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2023.09.14
アジア経済
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タイ・セター政権、経済立て直しを目的に「バラ撒き政策」に傾注
~対外収支が悪化するなかでの財政悪化懸念はバーツ安を惹起、政策運営が縛られるリスクも~
西濵 徹
- 要旨
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- タイでは「タクシン派」のセター政権が誕生したが、政権発足に際して親軍政党を含む大連立が形成されたため、国民の間には反発が根強い。他方、政権は早期に経済の立て直しを図るべく財政拡張に動く姿勢をみせており、ここ数年のコロナ禍を経て財政状況が悪化するなかで一段と悪化する懸念が高まっている。世界経済の減速懸念を理由に対外収支も悪化しており、通貨バーツ相場は弱含んでいる。アジア新興国では食料インフレが顕在化する動きがみられるなか、中銀は物価と為替の安定を目的に追加利上げを余儀なくされるなど、家計債務が過大ななかで経済に悪影響が出る懸念もある。新政権に課された課題は政治のみならず、経済の面でも極めて厳しいものとなることは避けられそうにないと捉えられる。
タイでは、5月に行われた総選挙(議会下院(人民代表院)総選挙)を経た議会上下院による首班指名選挙において、いわゆる『タクシン派』のタイ貢献党に所属するセター・タビシン氏が新首相に選出されるとともに、新政権が発足した(注1)。総選挙では、選挙前の与党を構成した親軍政党が軒並み議席を減らす一方、反軍政を掲げる民主派の前進党が第1党、タイ貢献党が第2党となるなど民主派が勝利を収めた。当初は前進党とタイ貢献党を中心とする新政権樹立を目指す動きがみられたものの、保守派や親軍派の間に前進党が掲げる急進的な公約(不敬罪の緩和、徴兵制の廃止など)への拒否感が根強いなか、いわゆる『司法クーデター』とも呼べる動きが顕在化した。結果、タイ貢献党は前進党との連立を解消して中道右派政党などと新たな連立を形成するとともに、最終的には親軍政党も加わる大連立が形成されたことで9年ぶりのタクシン派政権が発足した(注2)。なお、タイ貢献党は総選挙において親軍政党との連立を否定する公約を掲げたものの、この公約は反故にされる結果となったため、世論調査では大連立構想に否定的な意見が3分の2近くを占めるなど、セター政権は船出から厳しい評価に晒されている。このように国民の間に否定的な見方が強いことを反映して、セター政権はタイ貢献党が重要ポストを押さえるとともに、親軍政党から登用された閣僚も非軍人が占めるなど軍の影響力を極力抑えた布陣が採られている。その一方、政権公約を巡っては、タイ貢献党も親軍政党もともに最低賃金の大幅引き上げのほか、現金給付の実施などバラ撒き志向の強い政策を掲げるなど親和性が高いものの、仮にこうした政策が具現化されれば歳出拡大圧力が強まることは避けられない。ここ数年の同国では、コロナ禍対応を目的とする歳出拡大を受けて公的債務残高が急拡大するなど財政状況が悪化する動きがみられるなか、一段と悪化の度合いが強まる可能性がある。こうしたなか、セター首相は経済政策として、最低賃金の引き上げ(1日当たりの最低賃金を337バーツから400バーツに引き上げ)に向けた労使交渉を始めることに加え、年末までの軽油税の減税と電気料金の引き下げを目的とする補助金給付のほか、農家を対象に3年間の債務返済の猶予措置、来年2月末まで中国とカザフスタンを対象とするビザなし入国を許可する方針を明らかにしている。また、セター首相は選挙公約に掲げた16歳以上の全国民を対象にデジタルウォレットを通じた現金給付(1万バーツ)の実現を目指す方針を示しており、様々なバラ撒きに向けた動きが前進しつつある。このように歳出拡大の動きが顕在化する一方、向こう1年については付加価値税の増税は計画していないとの考えを示すとともに、赤字財政を通じた拡張的な政策が必要との認識を示すなど、財政悪化を容認する姿勢をみせている。なお、足下の同国経済を巡っては、世界経済の減速懸念の高まりを受けて財輸出に下押し圧力が掛かるとともに、国境再開にも拘らず外国人観光客数はコロナ禍前を下回る推移が続くなど本調子にほど遠い状況が続いており、経常収支は赤字基調が続くなど対外収支の脆弱さが増している。こうした状況での財政悪化は、財政赤字と経常赤字の『双子の赤字』に繋がるなど経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の脆弱さを増すことに繋がるなど、国際金融市場の動向に揺さぶられやすくなることが懸念される。事実、通貨バーツ相場を巡ってはセター政権の発足を受けて一時的に政治空白の終了を好感する向きがみられたものの、財政状況の悪化が警戒されるなかで足下では再び調整の動きが強まっている。同国のインフレ率は昨年に大きく上振れした反動で頭打ちの動きを強めて中銀目標を下回る推移が続いているものの、異常気象を理由とする農業生産の低迷を理由に世界最大のコメ輸出国であるインドがコメの禁輸に動くなど需給ひっ迫を理由とする食料インフレに繋がる動きがみられるなか、足下では穀物をはじめとする食料品価格が上昇する動きが顕在化している。仮にインフレ率が再加速の動きを強めれば、中銀は物価と為替の安定を目的に追加利上げを余儀なくされる可能性がある一方、家計債務も高止まりするなかで金利上昇の動きが幅広い経済活動の足かせとなることも懸念される。よって、新政権に課せられた課題は政治のみならず、経済面でも厳しいものとなることは避けられそうにない。



注1 9月6日付レポート「タイ・セター政権が正式発足、経済政策重視で安定に導けるか」
注2 8月23日付レポート「タイ・タクシン派政権発足も、親軍派がタクシン氏を「人質」に実権を握るか」
西濵 徹
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
- 西濵 徹
にしはま とおる
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経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析
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