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ECBが11年振りの利上げ

~イタリアの金利上昇の封じ込めはできるか?~

田中 理

要旨
  • 11年振りに利上げを開始したECBは、25bpの予告を上回る50bpの利上げをし、マイナス金利を脱した。今後も利上げを継続するとしているが、従来のフォワード・ガイダンスを撤回し、経済データに基づき理事会毎に利上げの有無や幅を判断するとしている。9月に50bpの追加利上げをした後は、景気減速の兆しが広がるため、25bp刻みの利上げに戻す展開を予想する。

  • 新たな市場分断化の抑止策(TPI)は、事前に金額を定めず、財政やマクロ不均衡に基づく適格性条件を設定し、政策正常化と矛盾しないように不胎化する。利用が想定されるイタリアでは、ドラギ首相が辞任し、秋に総選挙が行われることが決まった。選挙後はEUに懐疑的なポピュリスト政党が率いる右派の連立政権が誕生する可能性が高い。改革履行が危ぶまれ、TPIの発動要件を満たさない恐れがある。

21日に約11年振りの利上げを決定したECBは、6月の理事会やシントラの中央銀行フォーラムでラガルド総裁が予告した25bpの利上げではなく、50bpの利上げに踏み切った。3本の政策金利は、0.25%の上限金利(限界貸出ファシリティ金利)が0.75%、0%の中心金利(主要リファイナンス金利)が0.5%、▲0.5%の下限金利(預金ファシリティ金利)が0%に引き上げられ、マイナス金利を脱した。先週のパリティ割れ後に1ユーロ=1ドル台を回復していたユーロ・ドル相場は、予想以上の利上げ幅に1.02ドル台後半までユーロ高が進行したが、今後の利上げペースや市場分断化の抑止策である「伝達保護手段(TPI)」の実効性を巡る不透明感もあり、すぐに利上げ発表前の1.01ドル台後半に戻し、その後は1.02ドル台前半で推移している。

ラガルド総裁は当初の予告対比で利上げ幅を拡大した背景として、①各種の物価関連指標や最近の急速なユーロ安進行から判断して、物価に明確な上振れリスクがあると認識を改めたことや、②TPIの導入が全会一致で決定され、金融政策の効果的な伝達が可能になる(利上げ時の南欧金利の上昇リスクが抑制される)ことを挙げた。実際、6月のユーロ圏の消費者物価が前年比+8.6%に加速し、6月に公表したECBスタッフの物価見通し対比で上振れが続いている。22日に公表予定の予測専門家調査(SPF)で、長期的な期待インフレ率が前回4月の2.1%から一段と上振れしたことを理事会が事前に把握していた可能性もある。

ラガルド総裁は明言しなかったが、この他に利上げ幅を拡大した理由として、①21日にロシアのガス供給再開の方針がひとまず確認され、景気後退リスクが後退し、インフレ警戒を強化することが可能となったこと、②同日にイタリアでドラギ首相が辞任を表明し、政局混乱で金利に上昇圧力が及ぶ恐れがあるため、今理事会でTPI導入を決定する必要があること、③ユーロ・ドル相場が一時パリティ割れを記録するなど、急速なユーロ安進行による輸入物価上昇への警戒、④これを機に政策金利をプラス圏に引き上げ、マイナス金利の長期化による副作用を軽減するなどの目的があったものと考えられる。理事会メンバーの一部からは、TPIの導入に消極的な声も聞かれたが、今回のTPIの導入は理事会の総意で決定された。導入に慎重なタカ派メンバーへの配慮から、利上げ幅の拡大やTPIの適格性基準を厳しくした可能性がある。

先行きについては、政策金利の更なる正常化が適切であるとしている。6月の理事会では、7月の25bp利上げと9月の利上げ幅拡大の可能性、その後の利上げ継続を示唆していた。今回マイナス金利からの脱却を前倒ししたことで、従来のフォワード・ガイダンスを放棄し、理事会毎に金利を決定する方針に変更した。将来の政策金利の経路は経済データに依存するとしている。なお、ラガルド総裁は利上げペースを前倒ししたことで、政策金利の最終到達点(ターミナルレート)が必ずしも変わる訳ではないとしている。中立金利やターミナルレートが何%であるかについて、ECBの公式見解は発表されていないが、過去の高官発言からは1%台半ばとみられる。

ロシアは同日、「ノルドストリーム」の定期点検終了後にガス供給を再開する方針を明らかにしたが、欧州では今後も冬場の需要期に向けてガス不足への懸念が払拭されない。景気や物価見通しには高い不確実性があり、フォワード・ガイダンスを維持することが適切でないと判断した模様。9月については利上げ幅拡大(すなわち50bp)のガイダンスを撤回したことになるが、今後も物価の上振れが続く場合、25bpを上回る利上げペースが続く可能性もある。筆者は物価の一段の上振れを警戒し、9月に50bpの追加利上げを決定した後は、景気減速の兆しが広がることから、25bp刻みの利上げに戻す展開を基本シナリオと考えている。ガイダンス撤廃とガス供給を巡る不透明感から、こうした見通しは上下双方向に不確実性が高い。

イタリア金利の上昇抑制策として注目を集めたTPIは、ファンダメンタルズを反映しない資金調達環境の悪化(市場分断化)に直面する加盟国の国債や地方債などを、ECBが流通市場で買い入れるものだ。買い入れの規模は事前に制限されず(無制限購入を示唆)、金融政策の伝達が直面するリスクの深刻さに依存する。買い入れの対象は、国債や地方債など公的部門が発行する残存期間が1~10年の債券が中心となるが、適切と考えられる場合、民間部門が発行する債券も対象として検討される。

買い入れの適格性は、対象国が健全で持続可能な財政運営やマクロ経済政策を追求しているかどうかを理事会が評価する。その基準としては、①EUの財政フレームワークに準拠しているか: 具体的には「過剰赤字手続き(EDP)」の対象となっていないこと、もしくはEDP下の国が期限内に有効な是正措置を採らなかったと評価されていないこと、②深刻なマクロ不均衡を抱えていないか: 具体的には「過剰不均衡手続き(EIP)」の対象となっていないこと、もしくはEIP下の国が期限内に有効な是正措置を採らなかったと評価されていないこと、③財政が持続可能であるか: その判断に当たっては、欧州委員会、欧州安定メカニズム(ESM)、国際通貨基金(IMF)、その他機関による債務の持続可能性分析を、ECBの内部分析とともに考慮する、④健全で持続可能なマクロ経済政策を採用しているか: 復興・強靭化ファシリティ(復興基金)を利用するための「復興計画」で約束した改革や、ヨーロッピアン・セメスター(各国の財政政策と経済政策がEUレベルで合意された目的に合致しているかどうかを評価し、各国の予算や構造改革に反映する仕組み)に基づく欧州委員会による「国別勧告」に準拠することが求められる。

TPIの発動は、①金融市場と金融政策の伝達に関する諸指標を包括的に評価し、②適格性の基準を満たしているかを査定し、③ECBの主たる政策目標の達成と釣り合いが取れているかの判断に基づく。つまり、TPIを発動するには、金融政策の伝達が阻害されている事実、対象国の健全な財政運営やマクロ経済運営、法抵触を回避するための政策逸脱の回避が必要になる。なお、伝達阻害は様々な指標に基づいて判断され、特定の金利水準やスプレッド水準に基づいて判断されるものではない。理事会内の反対派を説得するため、TPIの利用には何らかのコンディショナリティが設定されると目されていた。発表された適格性条件は、少なくとも4つの基準を同時に満たす必要があり、タカ派の賛成にかなりの譲歩が必要になった可能性が示唆される。

TPIの買い入れは、適切な金融政策スタンスへの潜在的干渉を回避するため、ECBのバランスシートや金融政策スタンスに持続的な影響を与えないように実施される。このことは、利上げ開始と国債買い入れが矛盾しないように、TPIを通じて市中に供給した資金と同額の資金を市中から吸収し、資金供給量を一定に保つ「不胎化」を念頭に置いていることが分かる。もっとも、今回の発表からは、どのように不胎化するかについては明らかにされていない。市場分断化のリスクに晒されていない別の国債を売却する、再投資時に別の国債の買い入れ額を減らす、資金吸収オペを実施する―ことが考えられる。なお、TPIに基づいて購入する債券は、市場を歪めないため、他の債権者と同等(パリパス)の扱いを受ける。

TPIはユーロ圏の全ての国で金融政策スタンスの円滑な伝達確保を目的としている。ユーロ圏全体の金融政策の伝達にとって深刻な脅威となり、不当で無秩序な金融市場の動きに対処するために発動する。金融政策の伝達経路を保護することで、理事会が物価安定の使命をより効果的に果たすことを可能にする。この他の市場分断化の対応策としては、既に6月の緊急理事会で発動を決めたパンデミック緊急資産買い入れプログラム(PEPP)の満期償還時の再投資の柔軟性活用があり、これがパンデミックに関連する政策伝達メカニズムの阻害リスクに対抗するための第一線の防衛手段となる。欧州債務危機時の2012年に導入された新たな国債購入策(OMT)は、TPI同様に不当で無秩序な金融市場の動きに対処するものだが、ESMの財政支援下に入ることが前提で、TPIよりも各国固有の問題に対処し、ユーロの分裂や解体リスクを防止することを目的としている。

ECBが利上げを決定したのと同日、イタリアではドラギ首相が辞任の意向を固め、秋に総選挙が行われることが決まった。世論調査ではEUに懐疑的な右派ポピュリスト政党が第1党となり、別の右派政党とともに連立政権を発足する可能性が高い。現時点でイタリアはEDPの対象でなく、復興計画で約束した改革を履行している。だが、次期政権が財政運営や構造改革を巡ってEUとの対立姿勢を強めれば、今回新たに決まったTPIの適格性条件を満たさなくなり、TPI発動が難しくなる。秋の総選挙実施で来年度予算の編成が遅れ、復興計画の進捗が次に判断される年末までに必要な改革の履行ができない恐れも出てくる。今回のTPI決定では、理事会内の反対派に配慮し、かなり広範な適格性基準の採用を迫られた。TPIの発動が可能かどうか、金融政策の伝達が阻害されると判断される市場の緊張がどの程度か、何れかの段階で市場に試されることが予想される。このことはTPIの有効性を疑問視することにつながる一方、ポピュリスト政権誕生後もEUの財政ルールや復興計画で約束した構造改革から大きく逸脱しない誘因ともなり得る。

以上

田中 理


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