フィリピン、ドゥテルテ大統領の権力維持への「奇策」が大きく前進

~与党はドゥテルテ氏を副大統領選の公認候補に、事実上の再選「合法化」の奇策の可能性も~

西濵 徹

要旨
  • フィリピンでは新型コロナ禍対応で強力な行動制限を採ってきたが、足下では感染拡大の「第3波」が顕在化するなど難しい状況が続く。政府はワクチン接種の積極化を図り、ドゥテルテ大統領は「強権」も辞さない考えを示すが、供給不足も影響して接種率は低水準に留まり、頭打ちの兆候もうかがえる。感染動向の急激な悪化にも拘らず、政府は月末まで首都マニラ圏で行動制限を緩和するなど経済活動の再開に舵を切る動きをみせる。来年に迫る大統領選など「政治の季節」を意識している一方、感染動向は厳しい展開が続こう。
  • 現憲法では現職のドゥテルテ氏が来年の大統領選に出馬出来ないが、次期政権での権力維持を模索する可能性が指摘されてきた。こうしたなか、与党PDPラバンは24日にドゥテルテ氏を副大統領選の公認候補とすることを発表した。大統領選には娘のサラ氏、ないし腹心のボン・ゴー上院議員の出馬が取り沙汰されるなど、「合法的」な再選を模索する可能性も出ている。党内外には「ドゥテルテ王朝」の形成を批判する向きもあるが、今後は権力維持に向けて「強権」色を強める可能性もある。ドゥテルテ政権は中国接近の一方で米国と一定の距離を保つなど、南シナ海問題の不透明要因となってきたが、今後もそうした懸念はくすぶる。

フィリピンにおいては、昨年以降における新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染拡大を受けて、事実上の都市封鎖など強力な行動制限による感染封じ込めを目指す取り組みが図られてきた。しかし、足下では同国を含むASEAN(東南アジア諸国連合)が感染力の強い変異株による感染拡大の中心地となるなか、先月半ば以降は同国でも変異株の流入により新規陽性者数が再び拡大傾向を強めるなど『第3波』の動きが顕在化している。ドゥテルテ大統領を巡っては、就任前から麻薬撲滅を政権公約のひとつに掲げるとともに、就任後には捜査当局に対して容疑者の射殺を認める『超法規的措置』に動いた結果、治安は大幅に改善する反面でその人権意識の低さが国内外から批判を集めてきた。ドゥテルテ氏は新型コロナウイルス対策を巡っても、欧米や中国など主要国でワクチン接種が感染抑制に繋がったことを受けて、国民に対してワクチン接種の事実上の強制化を目指すとともに『強権』も辞さない考えを示すなど、ワクチン接種を『任意』とする政府との間で見解の齟齬が表面化する動きもみられた(注1)。なお、政府は年内に最大7,000万人の国民へのワクチン接種を終了する計画を掲げており、国際的なワクチン供給スキーム(COVAX)のほか、中国による『ワクチン外交』を通じた寄付などを通じて調達を活発化させているが、今月23日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は12.04%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も17.06%に留まるなど、ともに世界平均(それぞれ24.53%、32.42%)を大きく下回る。さらに、ドゥテルテ大統領による『脅し』も影響して先月にかけては接種率が急上昇する動きがみられたものの、世界的な獲得競争が激化するなかでワクチン不足に陥っていることも影響して足下ではペースが鈍化するなど頭打ちの兆候がみられるなど、政府の計画実現のハードルは極めて高い。こうした状況も影響して足下では新規陽性者数の拡大ペースが加速しているほか、感染急拡大に伴う医療インフラのひっ迫を受けて死亡者数も拡大ペースを強めており、累計の陽性者数は182万人強、死亡者数も3.2万人弱に達している。人口100万人当たりの新規陽性者数(7日間移動平均)も今月23日時点で134人と徐々に上昇の動きを強めて過去のピークを上回るなど、感染動向は過去にないペースで急速に悪化している。こうした状況にも拘らず、政府は今月21日から月末までを対象に首都マニラ圏に課された行動制限措置を緩和するなど経済活動の再開に舵を切る動きをみせており、この背景には足下の同国経済が感染対策を理由に『踊り場』状態にあるなど(注2)、来年に控える『選挙の季節』にとって逆風となることも影響していると考えられる。

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来年に控える大統領選を巡っては、現行憲法の下では現職のドゥテルテ氏が出馬することが出来ない一方、自身が同国南部のダバオ市長の任期制限を搔い潜る形で長女のサラ(・ドゥテルテ)氏と市長と副市長の立場を交換して事実上市政を担ってきたことを援用し、大統領選にサラ氏が出馬するとともにドゥテルテ氏が副大統領選に出馬することで事実上の『ドゥテルテ政権』の延長を図るとの見方が出ていた。先月に実施された世論調査においては、大統領選の支持率はサラ氏が、副大統領選の支持率はドゥテルテ氏がそれぞれトップとなっており、そうした手法が現実化する可能性が高まっている。こうしたなか、ドゥテルテ大統領が率いる与党PDPラバン(民衆の力によるフィリピン民主党)は24日、来年に予定される副大統領選の党公認候補としてドゥテルテ大統領が出馬することを正式に発表した。なお、大統領選についてはサラ氏が出馬意欲を示している一方で、党内においてはドゥテルテ氏の腹心であるボン・ゴー上院議員(元大統領特別補佐官)の出馬が取り沙汰されており、いずれの候補が出馬した場合においてもドゥテルテ氏が事実上の『院政』を通じて影響力を維持する構図が『合法的』に築かれようとしている。こうした背景には、ドゥテルテ政権下で実施された上述のような『超法規的措置』が、仮に野党への政権交代が実現すればドゥテルテ氏への責任追及に繋がる可能性も予想されるなか、そうした事態を回避することを目指しているとの見方がある。他方、大統領が辞任ないし死亡して失職した場合には、副大統領が大統領に昇格することが出来るため、ドゥテルテ氏の腹心であるボン・ゴー氏を事実上の『当て馬』にすることにより、憲法規定を掻い潜る形でドゥテルテ大統領の『再選』実現を目論んでいるとの見方もある。とはいえ、いずれの方法によってもドゥテルテ大統領及び与党PDPラバンは権力の保持を目的に『何でもあり』の方策を繰り出すことが改めて明らかになったと判断出来る。なお、同国ではマルコス元大統領による長期独裁政権の下で親類縁者による権力独占が強まるとともに、そのことが同国経済の低迷(『アジアの病人』と揶揄する向きもみられた)の要因になったこともあり、事実上の『ドゥテルテ王朝』の形成に反発する動きもあり、与党PDPラバン内でもドゥテルテ氏と対立する元ボクシングチャンピオンのマニー・パッキャオ上院議員が大統領選への出馬を模索する動きをみせる。ドゥテルテ氏が選挙後の権力維持を盤石にするには新型コロナ禍で疲弊した経済の立て直しが急務だが、感染動向が見通せない状況が続いていることを勘案すれば、今後はなりふり構わず『強権色』を強めることも予想されるなど同国を巡る懸念要因が高まる可能性もある。他方、ドゥテルテ政権下では中国への『忖度』を強める一方で伝統的な同盟関係にある米国とは一定の距離を置くなど、米国や日本など西側諸国が南シナ海で勢力を強める中国への対峙を巡る不確定要因となってきたが、今後もそうした状況が続く可能性に留意する必要が高まっていると言えよう。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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