フィリピン、ドゥテルテ大統領の権力維持に向けた目算にズレ

~「奇策」の違憲性が懸念されるほか、与党の分裂、新型コロナ禍など逆風が吹き荒れる展開~

西濵 徹

要旨
  • フィリピンでは来年に大統領選が予定される。現憲法ではドゥテルテ大統領は再出馬出来ないなか、与党PDPラバンはドゥテルテ氏を副大統領選の公認候補とすることで権力維持を図る奇策に動いた。他方、ドゥテルテ氏の腹心を大統領候補に据えるも当人は辞退するなど見通しが立たない上、国民の間に待望論があるドゥテルテ氏の長女(サラ氏)も出馬を否定している。こうしたなか、与党所属のパッキャオ上院議員が大統領選への出馬を表明して事実上の分裂となるなど、政治の季節が近付くなかで不透明感が高まりつつある。
  • 世論調査では引き続きサラ氏待望論が根強い一方、ドゥテルテ氏の副大統領就任による「奇策」に反発が強まる動きもみられる。また、ドゥテルテ氏は新型コロナ禍対応を巡って強権も辞さない考えを示したが、ワクチン接種は依然遅れるなかで感染収束の道筋が描けない状況が続く。足下の国際金融市場では米FRBのテーパリングや中国経済の減速懸念が意識されるなか、経済のファンダメンタルズの脆弱さも理由に通貨ペソ安圧力が強まる動きがみられ、今後は経済に加えて政治の動向にも揺さぶられる可能性も懸念される。

フィリピンにおいては来年に次期大統領選が予定されているが、現行憲法上は現職のドゥテルテ大統領は大統領選に出馬することが出来ない。しかし、同氏は過去に同国南部のダバオ市長職の任期制限を掻い潜る形で長女のサラ(・ドゥテルテ)氏と市長と副市長の立場を交換して事実上市政を担ってきたことから、同様の動きに出るとの見方が出ていた。こうした見方を裏打ちするように、ドゥテルテ大統領が率いる与党PDPラバン(民衆の力によるフィリピン民主党)は8月にドゥテルテ氏を大統領選と同時に実施される副大統領選の公認候補とする決定を行った(注 )。他方、大統領選を巡ってはサラ氏が出馬意欲を示していたものの、PDPラバン内ではドゥテルテ氏の腹心であるボン・ゴー上院議員(元大統領特別補佐官)を推す動きが強まり、先月初めに同党はゴー氏を大統領選の公認候補とする決定を行った(ただし、ゴー氏自身は辞退表明を行っている)。こうした一連の動きの背景には、ドゥテルテ氏自身が元々サラ氏の大統領就任に難色を示してきたことに加え、ゴー氏の下で事実上の『院政』を敷くことが可能になるほか、仮に大統領が辞任ないし死亡により失職した場合に副大統領が大統領に昇格することが出来るなど、『超法規的』に大統領任期の延長を図ることを目指したものとの見方がある(なお、サラ氏は大統領選への出馬を否定する発言を繰り返している)。副大統領の大統領への昇格を巡っては、過去に当時のエストラーダ大統領が弾劾された際に、当時のアロヨ副大統領が大統領に昇格して残りの任期を務めた例がある。ただし、当時のアロヨ氏は大統領職に就いた経験がなく、如何なる憲法規定にも抵触することなく大統領職に昇格することが出来たものの、現行憲法では「大統領任期のうち4年以上を務めたものは再び立候補及び就任することは出来ない」としており、仮にドゥテルテ氏が副大統領となった上で大統領に昇格することは同規定に違反する可能性が考えられる。よって、ドゥテルテ氏及び与党は権力基盤の延長を狙う『奇策』を弄しているものの、その実現のハードルは決して低くないのが実情である。さらに、与党PDPラバン内ではドゥテルテ氏と対立する元ボクシングチャンピオンのマニー・パッキャオ上院議員が大統領選への出馬を模索していたが、先月19日にはPDPラバン内の非主流派に推される形で正式に出馬表明を行うなど同党は事実上分裂する事態となっている。一昨年に行われた中間選挙では政権運営への影響力が大きい議会上院で『ドゥテルテ派』が大躍進するなど、政界においては『ドゥテルテ色』が強まるなど盤石な政権運営を後押しする展開が続いてきた(注1)。こうした盤石な政権基盤を構築した場合においても、任期終了が近付く事態となれば政権の死に体(レームダック)化を意識した動きが強まることは避けられなくなっている。ただし、PDPラバン内の主流派は大統領選にゴー氏、副大統領選にドゥテルテ氏を推す姿勢を強めており、今後は『政治の季節』が強まるなかで政策運営もこうした流れの影響を受ける可能性が高まっていると判断出来る。

図 1 新型コロナの新規陽性者数・累計死亡者数の推移
図 1 新型コロナの新規陽性者数・累計死亡者数の推移

なお、直近の大統領選及び副大統領選に関する世論調査(現時点において選挙が実施された場合に誰に投票するか)においては、大統領選では依然として態度を明確にしていないサラ氏(20%)がトップとなる状況が続いているものの、2位につけたマルコス元大統領の長男のフェルディナンド・マルコス・ジュニア(ボンボン・マルコス)元上院議員(15%)との差は縮まる事態となっている。また、それ以下についても3位にマニラ市長のイスコ・モレノ氏(13%)、4位にマニー・パッキャオ上院議員(12%)、5位にグレース・ポー上院議員(9%)が僅差で続く動きがみられるなど、これまでサラ氏が圧倒的優位とみられてきた状況は変わりつつある。他方、副大統領選についてはこれまでドゥテルテ氏が優位となる展開が続いてきたものの、直近の世論調査ではトップにPDPラバン所属ながら副大統領選への出馬を表明しているティト・ソト上院議長(25%)が躍り出るとともに、ドゥテルテ氏(14%)は2位に転落するなど予想外の動きが確認された。こうした背景には、上述のようにPDPラバンは『奇策』を弄する形でドゥテルテ氏の権力基盤の維持を図る動きをみせたものの、その直後から同国内では学者や議員のなかから憲法規定(大統領任期のうち4年以上を務めたものは再び立候補及び就任することは出来ない)に抵触するとの指摘が相次ぐなど、反発が強まったことが影響したとみられる。さらに、足下の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染動向を巡っては、ドゥテルテ大統領がワクチン接種の事実上の強制化を目指すなど『強権』も辞さない姿勢をみせる一方(注2)、ワクチン調達の遅れも影響して先月29日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は21.94%、部分接種率も22.99%に留まるなど、ともに世界平均(それぞれ33.72%、45.19%)を大きく下回る水準に留まる。こうしたことも影響して、足下の新規陽性者数は一時に比べると頭打ちする動きをみせるものの、依然として高水準で推移するなど(先月29日時点における人口100万人当たりの新規陽性者数(7日間移動平均)は155人)感染収束にほど遠い状況が続いている。足下の国際金融市場においては、米FRB(連邦準備制度理事会)による量的緩和政策の縮小により新型コロナ禍を経た全世界的な金融緩和を追い風にした『カネ余り』の手仕舞いが意識されている上、恒大集団によるデフォルト(債務不履行)懸念や中国の実体経済の減速懸念なども相俟って、中国経済への依存度が高い新興国を取り巻く状況は急速に悪化しており、中国が最大の輸出相手となっているフィリピンを巡っても通貨ペソ相場に下押し圧力が掛かりやすい事態となっている。なお、足下の外貨準備高の水準はIMF(国際通貨基金)が想定する国際金融市場の動揺に対する耐性の評価基準(ARA:Assessing Reserve Adequacy)に照らせば「適正水準」を大きく上回ると試算されるため、危機的状況に陥るリスクは低いと見做される。しかし、慢性的に経常赤字を抱えるなかで新型コロナ禍対応を理由に財政状況悪化している上、このところの国際原油価格の上昇などを理由にインフレ率は高止まりするなど経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の脆弱さが顕在化するなか、景気回復の道筋が描けないなかで政治的な混乱が表面化すれば資金流出圧力が強まる可能性を孕むなど、しばらくは難しい状況に直面するリスクが高まっていると判断出来る。

図 2 ペソ相場(対ドル)の推移
図 2 ペソ相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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