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- 「渋沢栄一」札の価値は▲11%減
- 要旨
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この約半年くらいは、家計が銀行券を以前のように持たなくなっているようだ。全体の銀行券発行残高は減少している。理由はインフレによって、タンス預金をするデメリットが大きくなっているからだ。タンス預金の代わりに、金投資をする人はいるだろうが、そのほかにインフレ抵抗力があり、価値保全ができそうな別の保蔵手段は見つけにくいのが実情だ。
現行「福沢諭吉」札発行時からの価値減価
7月3日から新札発行が始まった。新聞・TVでは、新一万円札の渋沢栄一人気が高まっている。筆者も、論語と算盤を読んだことがある。立派な人物だ。
しかし、この「渋沢栄一」札の価値は、約20年前に現行の「福沢諭吉」札が発行されたときよりも、価値が落ちている。インフレが進んだからだ。消費者物価・総合指数をみると、2004年11月の前回改刷時は96.0だった。それが2024年5月は108.1になっている。指数は上昇したが、円の価値は▲11.2%減価している(96.0÷108.1=0.888、▲11.2%)。10,000円の価値は、2004年11月に比べて実質8,880円と軽くなっている。20年間で▲1,120円も購買力を失ったことになる。
原因は、2022年以降に急速に進んだ物価上昇である(図表1)。海外のインフレ傾向に対して、円安が拍車をかけたことにある。現在の物価指数は、2020年を基準値100としたものだから、2024年5月108.1であれば、コロナ禍(2000年以降)でインフレが8.1%ほど進み、通貨価値が▲7.5%ほど低下していることになる(100÷108.1=0.925,▲7.5%)。2004~2019年までにも3.7%ほどインフレは進んだ計算になる(=▲7.5%-▲11.2%)。この上昇分は、2014・2019年の消費税率の引き上げ(5%→10%)の寄与分で説明できる。

以上のように、インフレ・円安で生活者の豊かさが失われていることが、「渋沢栄一」札の価値を「福沢諭吉」札が発行された時点から比較したときにもわかる。
伸びていかない現金需要
最近の銀行券の需要はどうなっているのだろうか。まだ確定値は日銀から発表されていないが、「日銀当座預金増減要因と金融調節」の実績・見込みを調べると、銀行券発行残高の6月実績と7月見込みの数字がわかる。銀行券発行高の末残の前年比伸び率は、6月▲2.0%と前月(5月▲1.3%)から減少幅が拡大した格好だ。7月データは、日銀の金融調節の予想から間接的に計算できる。日銀の予測値では、7月の前年比▲1.3%になるとみられる。
このデータは少し驚きだ。銀行券の伸び率は、6か月連続で前年比マイナスになるという計算だ(図表2)。これが不思議だと感じるのは、通常、インフレ時には支払手段としての銀行券需要が伸びてしかるべきであるからだ。銀行券の前年比は、インフレのときは少なくとも消費者物価の前年比と同じくらいに伸びてよいはずだ。決済需要が物価と同じくらい増えるという考え方だ。

しかし、2024年5月の消費者物価の総合指数は前年比2.9%であるのに対して、銀行券の前年比は▲1.3%減少している。両者のギャップである▲4.2%ポイントはどうして発生するのだろうか。
すぐに思い浮かぶのは、キャッシュレスの効果だ。確かに、いくらかはあるかもしれない。しかし、このギャップが2022年頃から急に広がったことを考えると、この1、2年でにわかにキャッシュレスが進んだという説明には大きな違和感がある。キャッシュレスは、以前から構造的に進んでいる。
グラフをみてわかるのは、物価上昇が3~4%台になるのに伴って、このギャップが広がっていたことだ。ここからわかるのは、インフレ加速の中で、人々がタンス預金を以前ほどは熱心に貯めようとしなくなったという事情である。
現状、タンス預金は約60兆円の残高があると推定される。銀行券の発行残高120兆円のうち約半分を占めている。家計は、コロナが始まった2020年の頃はインフレ環境ではなかったなか、銀行券の伸び率は5~6%と高い伸びだった。インフレが起こる前にはこれほど家計が現金を持とうとしていたのに、インフレになるとタンス預金が減価するのを恐れて、2022年以降は家計は以前のように現金を持とうとしなかった。
戸惑っている家計
インフレ下でタンス預金を以前のように増やさなくなっている家計は、それとは別に何に資金を移しているのか。残念ながら、筆者にはまだ明確な答えはない。有力な候補は、金(きん)だろう。インフレ抵抗力があるからだ。現金によく似た性格を有している。
インフレ抵抗力という意味では、外貨も挙げられる。ドル建てMMFは4.8%前後の利回りがあり、ドルで保有し続ける限りは消費者物価の上昇分をカバーできそうだ。しかし、為替リスクがあるので、そこに抵抗感を感じる家計は少なくないと思う。
タンス預金の持ち主について考えてみた。金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査」(2023年)では、世帯の平均手持ち現金残高が調査されている。2人以上世帯の調査では、100万円以上の現金保有世帯は、全体の17.1%を占める。この手持ち現金には、タンス預金のような保蔵する目的の現金が含まれていない可能性もあるが、現金保有を調べた統計・アンケートがほとんど存在しないので、そのデータを参考にするほかはない。年齢別構成では、世帯主60歳以上の高齢者世帯が全体の36.6%、40・50歳代が45.4%、20・30歳代が18.0%である。高齢者世帯が多いことがわかる。また、年収500万円以上の中高所得世帯も100万円以上の保有世帯が多い。地域別には、関東・関西の世帯が多い。
これらの世帯は、今後、インフレ基調が定着していくと、「渋沢栄一」札ではタンス預金をせずに、何か別の保蔵手段で資産を保全しようとするだろう。現時点では、ほとんどのタンス預金保有世帯は、銀行券の価値減価に対して、有力な代替手段がなく途方に暮れていると考えられる。
熊野 英生
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

