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2025.09.12
欧州経済
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ECBの利下げサイクルは終わったか?
~2会合連続利下げ見送り、景気のリスク判断を引き上げ~
田中 理
- 要旨
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- ECBは2会合連続で政策金利を据え置き。ラガルド総裁は物価安定の達成に自信を覗かせ、景気に対するリスク評価を「下振れ方向」から「よりバランスが取れている」に変更、関税合意を受けてのスタッフ見通しの下方修正も僅かにとどまった。「事前に特定の政策金利の経路を約束することはなく、データに基づいて理事会毎に適切な金融政策を決定する」との従来の政策ガイダンスを維持。利下げ再開の余地を残すが、よほど大きな追加的なショックがない限り、ECBの利下げサイクルは既に終わったと考える。
- スタッフ見通しは、米国による関税引き上げと貿易政策を巡る不確実性が、2025~27年のユーロ圏の実質GDP成長率を累積で約0.7%ポイント押し下げると試算している。関税率の引き上げ幅が6月時点の想定よりもやや上振れたが、ECBの景気認識や金融政策判断に大きな影響を及ぼすものではない。
- フランスの政治・財政リスクの再燃は、今のところECBの金融政策判断に影響を及ぼす段階にはない。国債市場での緊張の高まりに対するECBの政策ツールとしては、2022年のイタリアの金利上昇時に創設したTPIがある。TPIはフランス固有の問題に対処するためには使えず、国債市場の緊張が他国や他の資産に広がる場合に改めて利用が検討されることになろう。
欧州中央銀行(ECB)は7月に続き、2会合連続で政策金利を据え置いた。ラガルド総裁によれば、今回の利下げ見送りの決定は全会一致によるものだった。昨年6月以降、通算8回・合計200bpの利下げにより、下限の政策金利は2.0%と、ECBが想定する中立金利(1.75~2.25%)の中央値に到達している。前回の理事会は米国と欧州連合(EU)の関税協議が決着する前に行われ、関税協議の行方を見極めることも利下げを見送る理由の1つだった。その後に米国はEU製品に対して一律15%の関税を課すことを決定したが、これは6月のスタッフ見通しで想定していた「最恵国関税+10%の上乗せ関税」に比べて、関税引き上げ幅がやや大きいものの、それほど大きな乖離ではない。また、前回の見通しと比べて為替レートの想定がユーロ高方向に引き上げられた。声明文では、「関税引き上げ、ユーロ高、世界的な競争激化が、年内の成長を抑制することが予想される。だが、これらの逆風が成長率に及ぼす影響は、来年には薄れるだろう。最近の関税合意は不確実性を幾分減らしたが、世界的な政策環境の変化による影響の全体像が明らかとなるには時間が掛かる」との認識を示した。今回の理事会に合わせて発表された新たなスタッフ見通しでは、年前半の景気上振れを反映し、2025年のユーロ圏の実質GDP成長率を+1.2%に上方修正した一方(前回は+0.9%)、2026年を小幅下方修正し(前回は+1.1%)、2027年は+1.3%で据え置いた(図表1・2)。新たなスタッフ見通しでは、米国による関税引き上げと貿易政策を巡る不確実性が、2025~27年の実質GDP成長率を累積で約0.7%ポイント押し下げると試算している。これは前回6月の見通し時を約0.1%ポイント上回るが、それほど大きな修正ではない。関税引き上げやユーロ高進行も、ECBの景気認識を大きく変えるものではないことが示された。


景気に対するリスク評価は、従来の「下振れ方向」から「よりバランスが取れている」に変更された。ラガルド総裁は記者会見の中で、米国の関税引き上げに対するEUによる報復のリスクが回避されたことと、貿易を巡る不確実性が後退したことを、「下振れリスクに関する我々のレーダースクリーンから、この2つが明らかに消えた」と言及している。声明文では、「最近の関税合意により不確実性が後退したものの、貿易関係の悪化は輸出を冷え込ませ、投資や消費を下押しする。また、金融市場のセンチメント悪化は、金融環境の引き締まりやリスク回避姿勢の高まりを通じて成長を下押しする。ロシアによるウクライナに対する不当な戦争や中東での悲劇的な紛争などの地政学的な緊張は、引き続き不確実性の主たる要因となっている。これとは対照的に、国防費やインフラ支出の拡大が予想を上回れば、生産性向上に向けた諸改革と相俟って、成長押し上げに働こう。企業の業況改善も民間投資を刺激する。地政学的な緊張が緩和する場合や、残る貿易紛争が予想よりも早く解決する場合には、センチメントが改善し、経済活動が活発化する」との認識を示した。
インフレ率の鈍化も進んでいる。最近のユーロ圏の消費者物価はヘッドライン・コアともにECBが中期的な物価安定と定義する2%前後で推移している。過去の高インフレを遅れて反映したサービス物価の高止まりが続いてきたが、ECBの賃金トラッカーなどからは、先行きの賃金上昇率の鈍化が予想される。長期的なインフレ期待も2%前後で落ち着いている。ECBスタッフによるユーロ圏の統一基準消費者物価(HICP)の見通しは、2025年が+2.1%(前回は+2.0%)、2026年が+1.7%(前回は+1.6%)と小幅上方された一方、2027年が+1.9%(前回は+2.0%)と小幅下方修正された(図表1・3・4)。変動の大きいエネルギーと食料を除いた米国型コア物価は、2025年が+2.4%、2026年が+1.9%で前回見通しから不変の一方、2027年が+1.9%(前回は+2.0%)と小幅下方修正された。


インフレに対するリスク評価については、「世界の通商政策環境が引き続き不安定であることから、インフレ見通しは平時に比べて不確実性が高い。関税引き上げはユーロ圏の輸出需要の低下を招き、過剰生産能力を抱える国がユーロ圏向けに輸出をさらに増やす誘因が生まれる。貿易摩擦は金融市場のボラティリティとリスク回避姿勢を高め、これが内需の重荷となり、インフレ率を下押しする。これとは対照的に、グローバルなサプライチェーンの分断が輸入価格を押し上げ、国内の生産能力の制約に拍車を掛け、インフレ率を押し上げる可能性がある。また、国防費とインフレ支出の拡大も、中期的にインフレ率を押し上げる可能性がある。さらに、異常気象や、より広範に展開する気候危機は、食品価格を押し上げる可能性がある」と指摘している。
ラガルド総裁は理事会後の記者会見での質疑の冒頭で、「ディスインフレのプロセスは終わり、我々は引き続き良い状態にある」と述べ、物価安定の達成に自信を覗かせたが、「このことはECBが予め決められた(政策金利の)経路を歩むことを意味するものではない」と強調した。声明文では先行きの金融政策について、「データに基づいて理事会毎に適切な金融政策スタンスを決定する。政策金利の決定は、インフレ見通しとそれを取り巻くリスク評価、今後発表される経済・金融データ、基調的なインフレの動き、金融政策の伝達の強さを考慮して行われる。事前に特定の政策金利の経路を約束することはない。インフレ率が中期的な目標に向かって持続的に安定し、金融政策の伝達が円滑に機能するように、その責務の範囲内であらゆる手段を調整する準備がある」との従来の方針を踏襲した。景気や物価安定の達成に自信を深めているが、関税引き上げの影響、地政学的な緊張、フランスの財政・政治リスクなどの不確実性が高く、利下げ再開の余地を残した。
今回の利下げ見送りで、今年のECB理事会は10月30日と12月18日の残り2回となる。関税引き上げの影響や駆け込み輸出の反動減で年後半の景気は下押しされるが、その一方でドイツが財政政策を大幅に転換し、今年度の補正予算にインフラ投資の拡大などが盛り込まれ、年内にもその一部が顕在化することが予想される。さらに、来年以降は欧州各国が国防費の増加に向けて動き出す。よほど大きな追加的なショックがない限り、筆者はECBの利下げ局面は既に終了したとみる。来年後半には逆に利上げ開始を模索する段階に入る可能性がある。
フランスの政治・財政リスクの再燃は、今のところECBの金融政策運営の見直しや政策対応が必要な状況にはない。フランスの国債市場での緊張が高まっている一方、ギリシャやイタリアなど、かつての財政不安国の国債市場は落ち着いている。バイル首相が辞任に追い込まれたが、マクロン大統領は自身に近いルコルニュ国防相を後継首相に指名した。極右の躍進が予想される解散・総選挙がひとまず回避されたことで、金融市場の緊張がエスカレートする事態は回避されている。新首相は政権基盤の強化に向けて、穏健左派の協力を取り付けようとしている。左派は協力の見返りに、富裕層課税や生活支援の強化など財政政策の軌道修正を求める可能性がある。財政再建の遅れが避けられず、フランス国債の格下げリスクが高まる。左派の協力が得られない場合、次の首相も早晩辞任に追い込まれよう。相次ぐ首相交代と政治停滞に解散・総選挙を求める声が高まっており、ルコルニュ首相も辞任に追い込まれる場合、いよいよ解散・総選挙が現実味を帯びる。野党との協議と政権発足、予算協議、国債の格付けレビューなど、当面はリスクイベントが目白押しで、フランスの財政・政治リスクが燻り続けそうだ。
こうした国債市場の緊張に対するECBの政策ツールとしては、欧州債務危機時の2012年に創設したアウトライト金融取引(OMT)と、2022年のイタリアの金利上昇時に作った伝達保護措置(TPI)がある。何れも事前に金額の上限を定めず、事実上、無制限の国債購入が可能なスキームだが、OMTはEUの財政・金融支援下に入ることが発動条件となる。EUの金融安全網の融資能力を考えると、イタリアやフランスなどの大国がEUの支援下に入ることは現実的ではない。ドラギ総裁(当時)による「ユーロ防衛のためには何でもする」を具現化したOMTは、言わば“見せ球”であり、フランスの危機対応に実際に使うのは難しい。TPIの発動にはEUの支援下に入る必要はないが、ファンダメンタルズから乖離した無秩序で正当化できない国債スプレッドの拡大により、金融政策の円滑な伝達が阻害されていることが発動条件となる。記者会見でもフランスの状況やTPIに関する質問が多く出たが、ラガルド総裁は「我々は特定の国に判断を絞っている訳ではなく、個別国に関する質問には答えない」と言及したが、「金融市場の動向を注意深く観察し、今のところ無秩序で正当化できない動きは確認されない」と回答した。TPIはフランス固有の問題に対処するためには使えず、国債市場の緊張が他国や他の資産に波及する場合に利用が検討されることになるが、現時点でこうした環境にはないことを示唆した。
田中 理
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

