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2025.07.24
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マレーシア・アンワル政権が「物価対策」ですべての成人に現金支給へ
~国民不満への対応、外需への懸念山積のなかで内需喚起に舵も、財政面でリスクが高まる懸念~
西濵 徹
- 要旨
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- マレーシアのアンワル政権は23日に新たな経済対策を発表した。政府は生活費高騰による国民の不満解消と経済の下支えを目的と説明したが、野党が主導する大規模な反政府デモを前に対応姿勢を示したと捉えられる。対策の柱は、18歳以上の全てのマレーシア人に対する100リンギの現金支給と、補助金調整による燃料価格の引き下げとなる。足下のインフレは落ち着いた推移をみせているが、食料品など生活必需品を中心とする「体感物価」は高止まりしており、国民の間で不満が高まっていることに対応したとみられる。
- 他方、アンワル政権が経済政策に動く背景には、米国の関税政策による経済環境の厳しさもある。同国経済は輸出依存度が高く、トランプ米政権による相互関税が実体経済に深刻な悪影響を与えることが懸念される。他のASEAN諸国が米国との不平等な通商合意を受け入れている現状を勘案すれば、同国の外需に悪影響が残る可能性は高く、景気下支えの観点から内需喚起が急務と判断した可能性が考えられる。
- ただし、一連の経済政策は財政負担を伴うことが避けられず、足下も公的債務は法定上限(GDP比65%)に近いなかでは財政健全化路線の後退は避けられない。さらに、アンワル政権は来月からの最低賃金の引き上げを発表しており、今後の物価上昇圧力に繋がる可能性がある。金融市場では、米トランプ政権の政策運営の不透明感を理由に米ドル安が進むなか、リンギは底堅い動きをみせている。しかし、米国との通商協議の行方や財政運営への不透明感がリンギ相場の重石となる可能性には注意が必要と見込まれる。
マレーシアのアンワル政権は23日、新たな経済対策を実施する方針を明らかにした。具体的には、18歳以上のすべてのマレーシア人に対して来月末から100リンギの一時的な現金支給のほか、レギュラーガソリン(RON95)に対する一律補助金の調整により燃料価格を引き下げるとしている。アンワル氏は、経済政策を実施する理由について、近年のインフレ長期化を受けた生活費高騰により国民の間に不満が高まっていることを挙げた。直近6月のインフレ率は前年比+1.1%と頭打ちの動きが続いているものの、食料品など生活必需品の物価は高止まりするなど『体感物価』との間に乖離が生じている可能性がある。また、今月26日には首都クアラルンプールにおいて、野党が主導する形でアンワル氏の退陣を求める大規模デモの実施が予定されており、政権としてデモに先んじて対抗策を講じる姿勢を示したと捉えられる。

現金給付については、いわゆる『マイナンバー』に当たる国民IDカードを通じて主要スーパーやコンビニエンスストアなど国内の4100ヶ所を上回る店舗において当該金額を利用可能とする方式が採られる模様である。一方で燃料価格の引き下げについては、今年度予算においてはガソリンに対する補助金の調整は年半ばに実施予定の上、当初は廃止に向けた方向性が示されていた。しかし、詳細は9月末までに明らかにするとしつつ、現在の1リットル当たり2.05リンギから同1.99リンギ程度に引き下げると、一転して拡大する方向に舵が切られる格好となった。
アンワル政権が経済対策に舵を切った背景には、同国経済を取り巻く環境が厳しさを増していることがある。足下の世界経済や国際金融市場はトランプ米政権の関税政策に翻弄されるなか、同国もその『標的』となっている。米国が4月に公表した相互関税では、同国に対する税率は24%と周辺のASEAN(東南アジア諸国連合)諸国のなかでは比較的低水準に設定された。ただし、同国は構造面で輸出依存度が相対的に高く、対米輸出額も名目GDP比で1割強に及ぶため、仮に相互関税が発動されれば実体経済への深刻な悪影響が懸念される。さらに、米国は今月初めの交渉期限の直前に8月1日に事実上延期した上で、各国にあらためて税率に関する書簡を送付し、そのなかで同国に対する税率を25%と当初案から1pt引き上げた。同国政府によれば、米国との協議ではデジタル課税や電子商取引、医療基準、ハラル認証、政府調達などに関連して、強気の交渉を継続している様子がうかがえる。ただし、ASEAN主要国の対米協議を巡っては、今月初めにベトナム(注1)、その後もインドネシア(注2)、フィリピン(注3)と3ヶ国がすでに合意に達したが、いずれの国も20%前後の高水準の関税が維持される一方、米国に対する輸入関税をゼロとする不平等な内容となっている。したがって、仮に交渉が進展したとしても高関税は維持されるなど外需への悪影響は残ると見込まれるなか、景気下支えに向けては一段の内需喚起が必至の情勢となっている。
ただし、今回の経済政策では現金支給を目的に総額150億リンギ(GDP比0.8%)が必要になるほか、燃料補助金の拡大によって当該歳出の増大も見込まれるなど、財政負担に繋がることは避けられないであろう。同国の財政法では、公的債務の法定上限をGDP比65%と定められているが、足下においては上限近傍で推移する展開が続くなど財政の立て直しが喫緊の課題となっている。さらに、連邦議会は政府に対して財政規律の強化を求める法律を成立させており、そのなかでは向こう3~5年を目途に財政赤字目標をGDP比▲3%以下、債務残高もGDP比60%に抑えることを求めている。したがって、今年度予算では歳出規模は過去最大とするも、増税や燃料への補助金削減などを通じて財政赤字をGDP比▲3.8%と前年(同▲4.3%)から漸減させる方針が盛り込まれている。しかし、現状において燃料補助金に関連した歳出は年間200億リンギ(GDP比1.0%)相当に上るなか、財政負担の増大により財政健全化路線の後退は避けられないと見込まれる。また、アンワル氏は当初今年2月に予定していた最低賃金の引き上げ(月1,700リンギ←1,500リンギ)を来月から実施する方針を示しており、上述したように足下のインフレは落ち着いた動きをみせているものの、今後は物価上昇圧力が強まる可能性があるなど要注意である。

なお、金融市場においてはトランプ米政権の政策運営の不透明感が嫌気されるとともに、政権内部からFRB(連邦準備制度理事会)議長人事に関する言及が相次ぐなど金融政策の独立性に対する懸念が高まっていることも重なり、米ドル安が加速する動きがみられる。こうした動きに加えて、金融市場はトランプ氏による言動が『TACO(腰砕け)』に終わるとの見方を反映してリスク選好の度合いを強めており、同国の通貨リンギの対ドル相場も底堅い動きをみせている。先行きについては、引き続き米ドル相場の動向に左右される展開が続くと見込まれる一方、米国との協議の行方は依然見通しが立っていない上、財政運営に対する不透明感も相場の重石となることが懸念されることに留意する必要がある。

注1 7月3日付レポート「ベトナムが米国との通商協議で合意」
注2 7月16日付レポート「インドネシアが通商協議を加速、EUや米国と合意に至った模様」
注3 7月23日付レポート「米国とフィリピンが通商合意、相互関税は19%、インドネシアと同水準」
西濵 徹
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
- 西濵 徹
にしはま とおる
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経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析
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