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FRBに先んじて利下げを開始したECB

~先行きは慎重な利下げ判断を余儀なくされよう~

田中 理

要旨
  • 約5年振りに利下げを決定したECBだが、足許で賃金や物価が再加速するなど、先行きの物価安定を取り巻く環境は不透明。4月の声明文に盛り込まれた利下げ予告がなくなり、今後の利下げの是非を会合毎にデータに基づいて判断するとし、特定の政策金利の経路を事前に約束しないことを明言した。利下げ開始を事実上約束していたこともあり、今回はタカ派メンバーの1人を除いて利下げに賛成。当面は賃金の高止まりが予想され、追加利下げを決めるのは今回以上に難しくなる。ひとまず四半期に1回のペースでの利下げ継続を見込むが、年内2回の追加利下げに黄信号が灯りつつある。

欧州中央銀行(ECB)は6月の理事会で約5年振りとなる利下げを決めた(図表1)。3月のスイス国立銀行(スイス中銀)、5月のリクスバンク(スウェーデン中銀)、前日のカナダ中銀に次ぐ先進国中銀の利下げとなる。エネルギー価格の高騰で一時は前年比で10%を超えたユーロ圏の消費者物価は、昨年10月以来、2%台半ばで推移している。変動が大きいエネルギーや食料などを除いたコア物価も、今年3月以降、2%台後半まで沈静化が進んできた(図表2)。これまでの利上げ効果の浸透でインフレ圧力が弱まり、中期的な物価安定の達成が視野に入ってきたことで、利下げを決断した。

図表1
図表1

図表2
図表2

ECBは利下げを見送った前回4月の理事会で、先行きの政策指針(フォワードガイダンス)を修正し、今度のデータ次第で金融引き締めの度合いを弱めることを示唆していた。そのうえ、「6月にはより多くのことを知るだろう」とのラガルド総裁の暗示的な発言やタカ派メンバーによる利下げ容認発言もあり、今回の利下げ開始は市場参加者の間で広く予想されていた。だが、足許でユーロ圏の景気や物価がECBの想定対比で上振れしており、先行きの追加利下げの判断については慎重とならざるを得ない。6月の理事会の声明文には、4月の声明文に盛り込まれた利下げ予告がなくなり、ECBは今後の利下げの是非を会合毎にデータに基づいて判断するとし、特定の政策金利の経路を事前に約束しないことを明言した。

ECBにとって誤算だったのは、6月の利下げ開始を強く示唆した後に発表された賃金や物価データが上振れしたことだ。6月の利下げ判断を決定づける筈だった1~3月期のユーロ圏の妥結賃金は、一時金の支払い時期が集中した影響もあり、前年比+4.7%と昨年10~12月期の同+4.5%から再加速した(図表3)。一部の欧州諸国では団体賃金交渉の頻度が2年や3年に1度しか行われないケースもある。最近の労使交渉では、過去数年の高インフレ率を遅れて反映する形で、高めの賃上げ妥結が相次いでいる。インディードの賃金トラッカーやECBが最近開発した賃金トラッカーは、先行きの賃上げ鈍化を示唆するが、ラガルド総裁は賃上げ抑制が2025年にずれ込む可能性も示唆しており、当面は賃金の高止まりが続くことが予想される(図表4)。5月のユーロ圏の消費者物価の速報値も、例年対比で祝日が多かったことによる旅行関連の上振れもあり、前年比+2.6%と前月の同+2.4%から再び加速した。

図表3
図表3

図表4
図表4

こうした賃金や物価の上振れを受け、新たに発表されたECBスタッフの経済見通しでは、2024年のユーロ圏の消費者物価が3月時点の+2.3%から+2.5%に、2025年が+2.0%から+2.2%に上方修正され、変動が大きいエネルギーや食料などを除いたコア物価も、2024年が+2.6%から+2.8%に、2025年が+2.1%から+2.2%に上方修正された(図表5)。ECBが中期的な物価安定と定義する2%を下回る時期も、3月時点の2025年7~9月期から2026年1~3月期に後ずれを見込む(図表6)。原油価格の想定上振れや、賃上げ加速が背景にある。利下げ決定との整合性を問われたラガルド総裁は、「これはスタッフ見通しであり、(金融政策を決定する)理事会の見通しではない」と苦しい抗弁を余儀なくされた。こうした物価見通しの上方修正からも、先行きの慎重な利下げが示唆される。

図表5
図表5

図表6
図表6

ラガルド総裁は理事会後の記者会見で、「利下げ後も政策金利の水準が中立金利(景気を後退も加速もさせない金利水準)を大きく上回る」と発言し、先行きの利下げ継続の可能性を示唆した。利下げ時期については明言を避けたが、質疑応答の中で「いつ利下げをするかについては、今日であろうと、夏の終わりであろうと、話すつもりはない」と発言。「夏の終わり」は4~6月期の賃金データが発表されるタイミングでもあり、おそらく意図せぬ形で次回7月の理事会での利下げ見送りの可能性を示唆したものとみられる。

総裁はまた、「通常の理事会よりもスタッフ見通しを発表する理事会の方がより多くのデータが入手できる」とも発言しており、賃金や物価を取り巻く不確実性の高さに鑑みれば、今後は四半期に1度のスタッフ見通し発表月(3月、6月、9月、12月)に追加利下げを決定する公算が大きい。これは過去のECBの利下げ局面とも整合的である。1999年にユーロ圏が発足して以来、大きな利下げ局面は、①2000年10月~2003年6月、②2008年7月~2009年4月、③2011年7月~2019年9月の3回ある。2回目は世界的な金融危機時の利下げ局面で、3回目は政策金利がマイナス圏にあり、利下げ余地が乏しかった局面で、何れも参考にならない。十分な利下げ余地があり、危機対応の緊急利下げ必要なかった1回目は、四半期に25bp程度の利下げペースだった。6月の利下げ開始後、四半期に1回程度の利下げを続け、年末までに下限の政策金利が3.25%に、来年末までに2.25%に達するのがメインシナリオとなろう。

利下げ開始を事実上約束していたこともあり、今回はタカ派メンバーの多くが利下げ開始を受け入れ、オーストリア中銀のホルツマン総裁だけが反対票を投じたとされる。ラガルド総裁はおそらく、タカ派メンバーの賛成を取り付ける代わりに、先行きの利下げ継続を明示的にコミットすることを断念したものと思われる。物価や賃金を取り巻く不確実性の高さを考えれば、これは賢明な判断と言える。このまま賃金やサービス物価の高止まりが続く場合、追加利下げを決めるのは今回以上に難しくなろう。ひとまず四半期に1回のペースでの利下げ継続を見込むが、年内2回の追加利下げに黄信号が灯りつつある。市場参加者の追加利下げ期待も後退している。年始には年6回程度の利下げが織り込まれていたが、6日の利下げ決定後は年内に追加で2回あるかどうか自信が持てなくなっている(図表7)。

図表7
図表7

今回の利下げ開始が広く予想されていたうえ、物価見通しの上方修正や利下げ予告がなくなったことを受け、外国為替市場では利下げ後にユーロ高が進んだ。ECBがFRBに先んじて利下げを開始することでユーロ安が進み、輸入物価の上昇を通じてインフレリスクを高めるとの警戒感も一部にあったが、ECBは先行きも慎重な利下げを余儀なくされるとみられ、ユーロ安が一方的に進む可能性は低い。

なお、新型コロナウイルスの感染拡大時に導入したパンデミック資産買い入れプログラム(PEPP)については、既に新規の買い入れを停止しているが、7月以降は満期を迎えた債券の再投資を月額75億ユーロずつ減額し、年末までに再投資を完全に停止する方針。

以上

田中 理


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田中 理

たなか おさむ

経済調査部 首席エコノミスト(グローバルヘッド)
担当: 海外総括・欧州経済

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