インドは中国を超えるのか インドは中国を超えるのか

新たなスキャンダルに揺れるインド、今度は「選挙」を巡る問題噴出

~選挙制度の信頼が揺らぎ、モディ政権への批判が再燃、政治不安が新たなリスクとなるか~

西濵 徹

要旨
  • インドでは、医科大学の全国共通入試(NEET)の試験問題漏洩をきっかけに、若年層を中心とする抗議デモが拡大し、教育相が辞任に追い込まれた。足元では、中央選挙管理委員会(ECI)による有権者名簿の大規模な整理を巡り、政府批判が再燃している。名簿草案から1億3,000万人以上が削除されたことに加え、ECI内部の対立も表面化し、選挙制度の公正性や独立性に対する疑念が強まっている。最高裁も名簿整理の具体的な運用手続きについて検証を進めるなか、野党や学生団体などによる抗議デモが全国に拡大しており、政府や公的機関への信頼を揺るがす問題に発展しつつある。
  • モディ政権にとって、こうした政治的対立の長期化は、経済政策の推進や政治的意思決定の足かせとなる可能性がある。今後は、名簿から削除された有権者の救済措置や司法判断の行方に加え、抗議デモが一段と激化するかが焦点となる。現時点で金融市場への影響は限定的であるものの、インフレ懸念を背景とする金融引き締めや原油高による対外収支の悪化懸念から、ルピー相場や株価の上値は重い。選挙制度を巡る対立が政治不安や政策運営の停滞につながれば、金融市場にも新たな下押し圧力が生じる可能性がある。
目次

【試験問題漏洩をきっかけとする抗議デモでは、教育相が辞任に追い込まれる事態に】

インドが新たなスキャンダルに揺れている。同国では、5月に実施された医科大学の全国共通入試(NEET)の試験漏洩問題が発覚したため、試験を取り消すとともに、約220万人の受験生が再試験を余儀なくされた。この問題をきっかけに、いわゆる「Z世代」を中心とする抗議デモの動きが広がり、7月にプラダン教育相が辞任に追い込まれる事態に発展した。

背景には、同国ではここ数年、経済成長の押し上げを目的にITなどハイテク産業への支援を強化したものの、教育・人材育成が追いつかず、国内で創出される雇用とのミスマッチが拡大し、高学歴層ほど失業に直面しやすいという構造問題がある。このため、公平さが求められる試験問題の漏洩は、政府批判に結び付きやすかったと考えられる。

加えて、連邦最高裁のカント長官が法廷において、失業中の若者や政治活動に関わる若者をゴキブリや寄生虫に例えたと報じられたことも、反発に火を注いだ。その結果、カント氏の発言とモディ政権を支える最大与党BJP(インド人民党)を風刺した「ゴキブリ人民党(CJP)」というアカウントが登場し、政府批判が激化する事態に発展した(注1)。

【中央選挙管理委員会による有権者名簿の整理をきっかけに、モディ政権への批判が再び高まる】

CJPが要求したプラダン氏の辞任を受けて、政府批判は沈静化するとみられた。しかし、足元では新たなスキャンダルを機に、政府批判が再び高まっている。

きっかけは、中央選挙管理委員会(ECI)が昨年、東部ビハール州を足掛かりに、全土で有権者名簿を整理する取り組みを開始したことがある。ECIは有権者名簿の整理について、選挙の公正性を確保する観点から、死亡者や転居者、重複登録者などの削除を目的としたものと説明した。

同国は、人口規模が大きいうえ、国内の人口移動も活発であり、有権者名簿の正確性を維持することが重要課題となっており、ECIは長期間にわたり実施されなかった大規模な名簿見直しを進める必要性を強調した。一方で、過去の選挙人登録記録との照合や追加書類の提出が求められるなど、必要な書類を保有していない人々にとって負担が大きいとの指摘があった。特に、貧困層や国内移住者、イスラム教徒をはじめとする少数派住民などが手続き上の困難に直面しやすいとの懸念が示された。

こうしたなか、現地メディアは9月末、ECIが進める有権者名簿の整理において、1億3,000万人以上が名簿の草案から削除されたことに加え、クマール委員長が主導する意思決定に対し、他の2委員が繰り返し異議を唱えていたと報じた。具体的には、有権者の新規登録や削除に関する手続き、一部の決定における委員間の情報共有の不足などを問題視した。ECIは、委員間の意見の相違は通常の意思決定過程の一部であり、正式な決定には法的根拠があるとしている。

しかし、独立性と中立性が求められる選挙管理機関の内部対立の表面化は、制度への信頼を巡る議論を強める一因となっている。クマール氏の委員長任命を巡っては、その選任過程について、モディ政権による法改正で政権の意向が反映されやすい形でなされたとして、国内外で批判が高まった経緯がある。このため、名簿整理もモディ政権の意向が強く反映されたとの疑念が高まっている。

【司法判断も分かれるなかで抗議デモが拡大、政府や公的機関の信頼問題に発展する懸念も】

名簿整理を巡っては、名簿整理の権限と具体的な運用手続きにおいて司法上の争点が広がっている。最高裁判所は5月、ビハール州で実施された名簿整理について、ECIの権限の範囲内になるとの判断を下している。一方で、その後も有権者登録に用いられる申請書類の変更や、名簿から削除された人々の異議申し立てに関する訴訟が相次いでいる。さらに、最高裁は今月、新規有権者登録に用いる申請書(フォーム6)に関する変更について、裁判所が承認した事実はないと明確にしたうえで、ECIに対して関連記録の提出を要求した。この司法判断は、名簿整理そのものを違法としたものではないものの、制度の合法性と個別の運用手続きの適法性を区別して検証する必要があることを示していると考えられる。

この問題は、政治面でも与野党対立の新たな火種となっている。最大野党・国民会議派は、今回の名簿整理が野党支持層の投票権を制約していると主張し、ECIへの批判を強めている。今年5月に実施された州議会議員選挙で与党BJPが初めて政権を奪取した西ベンガル州では、審査過程で削除された約272万人のうち、約222万人が名簿復帰の異議申し立てを行ったことが明らかになった。これは、削除後の救済措置が機能しているかという問題を浮き彫りにしている。一方で、ECIは、死亡者や転居者、重複登録者などの削除は所定の確認手続きを経て実施されたと説明しており、野党が主張する選挙結果に対する疑義に反論している。

とはいえ、全土でこの問題を理由とする抗議デモが広がっており、CJPや学生団体も参加し、クマール氏の辞任などを要求する運動に発展している。10月7日には、首都ニューデリーでの抗議デモに参加した国民会議派のガンディー党首が警察に一時拘束されたほか、翌8日には南部ベンガルールでも大規模デモが発生した。こうした動きは、有権者名簿の問題が選挙制度の枠を超え、政府や公的機関に対する信頼を巡る社会的問題に発展しつつあることを示唆している。

【現時点で金融市場はこの問題を材料視しないが、政治不安に発展するか否かに注意が必要】

モディ政権にとっては、今回の有権者名簿を巡る問題が新たな不確実性となることが懸念される。モディ政権を支える与党BJPは、経済成長の加速や製造業の競争力強化、インフラ整備などを重要政策に掲げてきた。しかし、選挙制度の信頼に関する問題が長期化すれば、政府は政治的対立への対応に一層注力することを迫られる可能性がある。試験問題の漏洩をきっかけとする抗議デモ同様に、今回もCJPが動きを活発化させており、他の社会・経済問題と結びつく形で政府批判が広がれば、政治的な意思決定などに影響が及ぶ可能性がある。

ECIは9月末、名簿整理が完了した20の州・連邦直轄領に対して、名簿から漏れた有権者を登録するための特別な取り組みを実施するよう指示した。今後は、こうした救済措置を通じて有権者の登録回復がどこまで進められるか、司法判断が制度運用の手続きにどのような変更をもたらすかが注目される。さらに、政府と野党、活動家などの対立が街頭における抗議デモを通じて一段と激化するか否かにも注意が必要である。

なお、金融市場においては、現時点において一連の動きが大きな問題に発展するとはみられていない。しかし、選挙制度を巡る対立が深刻化し、社会的な混乱や政策運営の停滞に発展する事態となれば、投資家の間で同国に対するリスク認識が変化する可能性はある。

同国では、RBI(インド準備銀行)が10月5~7日に開催した定例会合において、先行きのインフレを警戒して、3年8ヵ月ぶりの利上げを決定した(注2)。しかし、RBIは追加利上げに含みを持たせる一方、その時期やペースについては不透明感が残るため、金融市場においてはRBIによる「次の一手」が読みにくいとの観測が根強い。さらに、原油価格が高止まりするなかで対外収支の悪化も懸念される。このため、利上げ実施にもかかわらずルピー相場は上値が重い展開が続いている(図1)。さらに、金融市場の過剰流動性が懸念されるなかでRBIは資金吸収オペを活発化させており、主要株価指数(ムンバイSENSEX)も上値の重い展開をみせている。こうした状況の下で、一連の動きが政治不安につながれば、金融市場にも新たな下押し圧力が生じる可能性があり、事態の行方を注視する必要性は高まっている。

図表
図表

以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一ライフ資産運用経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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