政及び金融政策の強化による「経済の安定」を目指す方針が強調された。足下の感染動向は人口規模を勘案すれば落ち着いているが、香港での感染爆発を受けて再拡大するなど「制圧」にはほど遠い状況が続く。政治の季節が近付くなかで「ゼロ・コロナ」の旗を降ろせない一方、物価及びエネルギー面で不透明感が高まるなど対応は困難さを増している。
  • 川上の物価に当たる2月の生産者物価は前年比+8.8%と伸びは鈍化するも、前月比は+0.5%と3ヶ月ぶりの上昇に転じるなど、国際商品市況の上昇が物価を押し上げている。企業部門は物価上昇圧力に直面する一方、当局は消費財への価格転嫁を事実上制限していることを受け、消費者物価は前年比+0.9%と低調な推移が続いている。生活必需品を中心に物価上昇圧力がくすぶるも、春節連休中の帰省自粛なども影響してコアインフレ率は低迷している。物価の動きは引き続き「ワニの口」の様相を呈する展開が続いている。
  • ウクライナ問題を巡っては、中国政府は表面上静観する構えをみせつつ、欧米諸国の対ロ経済制裁に反対する姿勢をみせる。中国にとって経済の安定の実現が重要課題となるなか、ロシアのウクライナ侵攻を是認出来ないが、経済安定の肝となる物価安定に向けてロシアとの接近を強める可能性は充分に考えられる。

中国経済を巡っては、当局による『ゼロ・コロナ』戦略の堅持が幅広い経済活動の足かせとなる展開が続いている上、ウクライナ問題の激化を受けて原油をはじめとする国際商品市況は上昇の動きを強めているほか、世界経済に悪影響を与える可能性も高まるなど、景気の先行きに対する不透明感が急速に強まっている。こうしたなか、今月5日に開幕した全人代(第13期全国人民代表大会第5回全体会議)では、今年の経済成長率目標を「5.5%前後」に引き下げる一方、その実現のハードルが低くないなかで財政及び金融政策の強化を通じて『経済の安定』を図る方針が示された(注1)。この背景には、今秋に開催予定の5年に一度の共産党大会(中国共産党第20回全国代表大会)において習近平指導部が異例の3期目入りを目指すなど『政治の季節』が近付いており、その円滑な実現には経済の安定がなにより重要になっていると考えられる。なお、中国国内における新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染動向については、散発的に感染拡大の動きが広がる動きがみられる一方、14億人強という人口規模を勘案すれば比較的落ち着いた推移が続いていると捉えることが出来る。ただし、先月以降は香港において感染が急拡大する動きが広がっており、香港に隣接する広東省にも感染が広がる動きがみられるほか、広東省以外にも吉林省や山東省など距離的に離れた地域でも感染拡大が確認されるなど、当局が目指す『制圧』にはほど遠い状況が続いている。他方、当局の『ゼロ・コロナ』戦略は幅広い経済活動を制約するとともに、雇用回復の足かせとなるなど家計消費をはじめとする内需の回復を阻害する一因となっている。こうした状況にも拘らず、当局が『ゼロ・コロナ』戦略の旗を降ろすことが出来ない背景には、上述した共産党大会における安定的な政権維持という環境も影響していると捉えられる。ただし、雇用の回復の遅れは内需の足かせとなる一方、昨年来の原油をはじめとする国際商品市況の上昇は企業部門を中心にコスト上昇圧力となるなか、当局は家計消費への悪影響を懸念して消費財への価格転嫁を事実上制限する動きをみせてきた。結果、企業部門が直面する生産者物価は上昇傾向を強める一方、家計部門が直面する消費者物価は低調な推移が続くなど対照的な動きが続いている(注2)。足下においてはウクライナ情勢の悪化や欧米諸国による経済制裁も影響して国際商品市況は上昇の動きを強めるなど物価に対する不透明感が高まるなか、全人代で当局は物価安定を目的にエネルギー安全保障や食料安全保障を強化する姿勢を示しており、経済の安定実現に向けて物価が重要になっていると捉えることが出来る。

図 1 中国国内における感染動向の推移
図 1 中国国内における感染動向の推移

なお、2月の生産者物価(出荷価格)は前年同月比+8.8%と前月(同+9.1%)から伸びが鈍化しており、一見すれば頭打ちの動きを強めている様子がうかがえるものの、前月比は+0.5%と前月(同▲0.2%)から3ヶ月ぶりの上昇に転じるなど川上の段階ではインフレ圧力がくすぶる展開が続いている。さらに、生産者物価(購買価格)も前年同月比+11.2%と前月(同+12.1%)から鈍化するも出荷価格を上回る伸びが続いているほか、前月比も+0.4%と前月(同▲0.4%)から3ヶ月ぶりの上昇に転じており、企業部門はインフレ圧力に直面する状況が続いている。原油をはじめとする国際商品市況の上昇の動きを反映して、燃料関連や非鉄金属関連を中心に調達価格が押し上げられているほか、原材料価格の上昇を受けて企業間取引レベルでは出荷価格に上昇圧力が掛かる動きがみられる。一方、上述のように当局は景気への悪影響を避けるべく消費財への価格転嫁を事実上制限させており、この動きを反映して消費財の出荷価格は引き続き横這いで推移している。さらに、このところは大手EC(電子商取引)サイト間の価格競争が激化しているほか、新型コロナ禍や当局による『ゼロ・コロナ』戦略も影響して小売市場におけるECの存在感が一段と高まっていることも消費財価格の重石になっているとみられる。川下段階に当たる2月の消費者物価は前年同月比+0.9%と前月(同+0.9%)と同じ伸びで推移しており、引き続き低調な動きが続いている。ただし、前月比は+0.6%と前月(同+0.4%)から2ヶ月連続で上昇している上、そのペースも加速するなど着実にインフレ圧力が強まっている様子がうかがえる。供給不足の緩和を受けて豚肉(前月比▲4.6%)は下落しているものの、需要拡大が続く牛肉(同+0.8%)や羊肉(同+0.3%)は上昇が続いているほか、野菜(同+6.0%)や魚介類(同+4.8%)、果物(同+3.0%)など生鮮品をはじめとする食料品価格は上昇傾向を強めている上、国際原油価格の上昇の動きを反映してガソリン(同+6.1%)をはじめとするエネルギー価格も上昇するなど、生活必需品を中心にインフレ圧力が強まっていることが影響している。なお、食料品とエネルギーを除いたコアインフレ率は前年同月比+1.1%と前月(同+1.2%)から伸びがわずかに鈍化している。前月比は+0.2%と前月(同+0.1%)からわずかに上昇ペースが加速しているものの、これは春節連休の時期が重なった影響で観光(前月比+1.0%)など一部のサービス物価に押し上げ圧力が掛かっていることが影響している一方、その影響を除けばほぼ横這いで推移していると捉えられる。事実、例年は春節連休の時期はサービス物価に上昇圧力が掛かりやすい時期であるにも拘らずサービス物価は前月比+0.0%と横這いで推移しており、今年は当局の『ゼロ・コロナ』戦略を受けて帰省の自粛が呼び掛けられ、春節期間中の旅客数は例年の半分程度に留まったことも物価の重石になっている。さらに、上述のように企業部門は原材料価格の上昇を消費財価格に転嫁出来ない状況が続いており、こうしたことも足下の消費者物価が伸び悩む一因になっているとみられる。

図 2 生産者物価(出荷価格)の推移
図 2 生産者物価(出荷価格)の推移

図 3 インフレ率の推移
図 3 インフレ率の推移

ウクライナ問題の深刻化を巡っては、中国政府はロシア、ウクライナ双方と関係強化を図ってきた経緯も影響して表面上は静観する構えをみせる一方、欧米諸国によるロシアへの経済制裁に反対する考えを示している。こうした背景には、欧米諸国による対ロ制裁は世界経済及び国際金融市場に悪影響を与えることが懸念される上、すでに原油をはじめとする国際商品市況は上昇の動きを強めるなど、早くもその影響が顕在化する動きがみられることも影響している。さらに、先月行われた中ロ首脳会談においては、中国がロシア産小麦の輸入拡大に向けた規制解除のほか、原油及び天然ガスの輸入拡大、両国間の貿易決済を巡る自国通貨の利用拡大で合意しており、こうした動きは事実上ロシアに対する支援に繋がると見込まれる。事実、1-2月の中国のロシアからの輸入額は前年同月比+40.1%と高い伸びが続いているほか、ロシア向けの輸出額も同+41.4%と輸入同様に高い伸びで推移しており、中ロ間の経済的な結び付きが強まる動きがみられる。上述のように、中国にとっては食料品やエネルギーなど生活必需品を中心とする物価上昇が景気回復の足かせとなる懸念がくすぶるなか、食料安全保障及びエネルギー安全保障を担保する観点からロシアとの関係強化に動く可能性も考えられる。なお、ロシアによるウクライナ侵攻の『名目』については、香港や台湾などの問題を勘案すれば中国当局がこれを是認することは出来ないものの、欧米諸国とロシアとの亀裂が深まるなか、米中摩擦を抱える中国にとっては『敵の敵は味方』との論理を背景に中ロが接近を一段と強める可能性はある(注3)。よって、中国当局が目指す経済の安定を図る観点では、ウクライナ問題に対して表面的には明確な態度を示さないものの、物価安定に向けてロシアへの接近を進めることは充分に考えられる。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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