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北欧の中立国がNATO加盟へ

~防衛線が倍増、ロシアは警戒強める~

田中 理

要旨
  • それぞれの歴史的な経緯で「中立政策」を採用してきた北欧のフィンランドとスウェーデンは、ロシアのウクライナ侵攻による安全保障環境の変化を受け、NATOに加盟申請した。トルコが両国の加盟に難色を示しているが、最終的に加盟を阻止する可能性は低く、年内には加盟手続きが完了する見通し。ロシアが実力行使で両国の加盟を阻止する可能性は低いが、サイバー攻撃による揺さぶりやバルト海周辺の軍備増強などの動きを強めることが予想される。

  • 過去にロシアとスウェーデンの支配下に入った経験を持つフィンランドは、大国ロシアと広範囲に国境を接し、ロシアとの宥和を通じて自国を守ろうとしたのが中立政策のはじまり。スウェーデンは国力低下と周辺を友好国に囲まれた地理的環境が中立政策の採用を可能にした。両国が中立政策を採用した歴史的な経緯をみると、NATOとロシアの緩衝地帯にあるウクライナの安全保障上の立場がいかに危ういかが分かる。

北欧の中立国のNATO加盟で変わる欧州の安全保障環境

ロシアによるウクライナ侵攻は、欧州の安全保障地図を塗り替えている。北欧のフィンランドとスウェーデンは18日、米欧を中心に30ヵ国が参加する軍事同盟「北大西洋条約機構(NATO)」への加盟を申請した。両国はEU加盟国でありながら、歴史的な経緯から、外交・安全保障上の立場は「中立政策」を採用してきた。現在はNATOと「平和のためのパートナーシップ(PfP)」協定を締結し、合同演習や平和維持活動に参加するが、正式な加盟国ではない。2014年のロシアによるウクライナのクリミア併合後は、緊急時のNATO軍の駐留受け入れや軍事活動を支援する「ホスト・ネーション・サポート」に関する覚書に署名するなど、NATOとの関係を強化している。

NATOは加盟国の領土と国民の防衛を責務とし、加盟国の1つに加えられた武力攻撃を全加盟国に対する攻撃とみなし、集団的自衛権を行使する(北大西洋条約第5条)。NATO加盟国は外部からの攻撃に対して共同防衛義務を負うが、PfP参加国は共同防衛の対象とならない。今回、両国同様にPfP参加国であるウクライナに対して、NATO加盟国が兵器供与などの軍事支援を提供しているものの、自ら戦闘に加わることがないのはこのためだ。加盟はNATOの傘に守られることを意味する一方で、他の加盟国への攻撃に対して責任を負うことになる。ウクライナ進攻によるロシアの脅威を目の当たりにし、両国民の間でNATO加盟への賛成意見が増えている。

ロシアは現在、エストニア、ラトビア、ノルウェーのNATO3ヵ国と直接国境を接するほか、バルト海に面した飛び地領のカリーニングラードがポーランドとリトアニアと国境を接している。それらの国境線の総延長は、前者が約400キロメートル、後者が約350キロメートルだが、フィンランドとロシアの国境線は約1,300キロメートルに及び(スウェーデンはロシアと国境を接していない)、ロシアとNATOの境界線が倍増する。ちなみに、ロシアとウクライナの国境線は約1,100キロメートルに及び、ウクライナがNATOに加盟する場合、ロシアとNATOの双方にとって防衛上の負担が重い。

両国のNATO加盟には、現在加盟する30ヶ国全ての承認が必要で、多くの場合、各国議会での批准手続きも必要となる。トルコはフィンランドとスウェーデンがトルコが敵対視するクルド人勢力の関係者の身柄引き渡しに応じていないことや、シリアでの軍事作戦を巡って、2019年以来、スウェーデンがトルコへの武器売却を停止していることなどを問題視し、両国の加盟に難色を示している。こうしたトルコの姿勢は、スウェーデンや米国からの武器調達などでの譲歩を引き出す狙いがあるとみられ、最終的に両国の加盟を阻止することはないとみられている。共同防衛義務が発生しない加盟申請中のロシアの干渉の恐れもあり、各国は承認手続きを加速するとしており、年内には加盟手続きが完了する見通し。ロシアが実力行使で両国の加盟を阻止する可能性は低いが、サイバー攻撃による揺さぶりやバルト海周辺の軍備増強などの動きを強めることも予想される。

世界142ヶ国の軍事力を比較したグローバル・ファイアーパワーによれば、スウェーデンの総合的な軍事力はポーランドに次ぐ世界第25位、フィンランドはベラルーシに次ぐ第53位に位置する。ちなみにロシアが米国に次ぐ世界第2位、ウクライナが第22位だ。総合的な空軍力はスウェーデンが43位、フィンランドが46位、海軍力はスウェーデンが6位、フィンランドが11位、陸軍力はスウェーデンが32位、フィンランドが39位に位置する。フィンランドは世界第4位の予備役を有する。

大国ロシアと国境を接するフィンランドは中立政策で国を守ろうとした

欧州の北東端に位置し、ロシアと1300キロにわたり国境を接するフィンランドは、ロシア革命の混乱で1917年に独立を宣言するまでの約100年間、帝政ロシアの支配下にあった歴史を持つ。フィンランドと接するコラ半島には現在もロシア北方艦隊の司令部がある。ロシア第二の都市で、西部軍管区の司令部があるサンクトペテルブルクまでは、フィンランドの国境から140キロ余りしか離れていない。フィンランドはロシアからの独立後も、ロシア革命を経て誕生したソ連の脅威に晒されてきた。1939年のソ連によるフィンランド侵攻(冬戦争)では、南東部のカレリア地方がソ連に割譲された。1941年に独ソ戦が始まると、フィンランドはドイツを中心とした枢軸国側の一員としてソ連に宣戦したが(継続戦争)、ロシアの攻勢に遭い、カレリア地方に加えて、北東部のペッツァモとサッラの両地方がソ連に割譲され、海軍基地がある南部のポルッカラがソ連の租借地となった。

第二次世界大戦後は国家の安全と独立を守るため、「パーシキヴィ・ケッコネン路線」と呼ばれるソ連に友好的な外交方針を採用した。東西冷戦時代は、ソ連に配慮してマーシャル・プラン(米国による欧州の戦後復興計画)への参加を見送った一方、1948年に締結したフィンランド・ソ連友好協力相互援助条約では、ソ連との難しい交渉の末、「戦時の中立」という立場を守ることに成功した。その後も、北欧核兵器自由地帯構想を提唱したほか、米ソ間の戦略兵器削減条約交渉の開催地として、欧州安全保障協力会議(現在の欧州安全保障協力機構)の推進国として、さらには国連の平和維持活動(PKO)への積極貢献を通じて、軍縮や平和維持の分野で積極的な中立政策外交を展開した。

冷戦末期にソ連の影響力が弱まると、経済・外交の軸足を欧州に移し、1986年に欧州自由貿易連合(EFTA)に正式加盟し、1989年に欧州評議会、1995年に欧州連合(EU)に加盟した。1994年にNATOのPfPに参加し、関係を強化しているものの、平時における「軍事的非同盟」の対外政策方針に基づき、当面はNATOに加盟しない方針を維持してきた。EUの共通外交安全政策の下で、1999年に発足した「危機管理のための緊急対応部隊」に参加している。同部隊はNATOが全体として関与しない紛争において、EU主導での軍事作戦を遂行する。ロシアによるウクライナ進攻後の今年3月に行われた世論調査では、53%がフィンランドのNATO加盟に賛成し、反対の28%を上回った。2017年に行われた同様の調査では、賛成が19%にとどまり、53%が反対した。

友好国に囲まれたスウェーデンは地理的環境が中立政策を可能に

スカンジナビア半島の中央に位置するスウェーデンは、19世紀前半のナポレオン戦争の終結後、「中立政策」を国是とし、200年以上にわたって戦争に参加していない。「北方の獅子」と呼ばれたグスタフ2世アドルフと宰相オクセンシェルナの下、17世紀のスウェーデンは強大な軍事力でバルト海一帯を支配し、後世にバルト帝国と呼ばれる強国を築いた。だが、18世紀前半の大北方戦争でロシアに敗れてバルト海の覇権を失い、19世紀前半の第二次ロシア・スウェーデン戦争(フィンランド戦争)の敗北により、約600年にわたって支配してきたフィンランドをロシアに奪われた。ナポレオン戦争後、フランスの将軍からスウェーデン王に転じたカール14世ヨーハンは1834年、英国とロシアの間の戦争に備えて軍事的な中立を宣言し、これがスウェーデンの中立政策の源流とされる。当時、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの北欧3国では、ノルマン人の文化的一体性を目指す文芸運動が盛んだった。1848年の二月革命でウィーン体制が崩壊し、ドイツ統一の動きやロシアの汎スラヴ主義など、19世紀半ばの北欧は欧州列強の脅威に晒されていた。そうしたなか、文芸運動は次第に政治的な色彩を帯び、北欧の連帯と団結を掲げる「汎スカンジナビア主義」へと発展していく。北欧3国民に連帯意識が芽生え、列強との間に緩衝地帯を持つ地理的環境が生まれ、スウェーデンが中立政策を選択することを可能にした。

スウェーデンは二度の世界大戦に参戦せず、軍事的な中立を貫いたが、第二次世界大戦ではナチスの脅威からスウェーデンの独立を守るため、苦渋の決断を迫られた。ドイツ占領下のノルウェーからフィンランドに向けて、ドイツの武装師団がスウェーデン領内を通過し、スウェーデン国鉄の列車を利用して輸送することを受諾するなど、中立維持とは言えない戦時下協力を求められた。

第二次世界大戦後、スウェーデンはノルウェーとデンマークに北欧軍事同盟構想をもちかけたが、構想は頓挫。両国はNATOに加盟し、スウェーデンは「戦時の中立を目的とした平時の非同盟」の原則を維持した。その後は国連中心の「積極的外交政策」を展開し、パルメ首相が国連の「軍縮と安全保障に関する委員会」の議長を務めたほか、国連の平和維持活動(PKO)の礎を作り、後にノーベル平和賞を授与されたハマーショルド第二代国連事務総長を輩出するなど、核軍縮、平和促進、途上国支援などの分野で積極的な貢献をしてきた。国連重視と中立政策の立場を採るスウェーデンには平和国家のイメージもあるが、中立政策を維持するための軍事力強化(重武装中立)を同時に進めた。1960年代までは自衛を目的とした核兵器開発を進めたほか、国民皆兵制や民間防衛を含めた全体防衛の考えを採り、多くの独自兵器を開発した。冷戦終結後は中立政策を軌道修正し、1994年にNATOのPfPに参加、1995年にはEUに加盟した。ウクライナ進攻後に行われた世論調査では、42%がスウェーデンのNATO加盟に賛成し、37%が反対した。

以上

田中 理


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田中 理

たなか おさむ

経済調査部 首席エコノミスト(グローバルヘッド)
担当: 海外総括・欧州経済

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