マレーシア、感染拡大の背後で政局争い激化、収束の見通し立たず

~金融市場の動揺に対する耐性は乏しいが、「コップの中の争い」はやめられそうにない模様~

西濵 徹

要旨
  • ASEANは変異株による新型コロナウイルスの感染拡大の中心地となるなか、マレーシアは年明け以降の感染再拡大を受けた非常事態宣言発令にも拘らず、足下では感染爆発状態に直面している。ワクチン接種は接種の加速化を受けて足下ではASEAN内で先行しているものの、変異株へのワクチンの効能に不透明感がくすぶる上、医療インフラが脆弱な地方に感染の動きが広がるなど事態収束が見通せない状況にある。
  • 感染動向は一段と悪化するなか、ムヒディン政権は国王の命令を受けて先月末に一旦連邦議会を再開するも、再度延期するとともに非常事態宣言の延長を決定した。ただし、この対応に王室は反発しているほか、与党連合内から離脱の動きも出るなど政権崩壊リスクが急速に高まっている。外貨準備高は国際金融市場の動揺への耐性が十分でないなか、政局を巡る「コップの中の争い」は同国を一段と追い込む可能性もあろう。

昨年以降の世界経済を揺さぶる展開が続く新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)を巡っては、年明け以降に感染力の強い変異株に置き換わる動きがみられるなか、足下ではASEAN(東南アジア諸国連合)が感染拡大の中心地の一角となっている。なかでもマレーシアにおいては、昨年末以降に感染拡大の動きが広がったことを受けて、今年1月に50年以上ぶりとなる全土を対象とする非常事態宣言を発令して広く国民に対して行動制限を課す対応が採られた(注1)。なお、同国では昨春以降の政局争いを経てムヒディン政権が発足するも(注2)、その後も政局争いが続いたため、ムヒディン政権としては新型コロナ禍対応を通じ次期総選挙に向けて『失地回復』を図るとともに、政局争いの『棚上げ』を図るべく非常事態宣言の発令を急いだ可能性がある。ただし、現実には非常事態宣言の発令にも拘らず変異株の流入を受けてその後の感染動向は悪化して政府は行動制限の一段の強化を余儀なくされたものの(注3)、その後も感染動向は一段と悪化したことを受けて、国王は非常事態宣言に伴い停止された連邦議会の早期再開を求めるなど『政治の季節』が大きく前進することが予想された(注4)。同国における感染拡大の「第3波」は5月末を境に頭打ちするなど改善する兆しもみられたものの、非常事態宣言による活動制限令の長期化を受けた『規制疲れ』が影響している可能性に加え、活動制限令を受けて人の移動は低調な推移が続いているにも拘らず、6月半ばを底に新規陽性者数は拡大に転じている。さらに、その後も変異株による感染拡大の動きが広がるとともに、感染拡大は首都クアラルンプールのみならず医療インフラが脆弱な地方部にも広がりをみせていることも重なり、感染収束の見通しが立たない事態に直面している。また、新規陽性者数の急拡大により医療インフラに対する圧力が強まっていることを受けて、足下では死亡者数も拡大傾向を強めており、累計の陽性者数(114.6万人(今月2日時点))、死亡者数(9,403人(同))はともにASEAN内でインドネシア、フィリピンに次ぐ水準となっている。ただし、人口100万人当たりの新規陽性者数(7日間移動平均)は今月2日時点で519人とASEAN内で突出しており、同国に次ぐ水準にあるタイ(260人)の倍近くであるなど極めて厳しい状況に置かれていると判断出来る。なお、ムヒディン政権は感染収束を目指してワクチン接種の加速化を図るべく調達を積極化させてきた結果、今月2日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は22.24%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)は44.71%と世界平均(それぞれ14.73%、28.49%)を上回っている上、感染者数が急減する『閾値』と捉えられる40%を上回るなど『40%の壁』に到達しており、今後は事態収束が進むことが期待される。他方、足下で感染拡大が広がる変異株についてはワクチンの効果が低いとの見方も出るなか、事態収束に向かうか否かを見極めるには時間を要する可能性がある。

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こうしたなか、国王による連邦議会の再開命令を受けて先月26日に一旦再開されたものの、ムヒディン政権は新型コロナウイルスの感染拡大を理由に再度連邦議会を延期することを決定するとともに、8月1日に予定された非常事態宣言の解除についても延期する手続きを進めるなどの対応をみせた。ただし、非常事態宣言の延期を巡っては、ムヒディン政権は連邦議会に対して事前に国王の同意を得たと説明したものの、その後に王室が連邦議会における議論を経ずに手続きを進めたことに対して遺憾の意を表明する声明を発表するなど、ムヒディン首相とアブドラ国王との間の『すきま風』は一段と広がっていることが確認された。ムヒディン政権を巡っては、発足直後から野党連合を率いるアンワル元副首相が首相の辞任を要求する動きをみせるなど政局争いの核となってきたが、年明け以降には与党連合の一角を担う統一マレー国民組織(UMNO)が次期総選挙においてムヒディン首相が率いるマレーシア統一プリブミ党(PPBM)との協力関係を解消する方針を決定しており、先月にはUMNOが与党連合からの離脱を決定するとともにムヒディン首相の退陣を要求するなど、政権内から『遠心力』が強まる動きがみられる。さらに、今月3日にはUMNO所属の閣僚(シャムスル・アヌアル・ナサラ前電力・天然資源相)が党の方針に従う形で辞任を表明しており、今後も同党所属の閣僚が辞任する事態となればムヒディン政権は存続が危ぶまれる事態となる。なお、ムヒディン政権を支える与党連合はUMNOを併せて連邦議会下院の過半数をギリギリ維持可能な状況が続いてきたため、UMNOの離脱を受けて過半数割れとなることは必至であり、政権が瓦解状態に陥る事態も間近となりつつある。足下の国際金融市場においては、米FRB(連邦準備制度理事会)による量的緩和政策の縮小検討の動きに加え、アジア新興国が新型コロナウイルスの感染拡大の中心地となるなど景気の下振れが意識されていることも相俟って資金流出圧力が強まる動きがみられるなか、マレーシアについては政局争いの激化も意識されて通貨ルピア相場に下押し圧力が強まる展開をみせている。マレーシアの外貨準備高を巡っては、6月末時点においてもIMF(国際通貨基金)が示す国際金融市場の動揺に対する耐性を示す『適正水準』を下回る状況が続いており、国際金融市場の動揺に対する耐性が比較的乏しい状況にあることを勘案すれば、政局争いに興じている余裕はないと判断出来るものの、国際金融市場や世界経済の動向を無視した『コップの中の争い』が激化することは避けられないと予想される。

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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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