ECB3.0始動

~緩和長期化を示唆、変異株の感染拡大でテーパリング後ずれも~

田中 理

要旨

連休中に結果が発表されたECB理事会は、18年振りの金融政策に関する戦略検証後で初の会合となった。物価安定の定義を対称的な2%と一時的な上振れを容認する形に変更したことを受け、政策金利に関するフォワードガイダンスが修正された。新たなガイダンスでは、予測期間の中間時点で2%の物価目標に到達し、残りの予測期間中も2%を維持し、中期的な基調インフレが2%で安定すると判断されるまで、利上げを開始しないとし、緩和長期化が示唆される。来年3月末に終了期限を迎えるパンデミック緊急資産買い入れプログラム(PEPP)や、従来からの資産買い入れプログラム(APP)の今後の運営方針に関するヒントはなく、スタッフ見通しが発表される9月や12月の理事会での決定が次の焦点となる。9月にPEPPのテーパリングが決定されることをメインシナリオとして維持するが、最近のデルタ変異株の感染拡大で景気や物価の先行き不透明感が高まる場合、テーパリング開始時期の後ずれや買い入れ継続の可能性が高まる。

日本が連休中の22日に終わったECB理事会は、8日に発表された戦略検証の結果(9日付けレポート「ECBが戦略検証の結果を発表」を参照されたい)を反映した初の会合で、修正後の中期的な物価安定の定義に基づき、政策指針(フォワードガイダンス)がどのように変更されるかに注目が集まった。

そこでは、政策金利に関するフォワードガイダンスが変更され、一時的に2%の物価目標を上回る可能性が示唆された。ラガルド総裁は理事会後の記者会見で新たなガイダンスを構成する3つの要件を説明した。第1に、インフレ率が予測最終期よりも“かなり手前(well ahead)”で2%に到達する。なお、総裁は“かなり手前”が予測作業の中間地点(the mid-point of the forecasting exercise)であると説明した。第2に、残りの予測期間中も2%を“維持する(durably)”。第3に、基調的なインフレ率が中期的にインフレ率が2%で安定するのと整合的な状況に向かって十分に進み(sufficiently advanced)と判断される。つまり、ECBが利上げを開始するには、予測期間の中間時点で2%の物価目標に到達し、残りの予測期間中も2%を維持し、中期的な基調インフレが2%で安定すると判断される必要がある。そして、目標到達の過程でインフレ率が一時的に2%を超過する可能性があることを認めている。つまり、利上げの行方は物価の将来的な見通しに基づいており、ラガルド総裁は、こうした見通しがECBが四半期毎に公表するスタッフ見通しに理事会の見解を加味して判断されるとしている。6月のスタッフ見通しでのインフレ率は、原油価格上昇の影響で2021年後半に2%を上回った後、2022~23年の大半は1.4~1.5%で推移する。中間時点である2022年央のインフレ率、残りの予測期間のインフレ率、予測最終期のインフレ率は何れも2%に届かず、予測期間中の利上げは想定されない。

変更前後の具体的な文言を比較すると以下の通り。

(変更前)予測期間中のインフレ見通しが2%を下回るが、それに十分近い水準にしっかりと収束し、そうした収束が基調的なインフレ動態に一貫して反映されるまでは、理事会は主要な政策金利が現在と同じかそれを下回る水準にとどまると想定する。

We expect them to remain at their present or lower levels until we have seen the inflation outlook robustly converge to a level sufficiently close to, but below, two per cent within our projection horizon, and such convergence has been consistently reflected in underlying inflation dynamics.

(変更後)対称的な2%のインフレ目標と金融政策戦略に従い、インフレ率が予測最終期よりもかなり手前で2%に到達し、残りの予測期間中もそれを維持すると見られるまで、そして基調的なインフレ率の実現した進捗が、中期的にインフレ率が2%で安定するのと整合的な状況に向かって十分に進むと判断されるまで、理事会は主要な政策金利が現在と同じかそれを下回る水準にとどまると想定する。これはまた、インフレ率が一時的に目標をやや上回る期間があるかもしれないことを示唆する。

In support of its symmetric two per cent inflation target and in line with its monetary policy strategy, the Governing Council expects the key ECB interest rates to remain at their present or lower levels until it sees inflation reaching two per cent well ahead of the end of its projection horizon, and durably for the rest of the projection horizon, and it judges that realised progress in underlying inflation is sufficiently advanced to be consistent with inflation stabilising at two per cent over the medium term. This may also imply a transitory period in which inflation is moderately above target.

また、政策調整のガイダンスも、新たな物価目標を反映し、下記の通りに修正された。

(変更前)対称性へのコミットメントに沿って、インフレ率が持続的に目標に向かって進むよう、必要に応じて全ての手段を調整する用意がある。

We stand ready to adjust all our instruments, as appropriate, to ensure that inflation moves towards our aim in a sustained manner, in line with our commitment to symmetry.

(変更後)インフレ率が中期的に2%の目標値で安定するよう、必要に応じて全ての手段を調整する用意がある。

The Governing Council stands ready to adjust all of its instruments, as appropriate, to ensure that inflation stabilizes at its two per cent target over the medium term.

それ以外のフォワードガイダンスは、下記の通りに変更なし。

従来からの資産買い入れプログラム(APP)のガイダンスは、「月額200億ユーロの純資産購入を、政策金利の緩和効果を強化するのに必要な限り続け、主要な政策金利の引き上げを開始する直前に終了する」。

Net purchases under the APP will continue at a monthly pace of 20 billion euro. The Governing Council continues to expect monthly net asset purchases under the APP to run for as long as necessary to reinforce the accommodative impact of its policy rates, and to end shortly before it starts raising the key ECB interest rates.

APPの再投資のガイダンスは、「主要な政策金利の引き上げを開始した後も相当な期間、緩和的な流動性環境と十分な金融緩和を維持するうえで必要な限り、APPで購入した満期を迎えた証券の元本支払いを全額再投資し続ける」。

The Governing Council also intends to continue reinvesting, in full, the principal payments from maturing securities purchased under the APP for an extended period of time past the date when it starts raising the key ECB interest rates, and in any case for as long as necessary to maintain favourable liquidity conditions and an ample degree of monetary accommodation.

パンデミック緊急資産買い入れプログラム(PEPP)の買い入れ枠と期間のガイダンスは、「PEPPに基づく純資産買い入れは、総額1兆8,500億ユーロの範囲内で、少なくとも2022年3月末まで、その後もコロナウイルスの危機的状況が終息したと判断されるまで継続する」。

The Governing Council will continue to conduct net asset purchases under the PEPP with a total envelope of 1,850 billion euro until at least the end of March 2022 and, in any case, until it judges that the coronavirus crisis phase is over.

PEPPの買い入れペースのガイダンスは、「6月の理事会で行った資金調達環境とインフレ見通しの共同評価を裏付ける新たな情報に基づき、今四半期のPEPPに基づく資産買い入れは引き続き、年初数ヵ月を大幅に上回るペースで行う。」

As the incoming information confirmed the joint assessment of financing conditions and the inflation outlook carried our at the June monetary policy meeting, the Governing Council continues to expect purchases under the PEPP over the current quarter to be conducted at a significantly higher pace than during the first months of the year.

PEPPの再投資のガイダンスは、「少なくとも2023年末までは、PEPPで購入した満期を迎えた証券の元本支払いを再投資し続ける。何れにしても、PEPPのポートフォリオの将来的なロールオフ(保有解消)は、適切な金融政策スタンスに支障が出ないように管理される」。

The Governing Council will continue to reinvest the principal payments from maturing securities purchased under the PEPP until at least the end of 2023. In any case, the future roll-off of the PEPP portfolio will be managed to avoid interference with the appropriate monetary policy stance.

PEPPの買い入れ対象などのガイダンスは、「市場環境に応じて柔軟に買い入れを行い、予想されるインフレ経路に与えるパンデミックの下押し影響に対処することと矛盾する資金調達環境の引き締まりを防ぐことを目的とする。加えて、時間、資産クラス、国・地域毎に柔軟な購入を行うことで、金融政策の円滑な伝達を引き続き後押しする。PEPPの買い入れ期間の間に買い入れ枠を使い切らずに、良好な資金調達環境を維持することができるならば、買い入れ枠を完全に使い切る必要はない。同様に、パンデミックのインフレ経路に対するネガティブな影響に対処するため、良好な資金調達環境を維持する必要がある場合、買い入れ枠を再調整することができる」。

The Governing Council will purchase flexibly according to market conditions and with a view to preventing a tightening of financing conditions that is inconsistent with countering the downward impact of the pandemic on the projected path of inflation. In addition, the flexibility of purchases over time, across asset classes and among jurisdictions will continue to support the smooth transmission of monetary policy. If favourable financing conditions can be maintained with asset purchase flows that do not exhaust the envelope over the net purchase horizon of the PEPP, the envelope need not to be used in full. Equally, the envelope can be recalibrated if required to maintain favourable financing conditions to help counter negative pandemic shock to the path of inflation.

条件付き長期リファイナンスオペ第三弾(TLTRO3)のガイダンスは、「リファイナンスオペを通じて十分な流動性を引き続き供給する。特にTLTRO3は銀行にとって魅力的な資金調達源であり続け、企業や家計への銀行融資を後押しする」。

The Governing Council will continue to provide ample liquidity through its refinancing operations. In particular, the third series of targeted longer-term refinancing operations (TLTRO III) remains an attractive source of funding for banks, supporting bank lending to firms and households.

APPのガイダンスは従来通り、利上げ開始直前に買い入れを終了するとし、政策金利に紐づけられている。PEPPのガイダンスは、コロナ危機終息を条件とし、政策金利に紐づけられていない。今回、政策金利に関するガイダンスを従来以上にハト派的に修正したことにより、全体としては、緩和的な金融環境が長期化することが示唆される。ラガルド総裁自身は、“低金利の長期化(low for longer)”と言うよりも、“時期尚早の引き締めを避ける(avoid premature tightening)”や“辛抱強さ(patience)”といった言葉で今回の変更趣旨を説明した。

ラガルド総裁は今回の理事会での議論を振り返り、戦略検証の結果を踏まえ、フォワードガイダンスの修正が必要な点で理事会メンバーの総意があったが、どのように修正するかを巡っては意見相違があり、最終的な文言については圧倒的多数が賛成したと述べた。PEPPの買い入れペース縮小(テーパリング)や今後の出口戦略を占う質問も多く出たが、総裁は“PEPPは今回の理事会で議論していない”、“完全に時期尚早である”と説明した。PEPPの買い入れペース縮小や、来年3月末に買い入れ期限を迎えるPEPPの継続の有無については、四半期毎のスタッフ見通しが発表される9月ないし12月の理事会で決定される可能性が高い。ラガルド総裁も“9月の見通しがどの程度の修正となるかは分からないが、今後のECBの政策運営に影響を与えることは間違いない」と発言し、重要な決定が行われる可能性があることを示唆した。ただ、デルタ変異株の感染拡大で、景気や物価の下振れリスクが払拭されない場合、9月理事会での決定が見送られる可能性が高まる。

なお、戦略検証では、持ち家の帰属計算を加味した消費者物価を、将来的に物価目標の参照計数とすることが示唆された。ラガルド総裁は欧州統計局を所管する欧州委員会に対して、持ち家の帰属計算を含む消費者物価の準備作業を加速することを求める書簡を送ったことを明かしている。また、戦略検証では、金融専門家以外の幅広い市民との対話を強化する観点から、声明文、理事会後の記者会見、月報、議事要旨の内容を見直し、一般市民を対象とする平易な表現やビジュアル化した資料で補完すると説明していた。今回の声明文は従来と比べてやや簡潔になり、使われている文言もやや平易に、声明文を読み上げるラガルド総裁の口調も心なしか丁寧でゆっくりとしていた。従来の声明文以外に、ECBのウェブサイトには一般市民向けに理事会のポイントをまとめた簡潔なページも新たに作成された。

以上

田中 理

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