インドは中国を超えるのか インドは中国を超えるのか

再び勢いを取り戻すインド市場を取り巻く環境を眺めてみると

~米国との通商協議に依然不透明感、トランプ関税の余波や地政学リスクにも注意を払う必要がある~

西濵 徹

要旨
  • トランプ米大統領の関税政策は世界経済や金融市場に影響を与えている。米国は自動車や鉄鋼などへの追加関税に加え、相互関税を課す方針を打ち出した。相互関税を巡る協議では、英国、ベトナム、インドネシアと合意に至る一方、多くの国が難航している模様である。さらに、米国は銅や医薬品への追加関税に加え、ロシア産原油を輸入する国への2次関税に言及するなど、外交カードに関税を積極的に活用している。
  • 金融市場では、米国の関税政策を巡る不透明感やFRB人事への政治介入懸念を理由に米ドル安が進んでいる。さらに、リスク選好の高まりを受けて新興国市場への資金流入が活発化し、インド市場もその恩恵を受けている。ここ数年インド株は上昇が続き、昨年の総選挙後のモディ政権継続により最高値を更新した。しかし、中国株の反発に加え、インド株の割高感から昨年後半以降は一転して調整局面に直面した。
  • 米国との通商協議では、インドは相対的に有利に協議を進めるとの期待を受けてインド株は持ち直した。しかし、農産品や非関税障壁を巡る問題で協議は難航している様子がうかがえる。また、トランプ氏が表明した医薬品への追加関税やロシア産原油を巡る2次関税が実施されれば、インドの輸出や原油調達に深刻な影響を与える可能性があり、当面はその動向を注視する必要性は高まっている。
  • 他方、ここ数年のインドはインフレと金利高に悩まされてきたが、昨年後半以降は生活必需品を中心とする物価は落ち着きを取り戻しており、ルピー相場の落ち着きもインフレ鈍化を促している。中銀による金融緩和への期待も株式市場が活況を取り戻す一因になっていると捉えられる。しかし、ロシア産原油を巡る2次関税はここ数年ロシア産原油への依存を強めるなかでインフレ動向に悪影響を与える可能性は高い。
  • また、依然として地政学的リスクもくすぶる。パキスタンとのカシミール問題では国境封鎖に加え、一時的に武力衝突に発展するなど緊張が高まった。さらに、中東情勢の行方は印パ関係や原油市場にも影響する可能性がある。総じてインド市場は再び勢いを取り戻しつつあるが、当面は慎重な姿勢が求められる。

このところ世界経済や国際金融市場は、トランプ米大統領の一挙一動に翻弄される展開が続く。トランプ米政権は、安全保障上の脅威への目的として、自動車や自動車部品、鉄鋼製品、アルミ製品に追加関税を課している。さらに、貿易赤字の縮小に向けて、すべての国に一律10%、一部の国や地域に税率を上乗せする相互関税を課す方針を示した。米国は4月に相互関税を一旦発動させるも、その後の金融市場の動揺を受けて、直後に上乗せ分を90日間延期して個別に協議を行うことを決定した。5月には英国が個別国として初めて通商合意に至り、報復合戦を受けて貿易戦争に突入した中国とも報復関税の撤廃や協議開始で合意するなど事態打開が図られる動きがみられる。そして、今月にはベトナムとも、内容を巡って極めて不平等と捉えられる状況ながら通商合意に至るなど、協議が進展している様子もうかがえる。しかし、その後も中国との協議は一進一退の様相をみせている模様であり、トランプ氏は中国が世界精製量の大半を握る銅のほか、医薬品への追加関税を表明するとともに、中国が加わるBRICSの反米政策に同調する国への追加関税を表明するなど『圧力』を強める動きをみせる。また、今月初めの90日間の停止期限を前に、米国は協議期限を事実上延期した上で、各国や地域に新たな税率を通知している。ただし、その直後にはインドネシアと、ベトナム同様に不平等な内容ながら通商合意に至る動きがみられる。その一方、こう着状態が長期化するウクライナ戦争の事態打開を目的に、トランプ氏はロシア産原油を輸入する国に対する2次関税を表明するなど、関税を駆使して交渉を後押しする姿勢を強めている。このようにトランプ政権の政策運営は一進一退する動きがみられるものの、金融市場ではこうした動きがトランプ氏の『TALO(暴言)』と『TACO(尻込み)』の繰り返しと捉えられており、一時的に動揺するも、すぐにその収束を見越してリスク選好が強まっている様子がうかがえる。そして、トランプ米政権による関税政策を巡る不透明感に加え、トランプ氏を中心とする政権中枢からFRB(連邦準備制度理事会)議長人事に関する発言が相次いでおり、金融政策の独立性や中立性が危ぶまれるとの懸念も高まっている。こうした状況も重なり、金融市場では米ドルが主要通貨に対して調整の動きを強めるとともに、リスク選好が強まっていることも追い風に新興国通貨に対しても調整しており、米ドル指数は下落傾向を強めてきた。さらに、金融市場がリスク選好を強める背後では、新興国市場への資金流入の動きが活発化しており、通貨のみならず、株高や債券高(金利低下)にも繋がっている。

ここ数年のインド市場は、世界経済のけん引役となってきた中国経済の勢いに陰りが出るなか、インド経済の成長力への期待を追い風に資金流入の動きが活発化してきた。なお、昨年実施された総選挙では、モディ政権を支える最大与党のインド人民党(BJP)が大きく議席を減らすなど苦戦を強いられたものの、連立政党を合わせた与党全体で過半数を維持したため、モディ政権は無事に3期目入りを果たした。BJPが苦戦したとの選挙結果を受けて、直後に主要株式指数(ムンバイSENSEX)は一時的に調整したものの、その後はモディ政権の継続を好感して持ち直しの動きをみせるとともに、最高値を更新した。しかし、昨年9月末を境に上昇基調が続いた流れは一転して変調を余儀なくされた。その背景には、中国当局が政策転換を通じて景気下支えに本腰を入れる姿勢をみせた結果、上値の重い展開が続いた中国本土株が一転して大幅に上昇したことが考えられる。折しも金融市場ではインド株の割高感が意識されてきたこともあり、外国人投資家の間で投資対象となる新興国株の組み替えが進んだ可能性がある。さらに、昨年末には一昨年のインド株を揺さぶった『アダニ問題』を巡る新たな疑惑が噴出し、インド企業に対する評価に悪影響が懸念される事態も重なった。そして、年明け直後はトランプ米政権の関税政策を巡る不透明感をきっかけに金融市場が混乱した結果、株価は一時昨年来の安値をうかがう水準に調整した。しかし、その後の金融市場は上述したようにリスク選好が強まっていることも追い風に、持ち直しの動きをみせるとともに、一時は昨年更新した最高値をうかがう水準に上昇するなど、再び活況を呈する動きをみせている。

図表
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なお、インド株が持ち直しの動きを強めた背景には、トランプ関税を巡る米国との協議で同国が『トップランナー』とみられてきたことがある。事実、トランプ大統領就任直後にモディ首相が訪米して首脳会談が行われ、貿易協定の締結に向けた交渉開始で合意した。米国はその後に同国に対しても相互関税を課す方針を示したものの、上乗せ分を合わせた税率は26%と周辺国をはじめとするアジア新興国のなかでも低水準とした。これは、米中摩擦の激化が避けられ合いなか、インドは世界最大の人口を擁するとともに、中長期的にも人口増加を追い風に経済成長が見込まれるなど消費市場としての魅力や期待が高く、中国に代わる市場として取り込みたいとの思惑が影響した可能性がある。さらに、4月末には米国のバンス副大統領が訪印し、両国間の貿易協定締結に向けた交渉の大枠合意が明らかにされるなど、通商協議が前進する動きもみられた。しかし、その後も報道においては度々協議の前進が伝えられてきたものの、米通商代表部(USTR)は非関税障壁の高さを問題視する動きのほか、農産品や酪農品の扱いを巡って両国の間で大きな隔たりがあるなど、協議は難航する展開が続いてきた。さらに、中国が『強気』の姿勢を維持して米国との協議を優位に進めていることを受け、インドもWTO(世界貿易機関)米国による鉄鋼製品やアルミ製品への追加関税の対抗策のほか、自動車や自動車部品への追加関税に対する報復関税を通知している。よって、米国は今月、同国に対する新たな税率を当初案と同じ26%としたが、インドが強硬策に舵を切るなかで協議は引き続き難航している様子がうかがえる。さらに、トランプ氏は医薬品への追加関税や、BRICSに対する10%追加関税、そして、ロシア産原油を輸入する国に対する2次関税に言及しているが、仮にこれらが実施された場合はインドの外需を巡る状況が悪化することは避けられない。その意味では、トランプ関税を巡る状況は楽観視できないと捉えられる。

他方、ここ数年のインドにおいては、商品市況の高騰に加え、異常気象の頻発、そして、国際金融市場での米ドル高を受けた通貨ルピー安に伴う輸入物価の押し上げも重なりインフレが高止まりしてきた。よって、中銀(インド準備銀行)は物価と為替の安定を図るため、引き締め政策の維持を余儀なくされ、物価高と金利高の共存が経済成長のけん引役である個人消費の足かせとなった。しかし、昨年は雨季(モンスーン)の雨量が例年を上回る水準となり、カリフ(雨季作)の生育が大きく改善したこともあり、異常気象による悪影響が度々顕在化する動きはみられたものの、食料品の物価は落ち着きを取り戻している。さらに、ウクライナ戦争をきっかけに欧米などはロシアに対する経済制裁を強化させたものの、その背後でインドは伝統的な友好国であるロシアからの原油輸入を積極化させており、トランプ関税による世界経済の減速が意識されるなかで国際原油価格が落ち着いた動きをみせていることも重なり、エネルギー価格も落ち着きを取り戻すなど、生活必需品を中心にインフレ圧力が後退している。そして、金融市場における米ドル安の進展も追い風に、ここ数年調整局面が続いたルピー相場も緩やかに持ち直しており、輸入物価も落ち着きを取り戻している。結果、直近6月のインフレ率は前年比+2.1%と中銀が定める目標(4±2%)の下限近傍に鈍化している。中銀は先月の定例会合で大幅利下げや預金準備率の引き下げを決定するなど景気下支えに注力する姿勢をみせたが(注1)、足下のインフレ鈍化は金融緩和を後押しすることで株価を押し上げることが期待される。しかし、上述したようにトランプ氏はこう着状態が続くウクライナ戦争の局面打開を目的とする2次関税に動く方針を示している。インド政府は調達先の多様化により影響の軽減を図ることは可能との見方を示すが、昨年は原油輸入の3分の1強をロシア産原油が占めるなど最大の輸入相手となっていることに鑑みれば、そのハードルは決して低くない。

図表
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そして、隣国パキスタンとの係争地であるカシミール地方のうち、インド政府が直轄地としているジャンムー・カシミールにおいて、4月末にパキスタンを拠点にインドからの同地域の独立を主張するイスラム過激派組織が発砲事件を引き起こしたことをきっかけに、インドはパキスタンとの国境を封鎖した。さらに、インドはパキスタンからの入国者に対するビザ(査証)を無効としたほか、両国を流れる河川の水資源配分に関する条約の効力停止を通告する事態に発展した。一方のパキスタンもインドとの貿易を停止する報復措置に動いた。5月には、インド軍がパキスタンのテロ拠点に対する無人機による空爆を実施したほか、パキスタン軍も報復措置に動くなど、核保有国である両国の緊張状態が一気に高まった。その後に両国による協議が実施されるとともに、停戦合意に至るなど緊張状態は大きく後退している。しかし、両国の間には依然として不信感がくすぶるとともに、パキスタンの背後に中国の存在がうかがえるなかで事態が大きく好転するかは見通しが立ちにくい。さらに、イスラエルによるイランに対する攻撃をきっかけに緊迫の度合いが高まった中東情勢を巡っては、米国によるイランの核施設への空爆で一段と厳しい状況に陥ることが懸念された。しかし、米国の提案とカタールの仲介によりイスラエルとイランは停戦に合意し、事態は沈静化に向けて動いている様子がうかがえるものの、米国によるイランへの爆撃にパキスタンは反発するなど、印パ関係にも間接的に影響を与える可能性がある。中東情勢を巡る動きは、印パ関係にも飛び火するとともに、原油価格などを通じてインド経済に影響を与えることも考えられる。その意味では、このところのインド市場は再び勢いを取り戻しているが、当面の行方についてはこの勢いが続くか慎重な見方が必要になっていると捉えられる。

以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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