インドの景気回復に水を差す変異株による感染再拡大の動き

~金融市場を巡る状況も変化するなかでインド経済は正念場に立たされている~

西濵 徹

要旨
  • 昨年のインド経済は、新型コロナウイルスの感染拡大と唐突に実施された強力な感染対策の影響で深刻な景気減速に直面した。しかし、その後は経済活動の正常化や景気下支えに加え、世界経済の回復も追い風に底入れしてきた。他方、先月半ば以降は変異株による感染が再拡大して累計の感染者数はブラジルを追い越したほか、死亡者数も拡大傾向を強めるなど感染拡大の中心地となっている。結果、行動制限を再強化する動きが広がりをみせており、底入れの動きを強めてきた景気に冷や水を浴びせる懸念が高まっている。
  • こうした事態を受けて政府はワクチン供給を加速するとともに接種を加速化させているが、人口比の接種回数は依然低水準で推移するなど事態打開の道のりは遠い。また、行動制限の再強化を受けて人の移動は鈍化するなど景気の頭打ちを招く動きも顕在化している。他方、金融市場ではルピー安が進んでおり、原油価格が高止まりするなかでインフレ圧力が強まるなど、中銀の政策対応を難しくすることも懸念される。昨年半ば以降回復を強めたインド経済は急速に雲行きが怪しくなっており、正念場に立たされていると判断出来る。

昨年のインドを巡っては、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)にも拘らず国内での症例発見が他の国々と比較して遅かったことから、当初の段階では感染封じ込めに成功していたかにみられた。しかし、昨年3月中旬以降に新規感染者数が急拡大したため、政府は全土を対象とする外出禁止令という事実上の都市封鎖(ロックダウン)に動いたものの、その突然の対応が反って人の移動を招くなど混乱に繋がった。さらに、人の移動に伴い感染が一段と拡大する一方で都市封鎖により景気に深刻な悪影響が出たため、政府は感染収束にほど遠い状況ながら一転して段階的に行動規制を緩和して経済活動を再開するなど難しい対応を迫られた。なお、同国内における新規感染者数は昨年9月半ばを境に頭打ちしたため、経済活動の正常化の取り組みが前進するとともに、政府及び中銀は財政及び金融政策を総動員して景気下支えを図る動きをみせたほか、世界経済の回復は外需の回復を促す動きに繋がった。結果、こうした動きを受けて幅広い分野で企業マインドは改善しており、昨年後半以降の実質GDP成長率は前期比年率ベースで大幅なプラス成長で推移したほか、10-12月は前年比ベースの伸び率も3四半期ぶりのプラス成長に転じるなど急回復を実現している 1。年明け以降の企業マインドの動きも製造業、サービス業ともに好不況の分かれ目となる水準を上回る推移をみせており、景気の底入れが一段と進んでいるとみられるほか、足下では二輪車のみならず四輪車の販売台数も前年を大きく上回る伸びとなるなど、近年の経済成長のけん引役となってきた家計消費の底入れが進んでいる様子がうかがえる。他方、企業マインドの改善にも拘らず、製造業のみならずサービス業においても雇用に調整圧力が掛かる展開が続いており、利下げや事実上の財政ファイナンスの実施を通じて金融市場は『カネ余り』の様相を強めるなかで、昨年後半以降は株式をはじめとする資産価格は上昇するなど資産効果が家計消費を押し上げることが期待される一方、雇用・所得環境の不透明感は景気回復の足かせとなることが懸念される。なお、インドは新型コロナウイルスの感染拡大の中心地のひとつとなったため、様々なワクチンの臨床試験が実施されたほか、近年はジェネリック医薬品の世界的な生産拠点の一角として存在感を示すなかで、同国は世界有数のワクチン生産国となっている。さらに、年明け以降はワクチン接種が開始されるとともに、政府は今年8月までに3億人の国民を対象に無償でワクチン接種を行う世界最大規模のワクチン接種計画を開始している。ただし、インドは世界有数のワクチン生産国である一方、生産契約の一環で様々な国にワクチンを無償配布及び販売しており、国内での接種回数の人口比は他の国々と比較して低水準に留まる状況が続いてきた 2。こうしたこともあり、年明け直後にかけて鈍化傾向を強めてきた新規感染者数は2月半ばを境に再び拡大に転じており、足下では最大都市ムンバイを擁するマハラシュトラ州や首都ニューデリーのほか、先月末以降に地方選挙が実施されている5州など(アッサム、ケララ、西ベンガル、タミル・ナードゥ、ポンディシェリ連邦直轄領)を中心に感染が再拡大している。さらに、先月末にはヒンドゥー教の大祭(ホーリー)が開催されたほか、その後も宗教行事に大量の人が押し寄せる動きが続いていることも重なり、感染力の強い変異株の流行も相俟って新規感染者数は急拡大している。結果、今月中旬には累計の感染者数がブラジルを抜いて世界で2番目となっているほか、死亡者数もともに拡大傾向を強めるなど再び感染拡大の中心地となっている。こうした事態を受けて、政府は首都ニューデリーやムンバイなどを対象に外出禁止令の発出による行動制限を再強化する事態に追い込まれており、底入れの動きを強めてきた景気に冷や水を浴びせる懸念が高まっている。

図1
図1
図2
図2

新規感染者数の急拡大を受けて、政府は先月末に同国製ワクチンを購入する国々に対して、ワクチン輸出の全面禁止はしないとしつつ、国内のワクチン接種を優先させる方針を通知したほか、国内のワクチンメーカーに対して増産支援を強化する姿勢を示している。さらに、今月初めにはそれまで60歳以上と深刻な健康上の問題を抱える人に限定していたワクチン接種について、一律に45歳以上に変更するなど間口を広げるとともに、ワクチン接種の加速化を図る方針を明らかにしている。また、来月1日からはワクチン接種の対象を18歳以上の全国民に広げる方針を明らかにしたほか、政府はワクチンメーカーに対して供給分の半分を連邦政府に直接納入することを義務付けるとともに、残りについても州政府との間で事前に表明された価格で市場に配分するとするなど、ワクチン供給の促進を図る姿勢をみせている。こうした背景には、新型コロナウイルスの感染が急拡大するなかで病床のひっ迫が進んでいるほか、酸素吸入器や医薬品なども深刻な不足状態にあるなど地方レベルで連邦政府(モディ政権)に対する批判が強まっており、なかでもワクチン不足が問題になっていることが影響している。なお、国内でのワクチン接種回数は今月19日時点で約1億2,390万回と米国、中国に次ぐ水準となるなど、この1ヵ月程度で大きく追い上げる動きをみせているものの、依然として人口比では主要国に対して低水準に留まるなど事態打開は道半ばの状況にある。他方、足下では感染が再拡大して行動制限を再強化する動きが広がりをみせていることを反映して、昨年半ば以降は緩やかに底入れの動きをみせてきた人の移動はここに来て頭打ちの様相をみせており、幅広い経済活動に悪影響を与えている様子がうかがえる。こうしたなか、中銀は今月7日に開催した定例会合において、新型コロナウイルスの感染再拡大による実体経済への悪影響を懸念して政策金利及び政策スタンスを据え置くとともに、今年度の経済成長率見通しも据え置いている 3。なお、中銀は物価動向について上下双方に振れる可能性に言及しつつ、感染再拡大による行動制限の再強化が需要を弱めることで下振れするとの見方を示していたものの、今月に入って以降の金融市場においては感染再拡大を嫌気して通貨ルピー相場に大幅な下押し圧力が掛かっており、輸入物価を通じてインフレ圧力が強まることが懸念される。他方、来月以降はOPECプラスが協調減産の縮小を決定しており 4、昨年半ば以降底入れの動きを強めた国際原油価格は供給拡大の動きが強まることで頭打ちするとの見方もみられたものの、その後も国際金融市場の活況を追い風に国際原油価格は底堅く推移しており、国内の原油消費量の約7割を輸入に依存する同国では物価上昇圧力が強まることが懸念される。足下の世界経済においては、同国を含めて新興国を中心とする形で変異株により感染が再拡大する動きが広がっている一方、米国や中国など主要国においては感染が収束して経済活動が活発化する対照的な状況となっている。足下の国際金融市場は全世界的な金融緩和により『カネ余り』の様相を一段と強める一方、米長期金利の上昇をきっかけに新興国への資金流入が弱まる動きがみられるなか 、足下のインド経済を取り巻く状況が急速に悪化していることは政策対応を一段と難しくすることが予想される。昨年半ば以降は回復の動きを強めてきたインド経済だが、ここに来てその雲行きは一気に怪しくなっており、正念場に立たされていると捉えられよう。

図3
図3
図4
図4


以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

執筆者の最新レポート

関連レポート

関連テーマ