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ESGインサイト『TISFDとは何か?企業価値を左右する「社会リスク」開示の最前線』

白石 香織

目次

非財務情報開示の転換点:「E」から「S」へ拡大

企業の非財務情報開示は、いま大きな転換点を迎えている。これまで国際的な開示基準は、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)やTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)に代表される「環境(E)」分野に重きが置かれてきた。しかし、近年、グローバルな潮流は「環境(E)」から「社会(S)」へと拡大しつつある(資料1)。

図表1
図表1

その象徴が、2024年9月に新たに設立されたTISFD(不平等・社会関連財務情報開示タスクフォース、Taskforce on Inequality and Social-related Financial Disclosures)である。OECD(経済協力開発機構)やUNDP(国連開発計画)などと連携して立ち上げられた本タスクフォースは、企業や金融機関が「人」に関わる影響、依存関係、リスク、機会を把握し、開示することを目指す国際的な枠組みである。

TISFDが対象にすると想定されているのは、従業員、地域社会、消費者など「人」への影響である。こうした「人」への影響は、労働環境や人権といった形で顕在化し、やがて企業にとっての賃金格差や人権侵害といった「社会リスク」となりうる。

これらのリスクは従来、CSR(企業の社会的責任)や社会貢献活動の一環として扱われることが多かったが、現在では中長期的な企業価値や事業継続性に直結する「経営リスク」として重視されつつある。すなわち、企業経営において「人を起点としたサステナビリティ」が求められる時代に突入したのである。

なぜ、いま「社会リスク」なのか?

TISFDの設立は、「社会リスク」が企業経営の本質的課題として再定義される国際的な潮流を反映したものである。以下に、その背景となる3つの主要要因を概説する。

第一の要因は、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる社会的不平等の顕在化である。エッセンシャルワーカーにかかる過重な負担、サプライチェーン末端での過酷な労働環境、不安定雇用層への打撃など、企業活動と人権・労働環境との関係性が世界的に注目された。

この結果、社会課題への対応を求める投資家の関心も一気に高まり、ソーシャルボンドの発行額が2019年から2020年にかけて急増した(資料2)。

図表2
図表2

第二の要因は、ESG投資の進展に伴う投資家意識の変化である。従来は「環境(E)」要因が中心だったが、ジェンダーギャップ、労働慣行といった「社会(S)」要因が、将来の財務パフォーマンスや企業評価に影響するとの認識が一部の投資家の間で広がっている。

先ほどみた通り、実際に、ソーシャルボンドの発行額は2020年にかけて急増し、その後は高水準で推移している(資料2)。こうした動きからも、社会リスクが資本市場において重要なテーマとして定着しつつあることがうかがえる。

第三に、人権に関する法的義務の強化である。EUが公布し、2024年に施行されたCSDDD(企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令、Corporate Sustainability Due Diligence Directive)はその代表例であり、企業に対しサプライチェーン全体での人権対応を義務づける動きが広がっている。

TISFDの登場は、こうした流れを背景としている。単なる開示ルールの追加にとどまらず、新たな企業価値のあり方を示す時代の要請といえる。

TISFDが企業に求めるもの

TISFDの目的は、企業や金融機関が「人」に関わる影響、依存関係、リスク、機会を把握し、可視化する国際枠組みの構築にある。2024年に公表された「People in Scope」では、「極端なレベルの不平等は、社会の一体感を損ない、人的資本の形成を阻害し、金融の安定を脅かす」と警鐘を鳴らす。

注目すべきは、TISFDが「企業や金融機関が影響をおよぼす『人』」の範囲を、自社の従業員にとどまらず、サプライチェーン上の労働者、地域社会、さらには消費者までに幅広く定義している点である(資料3)。従業員中心の人的資本開示とは一線を画している点がTISFDの特徴である。

こうした「社会リスク」は、今後、TCFDやTNFDで実績のある4つの柱、すなわち「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」に沿って開示が求められていく見通しだ(資料3)。

特に「指標と目標」の重要性は高まっており、男女間賃金格差や人権デューデリジェンス実施状況などのデータが、企業価値の新たな評価軸になる可能性が高い。

図表3
図表3

企業価値の「新しいものさし」としてのTISFD

TISFDのフレームワークは、2025年末に試行版が公表され、2026年末には正式版が発表される予定である。TCFDやTNFD同様、先行して取り組む企業は、開示の信頼性を高め、企業価値向上につなげることができると予想される。

企業がまず取り組むべきは、自社の事業が「誰にどのような影響を及ぼしているか」を明らかにする「社会リスクの可視化」である。あわせて、将来の報告義務化を見据え、男女間賃金格差や人権デューデリジェンス実施状況などのデータを継続的に把握・蓄積する体制の整備も急務である。

もはや、企業の価値は財務指標だけで測れる時代ではない。企業と「人」との関係性こそが、持続可能な成長の本質的な基盤となりつつある。 

TISFDは、そうした新たな価値観を可視化し、社会と共有するための「ものさし」としての役割を担う。

そして何より問われるのは、経営層の「視座」である。TISFDへの対応を、単なる開示対応として「コスト」と見るか、それとも「人を起点とした価値創造」への投資と捉えるのか。その認識の違いが、企業における将来の持続可能性や市場での競争力を大きく左右するだろう。

白石 香織


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

白石 香織

しらいし かおり

総合調査部 マクロ環境調査G 主席研究員
専⾨分野: 労働政策、国際政策

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