よりよい未来をつくる主権者になろう!(全3巻) よりよい未来をつくる主権者になろう!(全3巻)

学び直しとしての「デジタル・シティズンシップ」

~子どもから大人まで大切なインターネットとの向き合い方とは~

西野 偉彦

目次

1.コロナ禍で「デジタル・トランスフォーメーション」が加速

デジタル・トランスフォーメーション(以下、DX)は、もともと2004年にスウェーデンの研究者によって提唱された概念で、「ICTの浸透が人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること」と定義された(注1)。わが国においては、2018年に経済産業省が公表した「DX推進ガイドライン」で、DXを抽象的かつ社会の動向を表す概念から、企業が主体的に実施していくべきものとして進化させ、「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と位置付けた(注2)。

企業がDXを推進する流れは、2020年以降のコロナ禍の影響で加速した。感染拡大防止のため、各企業において日常業務やサービスの形態を「新しい生活様式」に対応するとともに、テレワークを導入する必要性が急速に高まった。それにより、DXの遅れが企業でも認識され、従来の押印や対面による業務方法をデジタル技術の活用により見直す必要性が指摘された。独立行政法人情報処理推進機構の調査によると、2023年度にDXに取り組んでいる企業の割合は2021年度の55.8%から73.7%に増加しており、着実にDXが企業に浸透していると指摘されている(図表1)。

こうした状況をふまえ、近年はリスキリングの文脈でもDXに焦点が当たっている。拙稿「人生100年時代のリスキリングで求められる『社会人基礎力』とは」でも取り上げたように、リスキリングは「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得すること」と定義されている(注3)。日本経済新聞が2023年に実施した調査によると、リスキリングの対象として、「プログラミングなどのIT関係」が27%、「AI・機械学習」が24%、「データサイエンス」が19%と、DX関係のスキルが多く挙げられている(注4)。このことからも「リスキリングといえばDX」という認識をもっている人が少なくないかもしれない。

図表1 企業におけるDXの取組状況
図表1 企業におけるDXの取組状況

2.教育DXに伴い改善が求められる「情報モラル教育」

DXの波は企業だけに及んでいるわけではない。教育現場もまた同様で、教育DXを代表する施策が、学校内に高速ネットワークを整備し児童・生徒1人に1台の端末を配備する「GIGAスクール構想」である。当初は2019年度から5年かけて順次ハード面を整備する予定だったが、コロナ禍によってオンライン授業に対応する必要性が高まった。文部科学省の調査によると、2021年度には全自治体等の96.2%、全国の公立の小学校等の96.2%、中学校等の96.5%で、全学年または一部の学年で端末の利活用を開始した(注5)。

一方で、学校に端末が整備されても、必ずしも授業で使われていないという現状が浮き彫りになっている。経済協力開発機構(以下、OECD)の調査によると、日本の小・中学校における各教科の授業でのICTの利用頻度は、OECD諸国の平均と比較して低い傾向にある(注6)。端末が整備されても利活用が進まない要因の1つに、学校現場や教育行政では「どのように端末を利活用するか」ではなく「何を規制するべきか」についての議論が優先されるケースがあると指摘されている(注7)。

この背景として「情報モラル教育」が重視されてきたことを挙げることができる。文部科学省によると、情報モラルとは「情報社会で適正な活動を行うための基になる考え方と態度」であり、「情報発信による他者への影響を考え、人権、知的財産権など自他の権利を尊重し情報社会での行動に責任をもつことや、犯罪被害を含む危険の回避など情報を正しく安全に利用できること、コンピュータなどの情報機器の使用による健康との関わりを理解すること」とされている(注8)。青少年のインターネット利用は年々増加し、2021年度には97.7%に達しており、インターネット上の様々な問題に直面する可能性も高まっている(注9)。こうした点をふまえれば、ICTの利活用において情報モラル教育が重要であることも事実だろう。

ただ、情報モラル教育が先行した結果、教育現場でのICT利活用にブレーキが掛かっているのであれば、本末転倒ではないだろうか。青少年のICT活用におけるリテラシー向上について検討している総務省では、これまでの青少年を対象とした取組みが「ICTに伴う危険回避のための啓発が多く、知識偏重型で一方通行の講義形式が中心である」と指摘したうえで、ICTを活用しながら主体的かつ双方向的な方法を取り入れることを提唱している(注10)。

3.「デジタル・シティズンシップ」という新たな潮流

拙稿「子ども・若者のウェルビーイングを向上させる『シティズンシップ教育』とは」でも述べたように、シティズンシップ教育とは「市民として社会に積極的に参加する知識や能力を身に付ける教育」である。欧米を中心に学校のカリキュラムに導入している国が多く、日本においてもウェルビーイングとの関連で脚光を浴びており、近年はAIやICTの発達に伴って「デジタル・シティズンシップ」が拡大している。ICT利活用に関して、情報モラル教育では「インターネット上の危険や懸念にどう対処するのか」という受動性を重視するのに対して、デジタル・シティズンシップ教育では「インターネットを通じた情報発信に向けて何を学ぶ必要があるのか」という能動性を重視している。

たとえば、米国で利用されているデジタル・シティズンシップの教材として「コモン・センス・エデュケーション」がある。この教材はハーバード大学大学院の研究機関が中心となって開発したもので、幼稚園児から高校生までを対象として6領域のデジタル・シティズンシップを学べるようになっている(図表2)。この中では、「プライバシーとセキュリティ」など情報モラル教育に関わる内容も扱われている。デジタル・シティズンシップでは、ソーシャルメディア(SNS)などを通じて情報を主体的に発信していくなかで必要に応じて情報モラルも学んでいく、ということである。この教材については、2020年に米国の6万人以上の学校に勤務する60万人以上の教育者が利用したとの報告がある(注11)。

図表2 米国のデジタル・シティズンシップ教材「コモン・センス・エデュケーション」
図表2 米国のデジタル・シティズンシップ教材「コモン・センス・エデュケーション」

また、欧州では2019年に欧州評議会で「デジタル・シティズンシップ教育ハンドブック」を作成し、それを活用した研修を始めた。同年、OECDも「21世紀の子どもたちの教育:デジタル時代の情動的ウェルビーイングをめぐって」と題した報告書のなかで、デジタル・シティズンシップを身に付ける重要性を盛り込んでいる(注12)。

日本においては、まだデジタル・シティズンシップへの理解が十分に広がっているわけではなく、学習指導要領にも明記されていない。しかし、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議が2022年に公表した「Society 5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」のなかでは、「学校教育において、メディアリテラシーを育むなかで論理や事実を吟味しながら理解し、子供たちのデジタル・シティズンシップを育成することは喫緊の課題」と指摘されている(注13)。

自治体では、大阪府吹田市が全国に先駆けて「吹田市ICT教育グランドデザイン」にデジタル・シティズンシップを取り入れた。これは、前述の米国のデジタル・シティズンシップ教材をもとに、2021年度より市内すべての小・中学校で授業を行うなど、学校の課題解決に向けてデジタル・シティズンシップを活用する先進事例として注目されている(注14)。その他、長年にわたりシティズンシップ教育を導入している神奈川県では、2023年度にデジタル・シティズンシップを明記して「生徒がデジタルの力を活用して課題解決に取り組むことができるような教育プログラム」を実施した県立高等学校もある(注15)。

4.日常的な「デジタル・シティズンシップ」の学び直しを

デジタル・シティズンシップは、児童・生徒だけが身に付けるべきものではない。近年の子ども・若者たちは、いわゆるZ世代を含めて「デジタル・ネイティブ」と呼ばれ、生まれながらにインターネットが傍らにある日常を送っている。したがって、子どもがインターネット上の違法・有害情報に直面することへの懸念を抱くのは当然である。

ただ、子どもの頃から主体的に情報発信を行うことを前提にインターネットに向き合うことは、デジタル社会において避けて通れないのではないか。その意味で、デジタル・シティズンシップの考え方は、子どもだけではなく大人にとっても重要な視点といえる。インターネットとの向き合い方について「普段から学ぼうとしている」大人は多くないかもしれない。だが、本稿で取り上げた米国のデジタル・シティズンシップ教材「コモン・センス・エデュケーション」をみると、日常におけるソーシャルメディアとの関わり方やデジタル技術を使いこなすスキルなどについて、年齢や立場を問わず学び直す必要性が示唆されている。実際、総務省では「家庭で学ぶデジタル・シティズンシップ」に関するガイドブックを公開し、子どもと一緒に大人もデジタル・シティズンシップについて学び直すことを推進している(注16)。

冒頭で述べたように、現在の日本におけるリスキリングの主流はDXである。だが、生成AIを含めたデジタル技術のさらなる発達が予想される未来を見据えたとき、仕事としてのリスキリングだけではなく、日常的なインターネットの学び直しとしてのデジタル・シティズンシップも重視していくべきではないだろうか。


【注釈】

  1. 総務省 令和3年版 情報通信白書(デジタル・トランスフォーメーションの定義)

  2. 同上

  3. 内閣府「令和6年度年次経済財政報告」(第2章2節)

  4. 日経リサーチ「読者に聞く リスキリングで「スキルアップ」43%「仕事の幅広がる」29% -学び直しに一定の効果」2023年12月20日

  5. 文部科学省 令和3年10月「端末利活用状況等の実態調査」

  6. 文部科学省・国立教育政策研究所「OECD生徒の学習到達度調査-PISA2022のポイント」(2023年12月5日)における(6)ICT活用状況-①学校での利用状況

  7. 「1人1台端末を利活用する授業で新しい時代に必要な資質・能力を育む」(東北大学大学院情報科学研究科教授・堀田龍也)収録:『よく分かる教育DX』日経BP 2022年

  8. 文部科学省「情報モラル教育ポータルサイト」

  9. 内閣府「令和3年度 青少年のインターネット利用環境実態調査 調査結果(概要版)

  10. 総務省「ICT活用のためのリテラシー向上に関する検討会 青少年のICT活用のためのリテラシー向上に関するワーキンググループ」(第1回)配布資料2022年12月14日

  11. 今度 珠美「デジタル・シティズンシップとメディアリテラシー~米国の代表的な教材「コモン・センス・エデュケーション」2021年9月22日

  12. OECD「21 世紀の子どもたちの教育(要旨) : デジタル時代の情動的ウェルビーイングをめぐって)2019年

  13. 内閣府 総合科学技術・イノベーション会議「society 5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」2022年6月2日

  14. 東洋経済education×ICT「大阪・吹田市「デジタル・シティズンシップ教育」で起きた変化 抑制的な教育では育たぬ子どもの考える力」2022年3月24日

  15. 神奈川県が2011年度から実施しているシティズンシップ教育については、拙稿「子ども・若者のウェルビーイングを向上させる『シティズンシップ教育』とは~社会に参画し課題解決する力を育むために~」で紹介している。デジタル・シティズンシップの教育プログラムの事例は県立藤沢総合高等学校「産業社会と人間「デジタルシチズンシップ」プログラム」(2023年10月11日実施)を参照。

  16. 総務省「家庭で学ぶデジタル・シティズンシップ」

【参考文献】

  • 『よく分かる教育DX』日経BP 2022年

  • 教育の未来を研究する会『最新 教育動向2024』明治図書2023年

  • 坂本旬、芳賀高洋、豊福晋平、今度珠美、林一真『デジタル・シティズンシップ』大月書店2020年

  • 坂本旬、豊福晋平、今度珠美、林一真、平井聡一郎、芳賀高洋、阿部和広、我妻潤子『デジタル・シティズンシップ+』大月書店2024年

西野 偉彦


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。