豪中銀、変異株に懸念も将来的な量的緩和縮小の方針を堅持

~中銀は感染動向を留意するも景気見通しは比較的楽観、豪ドル相場は感染動向に揺さぶられる展開~

西濵 徹

要旨
  • 足下の世界経済は、主要国でワクチン接種を追い風に景気回復が進む一方、アジアなどでは変異株による感染再拡大や行動制限が景気に冷や水を浴びせるなど、好悪双方の材料が混在する。豪州では部分的に感染再拡大がみられるもワクチン接種も進んできたが、先月以降は変異株の流入を受けて拡大ペースが加速し、最大都市シドニーで行動制限が長期に亘り実施されるなど実体経済への悪影響が必至である。来年は総選挙が予定されるなか、感染悪化を受けて政権支持率は低下するなど政治動向にも影響を与える。
  • ここ数ヶ月は雇用が急回復するも感染再拡大による悪化懸念の一方、インフレ率は13年ぶりの高水準となるなど金融政策への影響が懸念された。さらに、変異株による感染再拡大は実体経済の重石となることが懸念されるが、中銀は3日の定例会合で9月以降の量的緩和策の縮小の方針を改めて堅持した。景気の先行きに対する見方も感染動向による不透明感に言及しつつ比較的楽観的な見通しを示す。金融市場においては感染再拡大による中銀の政策スタンスの緩和シフトを織り込んで豪ドル安圧力が強まる動きがみられたものの、当面は底堅い展開が見込まれるとともに、引き続き感染動向の影響を受ける状況が続くであろう。

足下の世界経済を巡っては、米欧や中国など主要国でワクチン接種を追い風に経済活動の正常化が進む一方、アジアを中心とする新興国では感染力の強い変異株による新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染再拡大が広がり、行動制限が再強化されるといった景気に冷や水を浴びせる動きがみられるなど、好悪双方の材料が混在している。豪州においては、昨年来の新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を受けて、国境封鎖による徹底した水際対策や都市封鎖(ロックダウン)の実施、濃厚接触者の追跡などを通じて封じ込めを図ってきた。こうしたことから、昨年後半以降は局所的に感染が再拡大する動きがみられるものの、感染拡大がみられる地域を対象とする行動制限の再強化を通じて感染の抑え込みを目指すとともに、主要国においてワクチン接種の拡大が感染抑制を促してきたことから加速化を図ってきた。なお、豪政府は年末を目途にほぼすべての国民(約2,600万人)を対象にワクチン接種を完了させる計画を立てており、国内でのワクチン製造など供給網の整備を進めるとともに、ワクチン接種のすそ野を広げる戦略を採ってきた。結果、今月1日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は15.27%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も33.04%とともに世界平均(それぞれ14.64%、28.38%)を上回るなど、ワクチン接種は着実に前進している。ただし、足下のワクチン接種率の水準は感染者数が急減する『閾値』と捉えられる40%を下回るなど『40%の壁』の到達まで『今一歩』の状況にあるなか、先月以降はアジアを中心に拡大する変異株の流入を受けた感染再拡大の動きが広がっている。感染再拡大を受けて、5月末には第2の都市メルボルンを擁するビクトリア州で行動制限が再強化されたほか、6月末には最大都市シドニーを擁するニュー・サウス・ウェールズ州でも行動制限が再導入されるとともに、隣国ニュージーランドとの間で再開された隔離なしでの自由往来も停止されるなど感染動向は急変している。足下における累計の感染者数は3.4万人強、死亡者数も924人(今月2日時点)と他国に比べれば少数に留まるものの、このところの新規陽性者数の急拡大の動きに歩を併せる形で先月半ば以降は死亡者数が再拡大する動きがみられ、医療インフラに対して緩やかに圧力が掛かっている様子もうかがえるなど状況は厳しさを増している。こうしたことから、ニュー・サウス・ウェールズ州政府は先月末にシドニー都市圏を対象とする行動制限を今月末まで延長する方針を決定しており、総人口の2割強を擁する同都市圏では2ヶ月に亘って行動制限が敷かれる事態となるなど実体経済への悪影響は必至とみられる。一方、行動制限の長期化を受けて若年層を中心に不満が噴出するなかで抗議デモが展開される動きもみられ、来年9月までに連邦議会下院(代議員)の総選挙の実施が予定されるなど『政治の季節』が近付くなか、足下ではモリソン政権に対する支持率が急落するなど新型コロナ対応が政治動向を大きく左右する可能性も高まっている。

図表
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なお、上述のように変異株による新型コロナウイルスの感染再拡大の動きが広がるとともに、シドニー都市圏を対象とする行動制限が長期化するなど実体経済への悪影響が避けられなくなっていることを受けて、これまで回復の動きを強めてきた雇用環境は一転して調整する可能性が高まっている。他方、昨年後半以降における世界経済の回復を追い風に国際原油価格は底入れの動きを強めるなか、足下のインフレ率は新型コロナ禍対応を名目に政府が昨年実施した教育無償化などの影響の反動も重なり、13年弱ぶりの水準に加速しており、中銀の定めるインフレ目標を大きく上回る事態となっている。政府及び中銀は昨年来、財政及び金融政策の総動員を通じた景気下支えを図ってきたほか、中銀については政策金利を過去最低水準に引き下げるとともに、イールド・カーブ・コントロール(YCC)の導入、量的緩和政策の実施及び拡充など異例の対応を進めてきた。こうしたなか、中銀は感染動向の改善を受けた景気回復を受けて7月の定例会合を念頭に政策変更の有無を検討する姿勢をみせており、7月会合では変異株による感染再拡大が警戒されるなかで現行の緩和政策を維持するも、11月以降に量的緩和策の縮小を示唆するなど先行きの景気回復に自信をみせた(注1)。ただし、上述のようにその後の感染動向の急激な悪化が政策スタンスに影響を与えると懸念されたものの、中銀は3日に開催した定例会合において政策金利(オフィシャル・キャッシュ・レート)を0.10%、為替決済残高に対する金利をゼロ、YCCの適用対象である2024年4月償還債(3年債)金利を0.10%に据え置くとともに、量的緩和政策についても9月上旬までを対象とする第2弾(週50億豪ドル)の終了後は11月半ばまでを対象とする第3弾(週40億豪ドル)を実施するという、9月上旬以降における量的緩和策の縮小という方針を維持した。会合後に公表された声明文では、同国経済について「想定以上に堅調な推移が続いている」一方、「足下の感染再拡大を受けて7-9月の景気は下振れする」としつつ、「感染が収束すれば景気は素早く立ち直りをみせる」とした上で「追加的な政策支援やワクチン接種を追い風に来年も引き続き高成長が見込まれる」との見方を示した。その上で、先行きの景気見通しについて「感染動向や対策の影響を受けるなど不透明」としつつ、「来年半ばにかけて多くの国でワクチン接種が広がり、国境が解放されることを前提に経済成長率のメインシナリオは来年に+4%強、再来年は+2.5%程度になる」との見方を示した。また、労働市場についても「想定を上回る水準で回復している」とした上で、「一部の地域で人手不足が報告されており、短期的には都市封鎖による失業率の上昇が予想されるも、労働市場の調整は労働時間の短縮と労働参加率の低下に留まる」とし、先行きの失業率も「来年末には4.25%、再来年末には4%に低下する」との見通しを示した。足下のインフレの上振れについて「新型コロナ禍対応を受けた価格下落の解消に伴うもの」とした上で、「コアインフレ率は低水準に留まっている」としつつ、先行きは「賃金の上昇とコアインフレ率の上昇は緩やかなものに留まる」とし、「景気回復が賃金や物価上昇に反映されてインフレ目標に近付くには数年掛かる」との見方を改めて示し、インフレ見通しも「賃金動向が不透明要因となるなかで来年は+1.75%、再来年も+2.4%になる」との見方を示した。なお、同行が警戒感を示してきた不動産市場については「持ち家需要のみならず投資家需要の堅調さを反映して上昇が続いている」ものの、「ローン動向を注視しており、貸出基準の維持が重要」との考えを示した。金融市場環境についても「引き続き非常に緩和的」との見方を示し、「国債利回りは低下しており、商品市況の高騰にも拘らず豪ドル相場は調整している」としてこのところの豪ドル安の進展を好感する姿勢をみせた。先行きの政策運営についても「完全雇用と物価目標の実現に向けて引き続き緩和政策の維持をコミットする」とし、「低金利や量的緩和、YCCなどを通じた資金供給は部分的な都市封鎖にも拘らず景気を支援しており、先行きの景気回復が期待される」とした上で、「量的緩和策は景気動向や感染動向、雇用及び物価動向に応じて柔軟に見直しを行う」としつつ「インフレ率が持続的に目標域に入るまで政策金利は引き上げず、メインシナリオではその実現は2024年になる」と向こう2年半弱は維持する考えを示した。金融市場においては、変異株による感染再拡大の実体経済への悪影響を懸念して中銀が緩和縮小を後ズレさせるとの見方が豪ドル相場の重石になってきたものの、中銀が改めて景気に対する強気な見方を示したことで豪ドル相場の下値を支える動きが期待される一方、引き続き感染動向に揺さぶられる展開が続くと予想される。

図表
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以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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