足元で広がる賃上げと求められる「人への投資」

~人手不足が続く中、重要性が増す労働条件の改善~

奥脇 健史

要旨
  • 連合の調査によると、調査時点の今年の賃上げ率は2.11%と昨年同時点(1.83%)より改善、賃上げ率は2019年(2.07%)以来の2%台への回復が見込まれている。また、ベアを獲得した労働組合の割合も昨年比増加しており、足元で企業の賃上げに対する意識の高まりがうかがえる。その背景には、企業の人手不足感の強まりがある。一部の企業はコロナ禍の厳しい状況においても、賃上げによる労働条件の改善を通じて人材の確保、つなぎ止めを図っている。
  • 労働者側の状況をみると、転職希望者数は過去最高水準となっている。また、労働者の離職理由をみると、「より良い条件の仕事を探すため」が最上位である。このような環境下において、企業は人材の確保が年々難しくなっている。
  • 今後景気が回復すれば、それに伴い労働者の転職意欲もより高まっていくと考えられる。その際に、労働条件など自社の魅力が相対的に低い状況であれば、人材の流出につながる可能性がある。また、企業の人手不足が慢性化する中、労働者側の企業選びの選択肢が増えてきており、今後、雇用に関する企業と労働者のパワーバランスが労働者側に傾いていくことも考えられる。厳しい環境下においても、中長期的な目線にたって、企業は自社の労働条件の改善に継続的に取り組んでいかねばならないだろう。
  • OECDの調査によると、海外人材にとっての日本の魅力は、OECD諸国の中で中位以下となっており、高いとは言えない状況である。これは、世界的な人材獲得競争における日本の競争力の低さを示唆している。この状況が続けば、海外から日本に人材を呼び込むことが難しくなり、逆に国内の人材が海外に流出していくことにもつながる可能性がある。これは労働力の量の面及び質の面においても、日本の人手不足が益々深刻化することにもなり兼ねない
  • 多くの日本企業においては、賃上げ等の労働条件の改善や「働きがい」、「働きやすさ」につながる環境整備に取り組んでいる。引き続きこれらの「人への投資」に真剣に取り組んでいかなければ、中長期的な成長は困難になる。環境変化に応じた対応を企業だけでなく、国、労働者も行っていく必要があるだろう。
目次

1.広がる賃上げと継続する企業の人手不足

足元で企業に賃上げの動きが広がっている。連合の「2022春季生活闘争第4回回答集計結果について」(4月14日公表)によると、調査時点の賃上げ率は2.11%と昨年同時点(1.83%)より改善、今年の賃上げ率は2019年(2.07%)以来の2%台への回復が見込まれている(注1)。また、各種報道によれば、昨年岸田首相の示した3%を超える賃上げを決めた企業もみられる。加えて、同調査において、ベアを獲得した労働組合の割合は49.5%と昨年同時点(32.6%)より増加、コロナ禍が続く中でも企業の賃上げに対する意識の高まりがうかがえる。

企業が賃上げを行う理由については、利益の分配という面もあるが、「人材の確保・採用」という面も大きい。日本・東京商工会議所が4月5日に公表した中小企業に対する調査(調査時点は2月)によると、賃上げを予定している企業の約7割が「人材の確保・採用」を目的に賃上げの実施を予定している(資料1)。

資料 1 2022 年度に賃上げを予定している理由
資料 1 2022 年度に賃上げを予定している理由

その背景には、企業の人手不足がある(資料2)。2013年以降、企業の人手不足は継続しており、人材の確保は企業の最重要課題の一つであろう。また、前述の日本・東京商工会議所の調査において、賃上げを予定している企業の約7割が業績の改善がみられない中での賃上げを予定している。コロナ禍でK字型の景況が続く厳しい環境下においても、一部企業は賃上げを通じて人材の確保、つなぎ止めを図っている。

資料 2 日銀短観・雇用判断DIの推移(全産業)
資料 2 日銀短観・雇用判断DIの推移(全産業)

2.増える転職希望者と企業に求められる労働条件の改善

労働者側の状況をみると、転職者数はコロナ禍の影響で2019年の351万人をピークに2021年は288万人まで減少したが、その間でも転職希望者数は増加トレンドを維持し、2021年末時点で過去最高水準となった(資料3左)。また、労働者の離職理由をみると、2014年頃より「より良い条件の仕事を探すため」が最上位となっている(資料3右)。企業の人手不足が継続し、インターネットなどを通じて求人情報などが得やすくなった現在、一つの企業に勤め続けるのではなく、他社と比較をしながら条件次第では転職も厭わないという労働者側のスタンスが広がってきているということが改めて確認できる。企業にとっては、人材のつなぎ止めが年々難しくなっている状況と言えるだろう。

資料 3 転職希望者数の推移(左)及び離職理由別離職者割合の推移(右)
資料 3 転職希望者数の推移(左)及び離職理由別離職者割合の推移(右)

「より良い条件」というと、まずは「収入」が挙げられるだろう。内閣府の世論調査によれば、全世代において、働く理由の最上位は「お金を得るために働く」である(資料4左)。また、理想的な仕事については、全世代で「収入が安定している仕事」が大多数を占めており、18歳~49歳の約3割は「高い収入が得られる仕事」が理想と回答している(資料4右)。多くの労働者にとって働くことの大前提は、安定した「賃金」が得られていることで、中でも高い賃金を得られることは働き盛りの労働者にとって高いインセンティブになると考えられる。このような点から、賃上げに取り組んでいくことは、人材確保の面において優先すべき事項と言えるだろう。その他上位をみると、「自分にとって楽しい仕事」や「私生活とバランスがとれる仕事」があり、仕事で「働きがい」や「働きやすさ」を感じられることも労働者にとって重要である。

資料 4 各年代の働く目的(左)及び理想的な仕事(右)
資料 4 各年代の働く目的(左)及び理想的な仕事(右)

足元の景気は、新型コロナの感染動向やウクライナ情勢など、先行き不透明感が強く、目先の転職をためらっている層が一定数いると考えられる。しかし、今後景気が回復し、企業の採用意欲が高まれば、それに伴い労働者の転職意欲も高まっていくだろう。その際に、労働条件など自社の魅力が相対的に低い状況であれば、人材の流出につながる可能性がある。また、企業の人手不足が慢性化する中、労働者側の企業選びの選択肢が増えてきており、今後、雇用に関する企業と労働者のパワーバランスが労働者側に傾いていくことも考えられる。厳しい環境下においても、中長期的な目線にたって、企業は賃上げなど自社の労働条件の改善に継続的に取り組んでいかねばならないだろう。別の言い方をすれば、これらに取り組むことが自社の魅力を高めることにつながり、有望な若手層や経験のある労働者を確保できるチャンスが広がることにもなると考えられる。

3.国際的な日本の魅力の低さと中長期的な「人への投資」の重要性

国際比較でみると、海外人材にとっての日本の魅力は高いとは言えない状況である。2019年にOECDが公表した「人材誘致に関するOECD指標」では、OECDに加盟している35か国(当時)を、①機会の質、②所得と税、③将来の見通し、④家族にとっての環境、⑤スキルを活かす環境(国内の研究開発費、英語の習熟状況など)、⑥包摂性、⑦生活の質の面からそれぞれ点数をつけ、「修士号もしくは博士号を持つ労働者」、「起業家」、「外国人留学生」の3者にとって魅力的かどうかを順位付けしている。結果をみると、日本の順位はそれぞれ、25位、20位、25位と中位以下の順位となっている(文末参考資料参照)。これは、世界的な人材獲得競争における日本の競争力の低さを示唆している。この状況が続けば、海外から日本に人材を呼び込むことが難しくなり、逆に国内の人材が海外に流出していくことにもつながる可能性がある。これは労働力の量の面及び質の面においても、日本の人手不足が益々深刻化することにもなり兼ねず、ひいては国力の低下にもつながる。この観点からも、自社の労働条件の改善について真剣に対処していかねばならないだろう。これは、企業だけの課題ではなく、国の課題でもある。

日本企業においては、新卒一括採用の見直しや年功序列型の賃金の是正、それに伴う中途採用の拡大やいわゆる「ジョブ型」の雇用形態の導入などが進められている。それらの取り組みによって、優秀な人材が自身の能力に見合った条件で働くことのできる環境整備が整いつつある。また、テレワークをはじめとした多様な働き方ができる環境整備が進むなど、人材の確保に向け、多くの企業が労働条件の改善や「働きがい」、「働きやすさ」につながる取り組みを進めている。景気の先行き不透明感が強い環境下であっても、引き続き賃上げをはじめとする「人への投資」について真剣に取り組んでいかなければ、中長期的な成長は困難になる。国も積極的に支援を行っていくことが必要であろう。

また、労働者側からみると、現状は変化への対応が求められる状況でもあり、チャンスでもある。企業が雇用条件の見直しを進めていく中で、求められる役割が変化していくと考えられる。それに対して、労働者側も自身の働き方の見直しや新しいスキルの習得などを進める必要がある。一方で、企業の人手不足が継続する中において、労働者自身の市場価値が高まれば、自らが望む働き方の実現や現在の労働条件よりも好条件で雇われるチャンスが広がる。環境の変化に合わせ、労働者自身の市場価値を高めていく必要性が高まっていると言えるだろう。

以 上

【注釈】
1)4月12日時点で集計した7,835組合が対象。賃上げ率には定期昇給も含まれる。

【参考資料】OECD諸国の人材誘致の魅力度

修士号もしくは博士号を持つ労働者にとっての魅力度

修士号もしくは博士号を持つ労働者にとっての魅力度
修士号もしくは博士号を持つ労働者にとっての魅力度

起業家にとっての魅力度

起業家にとっての魅力度
起業家にとっての魅力度

外国人留学生にとっての魅力度

外国人留学生にとっての魅力度
外国人留学生にとっての魅力度

【参考文献】

  • 連合(2022年)「中小組合が多く回答引き出し『賃上げの流れ』を堅持~2022 春季生活闘争 第 4 回回答集計結果について~」
  • 日本・東京商工会議所(2022年)「『最低賃金引上げの影響および中小企業の賃上げに関する調査』調査結果」
  • 日本銀行「全国企業短期経済観測調査」
  • 総務省「労働力調査」
  • 内閣府(2022年)「国民生活に関する世論調査(2021年9月調査)」
  • OECD(2019年)「人材誘致に関するOECD指標(OECD Indicators of Talent Attractiveness)」
  • OECD(2019年)「How do OECD countries compare in their attractiveness for talented migrants?」
  • 経団連(2022年)「2022年版経営労働政策特別委員会報告」

奥脇 健史


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