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2025.11.14
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ニューロ・インクルーシブ・デザインの挑戦
~ユニバーサルデザインの次なる進化~
後藤 博
- 目次
1.スロープの先にある「見えない壁」
ユニバーサルデザイン(UD)は、「すべての人のためのデザイン」という崇高な理念のもと、社会に劇的な変化をもたらした。ロナルド・メイスが提唱した7原則は、デザインプロセスにおいて障害の有無や年齢、能力にかかわらず、できるだけ多くの人々が公平に利用できる環境を目指す指針となった(注1)。その結果、段差を解消するスロープ、誰もが握りやすいレバーハンドル、直感的に操作できる自動ドアなど、物理的な障壁(バリア)は着実に撤廃されてきた。
しかし、この「すべての人」という言葉の包摂性は、今、新たな問いに直面している。UDが主に対象としてきたのは、車いす利用者、高齢者といった、比較的「目に見える」あるいは「想定しやすい」身体機能的な多様性ではなかったか。
現代において、DE&I、すなわちDiversity(多様性)・Equity(公平性)・Inclusion(包括性)の議論が深まるにつれ、「ニューロダイバーシティ(脳の特性(神経のあり方)の多様性)」という概念が急速に重要性を増している(注2)。これは、脳や神経系の発達の違いを、病気や欠陥ではなく「個性」や「多様性」として捉える考え方であり、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害(LD)、感覚過敏(HSP)(注3)などが含まれる。
文部科学省の調査によると、小中学校において「学習面または行動面で著しい困難を示す」とされた児童・生徒の割合は8.8%とされており、少なくはない(図表1)。
また、厚生労働省が毎年公表している「障害者雇用状況の集計結果」によると、身体障害者のみならず精神障害者(発達を含む)の雇用者が一貫して増加傾向にある(図表2)。社会で活躍する人が増えるにつれ、感覚的・認知的配慮の必要性が高まっている。
物理的なスロープが整備されたその先で、当事者たちは「見えない壁」に突き当たっている。それは、従来のUDが暗黙のうちに前提としてきた「ニューロティピカル(神経標準型)」の認知プロセスや感覚処理では乗り越えられない、認知と感覚のバリアである(注4)。本稿は、UDが直面するこの限界を分析し、その先にある「ニューロ・インクルーシブ・デザイン(Neuro-Inclusive Design)」の必要性を考察する。


2.「使いやすさ」が「生きづらさ」になるとき
ユニバーサルデザインの核心は、単一の優れたデザインによって、多様な人々のニーズを同時に満たすことにあった。しかし、ニューロダイバーシティ(脳の特性(神経のあり方)の多様性)の視点に立つとき、この「単一の最適解」というアプローチそのものが障壁となるパラドックスが露呈する。なぜなら、神経多様な人々の間には、しばしば「相反するニーズ」が存在するからである。ある集団にとっての「使いやすさ」が、別の集団にとっての「生きづらさ」に直結してしまう。こうした問題の背景には、以下の2つの障壁があることが指摘できる。
第一は「感覚的障壁」である。UDはしばしば、安全性や視認性を高めるために、特定の感覚入力を強化する傾向がある。照明と色彩を例に挙げると、高齢者やロービジョン(弱視)の人々が安全に移動できるよう、UDは公共空間において「明るい照明」と「高コントラストな配色」を推奨する。警告色としての黄色や赤の使用もその一例である。しかし、この配慮は、視覚過敏を伴う自閉スペクトラム症(ASD)や感覚過敏(HSP)の当事者にとっては正反対の結果をもたらす。彼らにとって、明るすぎる蛍光灯のちらつきや、彩度の高い鮮やかな色彩は、不快感を通り越して「苦痛」となり得る。
音響についても同様である。聴覚障害者や高齢者にも情報が届くよう、駅や空港のアナウンスは「大きく明瞭」であることがUDの配慮とされる。だが、この大きく反響する音声や、突然鳴り響く警告音は、聴覚過敏を持つ人々にとって強いストレスとなり、時にパニックを引き起こすトリガーともなる。
第二は「認知的障壁」である。UDは「直感的でわかりやすい操作」を目指すが、その「直感」は認知プロセスを基準にしていることが多い。
情報デザインを例に挙げると、現代のウェブサイトやアプリケーションは、ユーザー体験をより魅力的にするため、多くのアイコン、画像、インタラクティブな要素を配置する。しかし、この視覚的情報の過多は、注意欠如・多動症(ADHD)の当事者にとっては注意散漫の原因となる。また、自閉スペクトラム症(ASD)の当事者にとっては、直感的でない分かりにくいアイコンや「さあ、始めよう!」というようなキャッチコピーは解釈が困難である。「登録ボタンを押してください」というような誰が読んでも同じ意味に受け取れる具体的な指示の方がはるかにアクセシブルである。
空間デザインも課題を抱えている。特にオフィス環境において、コミュニケーションの活性化を目的とした「オープン・プラン(壁のない開放的な空間)」が流行している。しかし、この設計は、視線、雑談、電話の声、人の動きといった、予測不能な社会的・感覚的刺激に常にさらされる環境を生み出す。これは、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)の当事者にとって認知的負荷が極めて高く、生産性を著しく低下させる要因となっている(注5)。
このように、良かれと思って設計された「単一のユニバーサルな最適解」は、神経多様な人々を意図せず排除する「見えない壁」(感覚的障壁及び認知的障壁)を構築している。
3.答えは「単一の正解」から「多様な選択肢」へ
こうしたUDが直面する「相反するニーズ」のジレンマを克服するため、デザインのパラダイムシフトとして「ニューロ・インクルーシブ・デザイン」という考え方がある。この核心は、デザイナーが「単一のユニバーサルな最適解」を押し付けるのではなく、「多様な選択肢と制御権(コントロール)」をユーザー自身に提供することにある(注6)。「すべての人に合う単一環境は存在しない」という前提に立ち、個人が自身の特性に合わせて環境を調整できることを最高のアクセシビリティとする考え方だ。この考え方には以下の3つの側面がある。
第一は「選択と制御」である。これは、ユーザーが環境からの刺激(光、音、情報量など)を制御できることを最も重要とする。デジタル空間では、オペレーティング・システム等のリーダー機能、ダーク表示/ライト表示、アニメーション停止、フォント変更機能などが実践例である。これらはユーザーが認知的・感覚的負荷を自ら調整できる手段を提供する。物理空間では、オフィス設計において、全員をオープン・プラン(壁のない開放的な空間)に押し込めるのではなく、活動内容や体調に合わせて場所を選べる「ゾーニング」が重要となる。具体的には、協働エリア、半個室、集中ブース、感覚過敏時に刺激を遮断する「カームダウン・ルーム」など、多様な空間タイプを用意し、従業員が自由に選択できることが求められる。
第二は「明瞭性と予測可能性」である。これは、認知的負荷を最小限に抑え、「次に何をすべきか」「今何が起こっているか」を明確に示すことを必要とする。曖昧さを排除し、予測可能性を高めることが混乱や不安を軽減する鍵となる。
第三は「当事者中心設計 (Co-Design)」である。これは、「Nothing About Us Without Us(私たち抜きに私たちのことを決めるな)」の精神に基づき、デザインプロセス自体にインクルージョンを取り入れることを不可欠とする。ニューロダイバーシティ(脳の特性(神経のあり方)の多様性)の特性、特に感覚や認知のあり方は、デザイナーの「想像」や「共感」だけでは捉えきれない。良かれと思って設計したものが当事者にとって使いにくい、あるいは苦痛であるといった事態を防ぐには、デザインプロセスの初期段階から自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症などの神経多様性のある人々を専門家として招き入れ、試作モデルの検証やフィードバックを必須とする「当事者中心設計(Co-Design)」が求められる。
4. もう始まっている未来
ニューロ・インクルーシブ・デザインは理想論ではなく、すでに海外では社会の様々な場面で実践されはじめている。
公共空間に関しては、英国、オーストラリア等の多くのスーパーマーケットチェーンが「クワイエット・アワー(Quiet Hour)」を導入している。週数時間、照明を落とし、BGMやアナウンスを停止するなど、感覚過敏を持つ自閉スペクトラム症(ASD)当事者等が安心して買い物できる環境を提供している。これは、環境を「時間によって可変させる(制御する)」というニューロ・インクルーシブ・デザインの好例である。空港やスタジアムでの「カームダウン・ルーム」や「センソリー・ルーム(感覚調整室)」の設置も進んでいる。
職場(Workplace)に関しては、欧米のグローバルIT企業がニューロダイバーシティ人材の採用プログラムを推進している。採用にあたっては、従来の対人面接ではなく、実務能力を試す課題や、長期のインターンシップで評価するようにしている。採用後も調光可能な照明、集中できるよう、周りの音を消すヘッドホンを用意し、明確な指示書の用意など、ニューロ・インクルーシブ・デザインに基づいた環境整備を行っている。これは多様な才能を活かす経営戦略でもある。
また、ウェブサイトやアプリの使いやすさに関する世界的なルールWeb Content Accessibility Guidelines(WCAG)が新しくなる。その新案(WCAG 3.0)では、『認知・学習障害』(物事の分かりにくさや学び難さ)を抱える人々への配慮が、特に重要な柱となる見込みである(注7)。これはWebデザインの評価軸が「技術的準拠」から「実際のユーザーの認知的負荷」へと移りつつあることを示し、ニューロ・インクルーシブ・デザインの考え方が国際標準となりつつある証と言える。
5.物理的スロープの次に架けるべき「心のスロープ」
UDが目指した「すべての人のためのデザイン」という理念は、今、「多様な脳」と向き合うという新たな挑戦の局面に至り、その真価が問われている。従来のUDが「単一のユニバーサルな製品/空間」という固定的な最適解を追求しがちだったのに対し、ニューロ・インクルーシブ・デザインは「ユニバーサルな選択肢」の提供を目指す。
真のインクルージョンとは、全員を一つの「標準」に合わせることではない。それは、神経や感覚のあり方が異なる多様な個人が、それぞれにとって最適な方法を自ら「選択」し、環境を「制御」できる状態を設計することである。
2024年4月に日本で施行された改正障害者差別解消法は、民間事業者にも「合理的配慮」の提供を義務化し、物理的障壁だけでなく、ニューロダイバーシティが直面する感覚的・認知的障壁への対応をも社会全体に求めている(注8)。
今後は、物理的な障害の解消の次に、認知と感覚の多様性に対応する「心のスロープ」を架けることも視野に入れる必要がある。その設計思想こそが、UDの次なる進化形であり、ニューロ・インクルーシブ・デザインである。
【注釈】
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ユニバーサルデザインの7原則(ロナルド・メイス提唱)
原則1(公平性)誰でも公平に使える。
原則2(自由度)自由に柔軟に使用できる。
原則3(単純性)使い方が容易でわかりやすい。
原則4(明確性)必要な情報がすぐ理解できる。
原則5(安全性)誤操作が起きても安全性が保たれている。
原則6(省力性)少ない労力で楽に使える。
原則7(空間性)使いやすい充分なスペースが確保されている。 -
ニューロダイバーシティ(Neurodiversity):1990年代後半、オーストラリアの社会学者ジ ュディ・シンガー(Judy Singer)らによって提唱された概念。人間の脳機能や神経システムにおける多様性を、生物多様性(Biodiversity)と同様に、社会における自然な差異として尊重し受け入れるべきだとする考え方。
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HSP(Highly Sensitive Person):米国の心理学者エレイン・アーロン博士が提唱した概念で、感覚入力に特に敏感な特性を持つ人々を指す。
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ニューロティピカル(Neurotypical)は、ニューロダイバーシティ(神経多様性)の対義語として用いられる用語で、社会において多数派(マジョリティ)とされる、定型的な神経発達や認知のパターンを持つ人々を指す。
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オープン・プラン・オフィスが生産性や従業員のウェルビーイングに与える影響については、複数の研究で指摘されている。例えば、ハーバード・ビジネス・スクールの研究(2018年)では、オープン・プラン導入により対面でのインタラクションが約70%減少し、Eメール等の送信が大幅に増加したことが示された。騒音やプライバシーの欠如が、特に神経多様性を持つ従業員の集中力を阻害する要因となることが指摘されている。
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「ニューロ・インクルーシブ・デザイン」は、単一の最適なデザイン(Universal Design)を目指すのではなく、個々のユーザーが自身の神経特性に合わせて環境を「選択」し「制御」できることを重視する設計思想を指す。
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WCAG(Web Content Accessibility Guidelines)は、W3C(World Wide Web Consortium)が策定するウェブアクセシビリティの国際標準ガイドライン。ウェブコンテンツを障害のある人にとってよりアクセシブルにする方法を定義している。開発中の次世代バージョン「W CAG 3.0」の草案(Working Draft)では、従来の技術的準拠性に加え、実際のユーザーテストや認知的負荷、理解の容易さといった側面を評価に組み込むことが議論されている。
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2013年制定、2021年の改正障害者差別解消法が2024年4月1日から施行され、従来は「努力義務」であった民間事業者による「合理的配慮の提供」が「法的義務」となった。合理的配慮には、物理的障壁のみならず、感覚的・認知的な障壁を取り除くための配慮も含まれる。
【参考文献】
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内閣府「障害を理由とする差別の解消の推進(合理的配慮)」ポータルサイト(2022年3月)
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文部科学省 「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について 」(2022年12月)
後藤 博
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。

