インドは中国を超えるのか インドは中国を超えるのか

タイ・ペートンタン首相が窮地、カンボジアとの国境紛争が契機に

~金融市場は反応薄も、政局混乱長期化はバーツ相場や投資環境に悪影響を与える懸念も~

西濵 徹

要旨
  • タイでは、隣国カンボジアとの係争地を巡る緊張が再燃し、5月末には一時的に両軍が交戦状態に発展した。同国政界では、タクシン派主導の現政権が親軍派や反タクシン派との大連立体制が敷かれるなか、国境問題を機に主導権争いが激化した。さらに、ペートンタン首相とカンボジアのフン・セン前首相の非公式電話会談の内容が流出し、その内容を巡ってタイ国内で政権批判が高まっている。政権支持率は急低下したほか、議会上院は憲法裁に首相の解任請願を提出する事態に発展している。さらに、両国は国境封鎖に動いており、関係悪化は供給網の寸断を通じて実体経済に悪影響を及ぼす懸念が高まっている。金融市場は大きな反応を示していないが、政局混乱が長引けばバーツ相場や投資環境への影響は避けられない。

タイでは、隣国カンボジアとの国境地帯で5月末に両軍が一時的に交戦状態に発展したことをきっかけに、政局を巡る混乱が急速に深まっている。タイ東北部ウボンラチャタニ県とカンボジア北部プレアヴィヒア州が隣接する係争地を巡っては、過去にも数回武力衝突が繰り返された歴史がある。なお、カンボジアによる国際司法裁判所(ICJ)への提訴を経て、プレアヴィヒア寺院遺跡とその周辺の領土についてはカンボジアの領有権が認められたものの、その他の国境未確定地帯を巡っては、両国による協議が進められた。しかし、その後のタイでは、いわゆる『タクシン派』と『反タクシン派』による政治対立が激化するとともに、当時のタクシン派政権がカンボジア政府の主張に沿う見方を示したことをきっかけに、反タクシン派や国軍は政権に対する反発を強めた。その結果、2008年からは係争地において両軍による断続的な武力衝突が発生する事態となるも、ICJが再度カンボジアの領有権を認めるとともに、両軍の即時撤退を命じる判断を下した。その後、2012年に両軍が撤退を開始したことを受けて、軍事衝突は一旦終結するとともに、現状維持が図られてきた。

しかし、一昨年の総選挙を経てタクシン派を中心とする政権が誕生したものの、タクシン派と親軍派、反タクシン派による大連立という枠組みで構成された。よって、政権内における主導権争いを巡って、国境問題に再び焦点が当たる格好となった。セター前政権は、かつて両国政府により合意された合同資源開発計画の復活を目指したものの、その内容がカンボジア政府の主張に沿う内容であったため、結果的に反タクシン派が反発を強めた。そして、タイ国内における動きを受けて、カンボジア側も態度を硬化させたため、年明け以降には係争地周辺で両軍による挑発行動が活発化するなど、緊張状態が高まっていた。そうしたなか、5月末には双方による挑発行動が一段と激化したことを受けて、両軍による交戦状態に発展する事態となった。

なお、交戦は約10分で終息したとされるものの、その後は互いに相手側が先に発砲したと主張するなど泥沼の様相を呈した。さらに、タイ国軍は『高度な』軍事作戦を準備する旨を明らかにするなど緊張が高まった。その後に両国は閣僚級協議を開催して平和的解決に向けて合意したものの、タイは二国間協議を通じた現状維持を目指す一方、カンボジアはICJへの再提訴による事態収束を目指すなど、両国の認識を巡る隔たりは大きい。また、先月にタイのペートンタン首相は対立解消に向けて、カンボジアのフン・セン上院議長(前首相)と非公式に電話会談を行ったが、カンボジア側がその内容を流出させたことを機にタイ国内で批判が高まる事態に発展している。ペートンタン氏の父(タクシン元首相)とフン・セン氏は元々昵懇の仲であり、電話会談でペートンタン氏はフン・セン氏にへりくだるとともに、タイ国軍高官を『敵』と称して批判する動きをみせたため、親軍派や反タクシン派が政権への反発を強めた。結果、ペートンタン政権の発足に際して与党連立入りし、第2党となった保守派・タイの誇り党が連立からの離脱を決定した。その後の政党間の合従連衡を経て与党連立は辛うじて多数派を維持し、ペートンタン政権は存続に成功している。しかし、与党連立の政権基盤は脆弱さを増すとともに、国境問題をきっかけにタイ国内ではナショナリズムが高揚し、首都バンコクで大規模デモが発生する事態となった。さらに、先月末に公表された最新の世論調査において政権支持率は9%と過去最低を更新している。

そして、議会上院(元老院)は先月末、憲法裁判所に対してペートンタン首相の解任を求める請願書を提出した。憲法裁判所は本日(1日)に審議の可否を判断する見通しだが、仮に審議開始を決定すれば、ペートンタン氏に対して審議期間中の職務停止の仮処分が下される可能性も考えられ、政権発足から1年足らずで再び政局混乱に陥る懸念が高まっている。一方、カンボジア国内でも強硬論が高まるとともに、電話会談の内容流出を巡ってペートンタン氏が批判の矛先を向けたフン・セン氏もタクシン家との関係断絶を宣言し、批判を強める事態となっている。なお、フン・セン氏が強硬姿勢をみせる背景には、同国では一昨年、同氏の長男であるフン・マネット氏への政権禅譲が図られており、体制基盤の強化を図るべく自国民へのアピールを強めているとの見方もある。さらに、タイ国軍はカンボジア国境の検問所を閉鎖して両国間の通行を原則禁止にするとともに、カンボジアもタイからの農産品や燃料の輸入を停止するなど報復措置に動いている。タイでは、近年の急速な少子高齢化により労働力人口が減少に転じており、若年人口比率が相対的に高いカンボジアは労働力、供給網の観点から『タイ・プラス・ワン』の一角として製造拠点として存在感を高めてきた。しかし、国境封鎖が長期化すれば、供給網の寸断をきっかけに生産拠点としてのタイの存在感低下の流れが大きく加速するとともに、実体経済にも悪影響を与える事態も考えられる。

金融市場では、タイの政局混乱は『日常茶飯事』と見做されるとともに、ほとんど材料視されない状況が続いている。結果、このところは米トランプ政権の政策運営を巡る不透明感を理由とする米ドル安がバーツ相場を下支えする展開が続いている。しかし、米トランプ政権との関税協議も見通しの立たない状況が続いている上、仮に政局混乱が深刻化して政策運営への不透明感が高まれば、バーツ相場を取り巻く環境が大きく変化することも考えられる。タイでは再び『政治の季節』が到来する可能性が急速に高まっていると判断できる。

図表
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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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