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インフレ警戒も利上げを急がないECB

~長期金利上昇が追加利上げ判断を複雑に~

田中 理

要旨
  • ECBは10月29日の理事会で、政策金利の据え置きを全会一致で決定した。6月と9月の利上げ後もエネルギー価格の上昇が続き、物価の上振れリスクが高まっているが、基調的なインフレが概ね安定し、賃金への二次的波及も限定的なことから、追加利上げを見送った。前回9月の理事会以降、国債利回りの上昇などで金融環境が引き締まっていることも据え置き判断に影響した。

  • 今回の理事会では利上げの是非が議論され、ラガルド総裁は今後も追加利上げを選択肢に残すことを示唆している。フランスの財政不安による国債利回りの上昇は、金融政策の波及を妨げるリスクを伴う一方、景気や物価を抑制する効果もある。12月理事会では、新たな経済見通しに加え、エネルギー価格の持続性、企業の価格転嫁、賃金動向、金融環境の引き締まりが判断材料となる。筆者は12月、来年3月、6月の追加利上げで政策金利が3.25%に達するとの従来予想を維持するが、利上げの時期や回数を巡る不確実性が高まっている。

■全会一致で据え置きも利上げを議論

欧州中央銀行(ECB)は10月29日に終わった理事会で、政策金利の据え置きを全会一致で決定した。ECBは6月に利上げを再開し、7月に据え置いた後、9月に再び利上げしたが、今回は追加利上げが見送られた。インフレ懸念が後退したわけではない。9月のユーロ圏の消費者物価上昇率は前年比+3.8%と8月の同+3.2%から加速し、2%の中期的な物価安定を大きく上回っている。中東情勢の緊迫が長期化するなか、原油や天然ガス価格は9月に発表したECBのスタッフ見通しでの想定を大きく上回っており、物価の上振れリスクが高まっている。

理事会後の記者会見でラガルド総裁は、今回の理事会で利上げが適切かどうかを議論したことを明らかにした。それでも今回の利上げを見送ったのは、①物価上昇が今のところエネルギー価格が中心で、基調的なインフレ率が概ね安定していること、②賃金や他の物価への二次的波及が限定的なこと、③前回理事会以降の長期金利上昇などで金融環境が引き締まっていること、④エネルギー高が景気を下押しする影響も見極める必要があること―などが背景にある。

■金融環境の引き締まりを強調

9月と10月の声明文を比較すると、物価見通しに対する上振れリスクと景気見通しに対する下振れリスクを警戒する基本姿勢は変わっていない。ただし、エネルギーショックの規模と持続期間が拡大し、他の物価への波及が強まる可能性をより明確に指摘している。また、前回理事会以降に金融環境が引き締まっており、今後の物価と成長を押し下げるとの認識を新たに示した。

9月の声明文では、中東での紛争によってインフレ圧力が継続し、物価上昇率が長期にわたり目標を上回ると説明していた。これに対して、10月の声明文では、エネルギー価格がさらに上昇していることを確認したうえで、エネルギーショックの規模と持続期間が拡大し、間接的・二次的波及を通じてインフレ率を押し上げ、成長率を押し下げる可能性を指摘した。同時に、基調的なインフレが概ね安定し、賃金が目立って反応していないことを改めて強調した。物価の上振れリスクが高まっているものの、利上げを急ぐ状況には至っていないとの判断が読み取れる。

注目されるのが金融環境に関する認識の変化である。9月時点でも市場金利の上昇は確認されていたが、10月の声明文では、前回理事会以降の金融環境の引き締まりが物価と成長を押し下げる可能性を政策判断の冒頭で明示している。金利上昇で資金調達コストが上がれば、設備投資や住宅投資、個人消費が抑制される。ECBが政策金利を追加的に引き上げなくても、金融環境が引き締まっていることを意味する。

■財政不安や金融市場の動揺が新たなリスク

ECBはユーロ圏経済について、7~9月期も成長が続いたとの認識を示した。中東紛争の開始後に落ち込んだサービス業は持ち直し、製造業、デジタルサービス、輸出は人工知能(AI)関連の設備投資に支えられている。国防やインフラ関連の政府支出も景気を下支えしている。

一方、足元のエネルギー価格の再上昇が消費者心理を悪化させており、資金調達コストの上昇も景気の重荷となりつつある。8月の失業率は低水準を維持したものの、雇用者数や労働力人口の増加ペースは鈍化している。短期的な景気拡大が続くとしながらも、中東情勢の混乱とエネルギー価格の更なる上昇や高止まり、世界的な金融市場の動揺、貿易摩擦の再燃などを背景に、景気見通しに対するリスクが下振れ方向にあるとの判断を維持した。

9月からの変化として重要なのは、財政の不透明感が金融環境を引き締め、家計や企業の信頼感を損なうリスクを新たに明確化したことである。声明では特定国を名指ししていないものの、フランスの財政再建の難航と国債利回りの急上昇が念頭にあるものと考えられる。また、国債市場の混乱が他国に波及することで金融環境が引き締まり、需要が減少する危険性にも言及した。エネルギー高が物価を押し上げる一方、長期金利上昇や金融環境の悪化が景気を抑制するという、政策判断の難しい状況が続いている。

■賃金への二次的波及は限定的

今回の記者会見で注目されたのが、エネルギー価格の上昇が他の物価や賃金にどの程度波及しているかに関する説明である。ECBは、川上段階ではエネルギー高による物価の押し上げ圧力が表れ始めていると認識している。企業がエネルギー価格の上昇分を製品やサービスの販売価格に転嫁する間接的な影響は次第に強まっている。ただし、雇用者報酬の伸びや、妥結賃金を集計したECBの賃金トラッカーは、今のところ落ち着いている。また、短期の期待インフレ率は上昇しているものの、長期の期待インフレ率の多くは2%程度で安定している。現時点ではエネルギー高が賃金と物価の持続的な上昇を招く悪循環には陥っていない。

もっとも、エネルギー価格の高止まりが長期化すれば、企業の価格転嫁が広がり、生活費の上昇を補う賃上げ要求も強まりやすい。こうした間接的・二次的波及が長期化し、2%目標への物価の回帰を妨げることを警戒している。

■長期金利上昇で金融環境が引き締まり

金融環境に関するECBの認識にも変化がみられる。9月の利上げ後、ユーロ圏の長期金利はさらに上昇した。背景には、世界的な国債需給の悪化、米国の長期金利上昇、ECBの保有国債縮小、各国の財政不安などがある。ラガルド総裁は記者会見で、前回理事会以降に長期の資金調達コストが明らかに上昇したことを認めた。銀行貸出にも引き締めの影響が表れている。ECBが10月27日に発表した7~9月期の銀行貸出調査によれば、企業向け融資と消費者信用の貸出基準が一段と厳格化し、融資需要も幅広い分野で減少した。

追加利上げを判断する際には、こうした金融環境の引き締まりを考慮する必要がある。政策金利を引き上げなくても、長期金利の上昇や銀行融資の厳格化によって実体経済への引き締め効果が強まっている。もっとも、成長期待の改善に伴う金利上昇と、財政不安やリスクプレミアムの拡大による金利上昇では、景気や物価への影響も異なる。ECBは市場金利の動向だけでなく、企業や家計の借入金利、銀行の貸出姿勢、金融政策の波及状況を総合的に判断する必要がある。

■フランスの財政不安と利上げ継続の整合性

長期金利上昇のなかでも特に注目されるのが、フランスの財政不安である。フランスの10年国債利回りは10月下旬に5%を超え、ドイツ国債との利回り格差も大幅に拡大した。政府の財政再建策に対する国民の反発や、議会での予算審議の難航が市場の不安を強めている。今回の声明文ではフランスを名指ししていないものの、財政の持続可能性が広範な経済安定の重要な支えであると強調した。また、財政の不透明感が金融環境を一段と引き締め、家計や企業の信頼感を損なう可能性を指摘した。

ラガルド総裁は記者会見で、政府債務の大きい国々は、以前よりも高い金利が今後も続く可能性を財政計画に織り込む必要があると説明し、各国の財政運営がEUの財政枠組みに適合することの重要性を強調した。そのうえで、市場の動きが金融政策の適切な波及を脅かす場合、伝達保護手段(TPI)を利用する可能性があることを示唆している。TPIは各国間の国債利回り格差の不当で無秩序な拡大に対応するため、2022年7月に創設された。TPIは特定国の財政負担を軽減するための制度ではなく、金融政策の適切な波及を確保するためのものである。財政の持続可能性などに関する条件もあり、フランス国債の利回りが上昇したからといって自動的に発動されるわけではない。

フランスの国債市場が一段と混乱した場合、ECBが量的引き締め(QT)のペースを緩めるとの見方も一部にある。過去の資産買い入れプログラムで保有する国債の償還元本の再投資を再開し、必要に応じて国別配分を柔軟化することで、市場の安定化を図るとの考え方だ。ただし、10月理事会ではAPP・PEPPの再投資を行わず、保有資産の縮小を続ける従来の方針が維持され、ラガルド総裁も記者会見でQTの減速や停止について具体的な方針を示さなかった。QTの見直しを正当化するには、保有資産の縮小自体が市場の混乱や金融政策の伝達障害を引き起こしていることを見極める必要がある。

フランスの財政不安があるからといって、ECBが追加利上げを断念するとは限らない。中期的な物価安定の確保には追加利上げが必要となる一方、特定国で不当で無秩序な市場の混乱が生じた場合には、金融政策の伝達を守るための手段を別途活用するという政策の組み合わせは可能である。もっとも、国債売りの背景に財政運営への正当な懸念がある場合、TPIの発動には慎重な判断が求められる。フランスの財政再建が進まない場合、利上げを進めながら国債市場の安定を確保することは、ECBにとって難しい課題となる。

■12月に改めて利上げの是非を判断

ラガルド総裁は理事会後の記者会見で、利上げの是非を実際に議論したことを明らかにした。また、12月の次回会合までの間に多くの経済データが発表され、金融政策を判断するうえで重要な情報が得られると説明した。こうした発言からは、エネルギー価格の上昇が続き、物価の上振れリスクが強まっている以上、追加利上げが引き続き有力な選択肢となることが示唆される。

ただし、先行きの金融政策については、特定の金利経路を予め約束せず、新たに入手可能となったデータに基づき、理事会毎に政策金利を判断する従来からの方針を維持した。また、9月時点で預金ファシリティ金利は2.50%に達し、ECBが様々なモデルで推計する中立金利のレンジ上限付近にある。追加利上げは、金融政策をより明確な引き締め領域に移すことになるため、中期的な物価安定の確保に追加の金融引き締めが必要かを十分に検証することが必要となる。

今回の記者会見で、ラガルド総裁は追加利上げの方向性を示唆する一方、時期やペースを約束することは避けた。今後の利上げ判断は、エネルギー高による物価上昇圧力と金融環境の引き締まりによる需要抑制効果を総合的に判断することになる。次回12月の理事会は、四半期に1回のスタッフ見通しの発表月で、経済・物価を取り巻く環境をより詳細に検討することになる。

■ラガルド総裁が早期退任

今回の理事会の結果発表に先立ち、ECBはラガルド総裁が2027年2月7日付で早期退任することを正式に発表した。本来の任期満了である2027年10月末より約9ヶ月早い退任となる。後任総裁はEU条約で定められた手続きに基づき、欧州理事会によって任命される。早期退任の理由について、ラガルド総裁は記者会見で、金融政策以外の問題について自由に発言し、活動したいとの意向を示した。ECBの幹部には独立性と引き換えに政治的中立性を守る義務があり、発言や活動にも制約がある。ただし、退任後の具体的な活動や就任予定の役職を正式に明らかにしたわけではない。今回の早期退任により、2027年春のフランス大統領選挙を前に、EUの各国首脳が後継総裁を選ぶことができる。フランスの政治情勢がECB人事に影響することを避けやすくなるという側面があるが、本人がこれを退任理由として説明したわけではない。

後任候補としては、オランダ中銀前総裁のクノット氏、スペイン中銀前総裁で国際決済銀行(BIS)の総支配人を務めるデコス氏などの名前が取り沙汰されている。2027年にはラガルド総裁に加え、シュナーベル理事、レーン理事も退任する。次期執行部の構成によっては、中長期的な金融政策の姿勢や市場との対話のあり方に変化が生じる可能性がある。

■利上げ継続を予想も、金融環境の引き締まりに注意

12月16・17日の次回理事会では、新たなスタッフ見通しが発表される。9月の見通しは8月19日までの市場前提に基づいており、その後の原油・天然ガス価格は想定を上回って推移している。12月のスタッフ見通しでは物価予想がさらに上方修正される可能性が高い。

ただし、エネルギー高が消費者物価を直接押し上げることだけを理由に、ECBが利上げを続けるとは限らない。12月の判断では、①原油・天然ガス価格の水準と持続性、②企業による価格転嫁の動向、③賃金への二次的波及、④中長期の期待インフレ率、⑤長期金利上昇と銀行融資の厳格化、⑥フランスを中心とする国債市場の混乱と他国への波及―などが重要となってこよう。

筆者は、12月に25bpの追加利上げを行い、預金ファシリティ金利を2.75%に引き上げるとの見通しを維持する。その後も2027年3月と6月に25bpずつ追加利上げを実施し、政策金利が3.25%に達すると予想する。現時点で基調的なインフレや賃金への波及は限定的だが、エネルギー高が長期化するなか、インフレ率が2028年まで2%目標を上回る可能性が高いためだ。

一方、9月時点と比べて、追加利上げを取り巻く環境は複雑になっている。長期金利の上昇が今後も続き、銀行融資や企業投資、家計消費への悪影響が強まれば、政策金利を引き上げる必要性は低下する。また、フランスの財政不安が他国の国債市場に飛び火し、銀行システムに波及する場合には、ECBは物価安定と市場の安定を同時に考慮しなければならなくなる。反対に、イラン情勢の緊張が続き、原油・天然ガス価格が一段と上昇すれば、企業の価格転嫁や賃金への波及が強まり、従来の予想以上に金融引き締めが必要となる可能性もある。

インフレ圧力が強まる一方で、金融環境も引き締まるという難しい状況のなか、今回の理事会では利上げを急がず、新たなデータを見極める姿勢を確認した。今後の金融政策は、エネルギー価格の上昇による二次的波及と、長期金利上昇を通じた需要抑制効果のどちらが優勢になるかに左右されることになろう。

以 上

田中 理


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一ライフ資産運用経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

田中 理

たなか おさむ

経済調査部 首席エコノミスト(グローバルヘッド)
担当: 海外総括・欧州経済

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