感染爆発が続くインドの行方が世界経済に与える影響とは

~景気減速による直接的影響は限定的だが、ワクチンや抗ウイルス薬、人の移動への影響に注意~

西濵 徹

要旨
  • 昨年来の新型コロナウイルスのパンデミックを受けて、インドでは内・外需双方で深刻な景気減速に直面したが、昨年末にかけては一転底入れの動きを強めた。年明け以降も一段の景気回復が進んだが、足下では変異株による感染再拡大を受けて景気の急ブレーキは避けられないとみられる。ただし、実体経済の規模及びサプライチェーンの結びつきなどを勘案すれば、世界経済への直接的な影響は限定的と捉えられる。
  • 他方、インドは世界有数のワクチン生産国であり、感染急拡大を受けて政府はワクチンや抗ウイルス薬の輸出を事実上禁止している。足下のワクチン接種率は高くないが、国内供給を優先することで事態打開の可能性は高まる一方、新興国を中心にワクチン供給がひっ迫して感染拡大による新たな変異株が生まれるリスクは高まる。さらに、インドは世界の労働力の供給源であり、船員不足が海運物流に影響を与えるほか、建設労働者不足は世界的なインフラ投資による景気対策の進捗に影響を与える可能性に注意が必要と言えよう。

昨年来の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)では、世界経済の減速に加え、国内での感染拡大を受けた都市封鎖(ロックダウン)の実施などを受けてインド経済に内・外需双方で下押し圧力が掛かる事態に見舞われた。しかし、同国政府は感染収束にほど遠い状況にも拘らず景気への悪影響を懸念して経済活動の再開に動くとともに、昨年9月半ばを境に新規感染者数が頭打ちに転じたことを受けて、政府及び中銀は政策を総動員して景気下支えを図るなど経済活動の正常化に舵を切った。結果、昨年末にかけては主要国における感染一服による経済活動の再開を受けて世界経済の回復が進んで外需が押し上げられ、経済活動の正常化による内需の底入れも相俟って、昨年10-12月の実質GDP成長率は前年比+0.4%とプラス成長に転じるなど、想定以上に早く新型コロナ禍の影響を克服することが出来た1 。さらに、年明け以降は新規感染者数が一段と鈍化したことで幅広く経済活動の正常化が図られたほか、欧米など主要国を中心に世界経済は回復の度合いを強めたこともあり、製造業及びサービス業ともに企業マインドは堅調な動きをみせるなど、景気は一段と底入れの動きを強めている様子がうかがわれた。しかし、年明け以降も鈍化傾向を強めてきた新規感染者数は2月半ばを境にして拡大に転じており、5州などで実施された地方選挙や宗教行事など大量の人が密集するイベントが重なったことに加え、感染力の強い変異株が発生する事態も重なり感染が急拡大するとともに、死亡者数も急拡大するなど状況が急速に悪化している2 。さらに、累計の感染者数は257万人を上回るなど米国に次ぐ水準となっているほか、足下では世界の新規感染者数の半分近くをインドが占めるなど、同国は感染拡大の中心地となっている。なお、足下では新規感染者数に頭打ちの兆候が出る動きがみられるほか、酸素吸入器や医薬品などが深刻な不足状態となったことを受けて、わが国を含む国々が支援を行うなどの動きがみられる。しかし、感染拡大が続く大都市部を中心に病床がひっ迫していることを受けて死亡者数は依然拡大ペースを強める展開が続いており、事態収束にはなお時間を要する可能性が高い。上述のように、年明け以降のインド経済は一段と底入れの動きを強める展開が続いていたものの、感染拡大を受けて最大都市ムンバイや首都ニューデリーでは外出禁止措置の発動がなされるなど事実上の都市封鎖状態に置かれている。政府は景気への悪影響を懸念して、昨年のような全土を対象とする外出禁止措置の発動には及び腰となっているものの、大都市を巡る状況が急速に悪化していることに加え、地方部においても感染拡大を懸念する向きが強まっていることもあり、足下では人の移動に急速に下押し圧力が掛かるなど、経済成長のけん引役となってきた家計消費に悪影響が出ることが避けられなくなっている。その意味では、インド景気は急回復を遂げてきたものの、変異株による感染再拡大を受けて一転して景気に急ブレーキが掛かる可能性が高まっていると判断出来る。ただし、インドの経済成長そのものが世界経済に与えるインパクトは、その経済規模やサプライチェーンを通じた世界経済との関係からも極めて限定的と捉えることが出来る。

図1
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図2
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図3
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他方、ここ数年のインドは世界的にジェネリック医薬品の生産拠点として存在感を示しており、昨年来の新型コロナウイルスのパンデミックに際しては、同国も感染拡大の中心地の一角となったことも重なり様々なワクチンの臨床試験が実施されるとともに、ワクチン生産も実施されている。こうしたことから、年明け以降はワクチン接種が開始されたほか、政府は8月までに3億人の国民を対象に無償でのワクチン接種を実施する『世界最大規模』のワクチン接種計画を掲げている。しかし、インドは世界有数のワクチン生産国である一方、そのライセンス契約では世界的なワクチン供給スキーム(COVAX)への供給のほか、様々な国・地域にワクチンを無償配布及び販売することが盛り込まれたほか、インド政府自身もいわゆる『ワクチン外交』を展開するなど、国内でのワクチン接種は幾分『後回し』にされてきたきらいがある3 。ただし、国内において感染動向が急速に悪化したことを受けて、政府は国内のワクチンメーカーに対して増産支援を強化するとともに、供給量の半分を連邦政府に直接納入することを義務付け、残りについても州政府との間で事前に表明された価格で配布することを求めるなど、国内への供給を優先させる動きを強めている。さらに、同国では抗ウイルス薬やその成分も生産されているが、政府はこれらについて当面の間輸出を禁止するなど国内供給を優先する動きを強めている。なお、今月19日時点における累計のワクチン接種回数は1億8,641万回を上回るなど米国や中国に次ぐ水準となっているものの、完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は2.98%に留まり世界平均(4.70%)を下回る。一方、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)は10.53%と世界平均(9.26%)をわずかに上回る水準に留まるなど、政府が目指す集団免疫の獲得までの道のりは依然として遠い状況にある。ただし、インド政府が国内へのワクチン及び抗ウイルス薬の供給を優先する動きをみせていることを勘案すれば、今後はワクチン接種が加速することが期待されるとともに、感染動向の改善に繋がると期待される。その一方、同国はCOVAXによるワクチン供給で重要な役割を担うなか、政府がインド国内への供給を優先する状況が長期化すれば、COVAXにワクチン供給を依存する新興国ではワクチン確保が難しくなる上、ワクチン接種を通じた集団免疫の獲得のスケジュールは大きく後ろ倒しを余儀なくされる可能性がある。そうなれば、仮に欧米など主要国でワクチン接種が進んで集団免疫を獲得する動きが広がった場合においても、新興国での感染拡大やそれに伴う変異株の発生リスクは高い状況が続くことで世界的な人の移動が制限される状況が続くとともに、観光関連産業などにとって厳しい環境が長期化することは避けられそうにない。さらに、インド国内における感染状況の悪化が長期化することは、同国は13億人超の人口を背景に世界的な労働力の供給源となっており、なかでもインド人船員は約24万人と世界の全船員の約15%を占めるなど世界の海運物流の要となっている。ただし、インド国内における感染状況の急速な悪化を受けてドバイやシンガポールをはじめとする主要港では、インド出身者やインドを経由した船員の入国を拒否する動きが広がっており、船員不足が深刻化すれば世界的な海運物流に悪影響を与える可能性も高まる。また、インドからの海外移民はアジアや中東諸国に加え、欧州諸国において建設関連などを中心とする労働力となっているが、インドの感染状況が好転しない状況が続けばインドからの移民が縮小することも予想され、多くの国がインフラ投資の拡充による景気刺激を図っていることを勘案すれば、その進捗に悪影響を与えることも懸念される。その意味では、インドを取り巻く状況の行方はワクチンや抗ウイルス薬の供給、人の往来といった経路で世界経済に様々な影響を与える可能性に注意が必要であり、世界的に連帯の必要性が叫ばれるなかでインド動向を注視しつつ、必要な支援が適時適切に行われる体制作りを図ることが求められよう。

図4
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以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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