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AIが予測する最低賃金引き上げの未来シナリオ

~「好循環」を生むのか、それとも「格差社会」を加速させるのか~

柏村 祐

目次

1.最低賃金引き上げの現状と、AI予測による分析の意義

最低賃金制度は、労働者の生活を守るための「賃金の最低基準」として、都道府県ごとに国が定めている。しかし近年、非正規雇用の増加により、地域別最低賃金の額が生活保護水準を下回る都道府県が生じるという課題が顕在化した。こうした状況を背景に、政府は2020年代に全国加重平均1,500円を目指す方針を掲げ、継続的な引き上げを進めている。

2025年9月、石破首相は最低賃金の全国加重平均が前年比6.3%増の1,121円となったことを受けて会見を開いた。「賃上げこそが成長戦略の要」という基本方針のもと、過去最大となる66円の引上げが実現した一方で、首相は中小企業・小規模事業者への支援強化の必要性も強調した。業務改善助成金の対象拡大、ものづくり補助金の補助率引上げ特例の要件緩和、そして「よろず支援拠点」を活用したプッシュ型のきめ細かい支援、政府は「明日の心配がない暮らし」の実現を掲げ、最低賃金近くで働く約660万人の労働者と、それを支える企業への両面支援を打ち出している。

しかし、最低賃金の引き上げをめぐっては、「労働者の生活向上」を掲げる賛成論と、「企業の経営圧迫・雇用減少」を懸念する反対論が長年対立してきた。

本レポートは、最低賃金引き上げの影響をAI(人工知能)に予測させることで、この議論に新たな視点を提供する。賛成論・反対論のいずれが「正解」かを問うのではなく、AIが示す複数の未来シナリオとその発生確率を分析し、政策判断の材料とすることが目的である。

2.AIが予測する日本の未来―3つのシナリオと発生確率

本分析では、AIに対して2段階のプロンプトを提示した。

第1段階では「最低賃金が上昇し続けたとき、日本経済全体にどのような影響が出るのか。消費者(物やサービスを買う側)と企業(働いたり生産する側)の両方の立場から、どのような波及効果があるのか、考えられる複数のシナリオを示してほしい」と問いかけ、起こり得る未来像を抽出した(詳細は巻末図表3参照)。

第2段階では「2025年10月時点の日本の状況(中小企業の割合、賃金が企業収益に占める比率、企業が価格を引き上げられる力、設備投資の動向、日本銀行の金融政策、世界経済の状況)を前提として、各シナリオが実際に起こる確率を、短期(1年後まで)、中期(1~3年後)、長期(3年後以降)の期間ごとに数値で示してほしい」と指示し、現在の経済状況を踏まえた確率予測を得た(詳細は巻末図表4参照)。

1)各シナリオの概要

AIは、以下の3つのシナリオを想定している。

1つ目は「経済の好循環シナリオ」である。これは賃金上昇が個人消費を刺激し、企業の売上増、さらなる投資や賃上げにつながる理想的な展開である。2つ目は「スタグフレーション・雇用抑制シナリオ」である。スタグフレーションとは、景気が停滞(スタグネーション)しているにもかかわらず物価が上昇(インフレーション)する現象を指す。このシナリオでは、人件費の増加分を企業が価格転嫁することで物価が上昇する一方、企業の収益は圧迫され、雇用が抑制される最も懸念される展開となる。3つ目は「産業構造の転換と二極化シナリオ」である。人件費上昇を契機に、生産性の低い企業が淘汰され、省人化・自動化投資が加速し、経済全体の新陳代謝が進む一方で、企業間・労働者間の格差が拡大する展開である。

2)時間軸で見るシナリオ別発生確率

AIは、現在の経済情勢(2025年10月時点)を前提として、各シナリオの発生確率を時系列で予測している。その結果は以下の表の通りである。

図表
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3)予測の要点

この予測から、いくつかの点が読み取れる。

まず、短期(〜1年後)においては、最も発生確率が高いのは「スタグフレーション・雇用抑制シナリオ」(60%)である。これは、多くの中小企業が人件費の増加分を価格転嫁しきれず、収益が圧迫されるリスクが非常に高いことを示唆している。

次に、中期(1〜3年後)では、「産業構造の転換と二極化シナリオ」の確率が40%と最も高くなる。これは、最低賃金の上昇が常態化する中で、企業は生産性向上への対応を迫られ、対応できた企業とできなかった企業との間で明暗が分かれ始める時期と予測されるからである。

そして、長期(3年後〜)においては、「経済の好循環シナリオ」の確率が45%と最も高まる。これは、中期の産業構造転換を経て、生産性の高い企業が経済を牽引するようになることで、安定的な成長軌道に乗る可能性を示している。

しかし、依然として「産業構造の転換と二極化シナリオ」も40%と高い確率を維持しており、経済成長の果実が一部に集中し、社会の分断が固定化される未来もありえるとされる。

3. AI予測から導かれる政策課題

前章で示した通り、短期(〜1年後)では「スタグフレーション」が60%、中期(1〜3年後)では「二極化」が40%と最も高い確率で予測された。

これは何を意味するのか。最低賃金の引き上げが、いわば経済の「体力測定」として機能するということだ。生産性向上やDX(デジタル化)に投資できる余力のある企  業は、この変化を乗り越え、長期的な「経済の好循環」の担い手となるだろう。しかし、日々の資金繰りに追われ、新たな投資をする余裕のない多くの中小企業にとっては、事業の縮小や撤退を迫られる厳しい現実が待っている。この「二極化」の進行を放置すれば、社会の分断は決定的なものになってしまう。

これについて、政策によって「スタグフレーション」や「二極化」のリスクを最小限に抑え、できるだけ多くの企業と労働者が「経済の好循環」へ軟着陸(ソフトランディング)できる道筋を描くことが求められる。具体的には、大きく2つの方向からの政策強化が不可欠だと考える。

1つ目は、経営体力の乏しい中小企業への「体質改善支援」の強化である。政府がすでに進めている業務改善助成金やものづくり補助金の拡充、そして「よろず支援拠点」を活用したプッシュ型支援は重要な第一歩である。しかし、国内企業の99%以上を占める中小企業すべてに国が直接支援することは現実的ではない。そこで求められるのは、「よろず支援拠点」のような既存の支援機関を核として、商工会議所や地域金融機関と連携した支援体制の強化である。資金援助だけでなく、生産性向上に直結するデジタル技術の導入や価格転嫁戦略について、これらの地域密着型組織が「知恵」と「実行力」を提供できる体制を整備することが不可欠だ。

2つ目は、産業構造の転換過程で厳しい状況に置かれる労働者への、手厚い「学び直しと移動の支援」である。企業の淘汰が進む中で、失業のリスクに直面する労働者は必ず生じる。彼らが次の就業先を見つけられず困難な状況に陥ることなく、成長産業や人手不足が深刻な分野へ円滑に移動できる支援が必要である。ただし、リスキリング(学び直し)については、単に訓練プログラムを提供するだけでは不十分であることを認識すべきだ。現状では、学んだスキルを職場で活かし切れないという課題が指摘されている。そのため、デジタルスキルやグリーン分野などの専門技術習得プログラムの提供と併せて、企業側の受入れ体制整備や、習得したスキルを実務で活用できる職場とのマッチング支援を同時に進める必要がある。同時に、キャリアコンサルティングの充実や、転職期間中の生活を支えるセーフティネットの強化も進めなければならない。

図表
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最低賃金の引き上げは、産業構造の転換を促す側面をもつ。しかし、この転換の過程で生じる人件費増の負担に対応できず事業縮小を迫られる企業や、職を失う労働者を、十分な支援なく放置すれば、その先に待つのは「格差社会」の加速である。

最低賃金の問題は、日本が抱える人口減少や格差拡大という課題と直結しており、その議論の行方は、日本の将来像を左右するものである。企業の新陳代謝を促しつつ、影響を受ける人々を確実に支える。この両輪の政策を強力に推進することが、政府が掲げる「明日の心配がない暮らし」を実現するための道筋となる。AIが示した未来予測は、そのための重要なヒントを私たちに与えてくれている。

巻末図表

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柏村 祐


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。

柏村 祐

かしわむら たすく

ライフデザイン研究部 主席研究員 テクノロジーリサーチャー
専⾨分野: AI、テクノロジー、DX、イノベーション

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