ライフデザイン白書2024 ライフデザイン白書2024

見えにくい「心のバリアフリー」

~「思いやり」から「暮らしの豊かさ」へ~

後藤 博

目次

1.はじめに

本稿は、ユニバーサルデザインの概念を物理的な側面だけでなく、「心のバリアフリー」という心理的側面に焦点を当てて考察することを目的とする。超高齢社会と多様性の時代を迎える今日、人々が無意識に抱く偏見がコミュニケーションの壁となり、社会参加の大きな障壁となっている。そこで、本稿ではまず、「心のバリアフリー」と「心理的なユニバーサルデザイン」の定義を明確にした上で、現状の課題、優れた事例と成功要因について考察し、誰もが安心して暮らせる社会の実現に向けて提言する。

「心のバリアフリー」とは、様々な心身の特性や考え方を持つすべての人々が、相互に理解を深めようとコミュニケーションをとり、支え合うことである。これは、年齢、性別、国籍、障害の有無に関わらず、多様な人々の存在を理解し、お互いを尊重する意識や行動のことであり、単なる物理的なバリアを取り除くことではない。人々の心の壁を取り払い、社会全体が「誰も排除しない」という姿勢を持つことを目指す概念である。

一方、「心理的なユニバーサルデザイン」は、心のバリアフリーを具体的に実現するためのアプローチである。これは、製品やサービス、コミュニケーションの仕組みを、誰もが心理的な負担なく利用できる形で設計することである。例えば、やさしい日本語での情報提供や、感情の起伏に配慮した接客、わかりやすいアイコンの使用などがあげられる。物理的なデザインが「形」であるのに対し、心理的なデザインは「心」に寄り添うものである。

2.心のバリアフリーの現状と課題

社会における心のバリアフリーの現状をみると、依然として多くの人々が社会に偏見が存在すると感じていることがわかる。内閣府が2022年11月に実施した「障害者に関する世論調査」によると、障害を理由とする差別や偏見が「あると思う」と「ある程度はあると思う」と回答した人は合わせて約9割である(図表1)。

図表
図表

心のバリアフリーと心理的なユニバーサルデザインは、まだ社会全体に浸透しているとは言い難い。多くの企業や公共機関は物理的なバリアフリー化を進めているものの、以下のような課題が残されている。

第一に、無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)の存在である。図表1で示したように、障害を理由とする差別や偏見が「ある」と思うと回答した人は依然として多数を占めており、多くの人々が社会に心のバリアが存在すると感じている。このデータは、単なる物理的なバリアを取り除くことだけでは解決できない根深い課題を示している。

第二に、心のバリアフリーに関する教育と啓発の不足である。国土交通省が「心のバリアフリー取組事例集」(注1)を作成し、その必要性を訴えていること自体が、現状の啓発活動が十分ではないことの裏返しである。特に、他者への共感力を育む体験型の啓発活動は、まだ広く普及しているとは言えない。

第三に、企業や組織内での継続的な研修が十分に行われていないことである。首相官邸が「汎用性のある研修プログラム」を提示している事実(注2)は、各組織が独自に体系的かつ効果的な研修を実施できていない現状を示唆している。心のバリアフリーは一過性のイベントではなく、継続的な学びと実践が不可欠である。

第四に、その効果測定の難しさである。物理的なユニバーサルデザインは段差の有無や設備の設置数で評価できる一方、心のバリアフリーは個人の意識や行動の変化を定量的に測ることが極めて難しい。国土交通省の有識者会議においても、その評価手法が主要な議論の一つとなっている。心のバリアフリーの評価は、まだ確立された基準がない「発展途上」の段階にあり、各組織や自治体が独自の方法で試行錯誤しているのが現状である(注3)。

3.具体的な取り組み事例と成功要因

心のバリアフリーと心理的なユニバーサルデザインの推進に積極的に取り組んでいる先進的な企業や団体もある。これらの成功事例には、単なる物理的な改善を超えた、より深い成功要因があることがうかがえる。

1)具体的な取り組み事例

まず、優れた取り組みとして、IAUD国際デザイン賞(注4)の受賞事例がある。これらの事例は、物理的デザインだけでなく、心理的な安心感と使いやすさを追求した取り組みが多い。ユニバーサルデザインが機能性だけでなく、利用者の感情にも配慮することで、真の価値を生み出すことを証明している。

次に、地方自治体の事例として、東京都の「心のバリアフリーサポート企業連携事業」がある。この事業は、従業員向けの研修や意識啓発に積極的に取り組む企業を公的に支援するものである。これは、企業が心のバリアフリーを自主的な経営課題として捉え、従業員全体の意識改革に取り組んでいることの根拠となる。

2)成功要因

これらの優れた取り組みには、いくつかの共通する成功要因が存在する。

第一に、経営層の強いコミットメントである。先進的な組織は、心のバリアフリーを単なる社会貢献活動ではなく、経営戦略の中核に据えている。これにより、組織全体に共通の目的意識が浸透し、継続的な取り組みが可能となる。

第二に、多様な当事者の声の反映である。IAUD国際デザイン賞の受賞作に共通しているように、当事者との協働を通じて、利用者の真のニーズと心理的な負担を深く理解することが、革新的なデザインを生み出す鍵となる。

第三に、継続的な教育と啓発である。東京都の「心のバリアフリーサポート企業連携事業」が示すように、従業員に対する定期的な研修や意識啓発活動を組織的に行うことは、心のバリアフリーを企業文化として定着させる上で不可欠である。

これらの要因は、単独で存在するのではなく、相互に連携し合うことで、組織が心のバリアフリーを文化として定着させるための強固な基盤を形成している。

4.今後に向けた提言

心のバリアフリーと心理的なユニバーサルデザインを社会全体に浸透させるため、以下の3つの提言を行う。

1) インクルーシブな教育の推進

まず、教育の場面でインクルーシブな教育を行うことが求められる。インクルーシブ教育とは、単に障害のある子どもとそうでない子どもを同じ場所で学ばせることではない。文部科学省の報告書(注5)が示すように、多様な背景を持つ子どもたちが共に学ぶことは、一人ひとりの能力を最大限に引き出し、社会性を育む上で不可欠である。幼少期から多様性に触れることで、無意識の偏見が形成されるのを防ぎ、互いに尊重し支え合う「共生社会」を築くための基盤が育まれる。筆者は、このインクルーシブな学びの機会を、すべての教育機関において保障し、子どもたちが将来、多様な人々と共に関わり合う力を自然に身につけられる社会を目指すべきであると考える。

2) 企業文化の変革

心のバリアフリーを組織に浸透させるためには、従業員個々の意識変革だけでなく、企業文化そのものの変革が不可欠である。世界経済フォーラムの報告書(注6)が示すように、障害者インクルージョンは、イノベーションを生み出し、ビジネスを成長させる重要な経営戦略である。東京都が推進する「心のバリアフリーサポート企業連携事業」のように、経営層がコミットし、多様な従業員が働きやすい環境を整備することは、組織全体の生産性向上にもつながる。心のバリアフリーを企業の競争力として捉え、多様な人材が活躍できるインクルーシブな職場環境を、企業活動の中心に据えるべきであると考える。

3) 社会全体での啓発活動の強化

心のバリアフリーの実現には、市民一人ひとりの意識向上が不可欠である。前出の国土交通省の「心のバリアフリー取組事例集」に掲載されているように、車いすや妊婦の疑似体験といった啓発活動は、単なる知識の伝達に留まらず、他者の困難を「自分ごと」として捉える共感力を育む。このような体験型の啓発活動を、学校や地域社会、企業で積極的に展開することで、心のバリアフリーに対する理解を深め、行動を促すことができる。行政、企業、市民が一体となり、体験を通じて心のバリアフリーの重要性を広く訴えかける啓発活動を継続的に強化していくべきである。

5.まとめ

心のバリアフリーと心理的なユニバーサルデザインは、一部の特別な人々に対する思いやりのためだけでなく、誰もがより豊かに暮らしやすい社会を築くための共通の目標である。物理的なバリアフリー化と同時に、人々の心の壁を取り払うことが、真に持続可能でインクルーシブな社会への第一歩となる。本稿が、その重要性を再認識し、具体的な行動を促す一助となることを願う。


【注釈】

  1. 国土交通省 「心のバリアフリー取組事例集」(2023年3月)

  2. 首相官邸(内閣官房)「『心のバリアフリー』に向けた汎用性のある研修プログラムについて」

  3. 心のバリアフリーの評価は、以下の方法を組み合わせて行われている。
    ① アンケート調査や意識調査: 意識の変化を測るために実施される。
    ② 行動観察と行動記録: 研修の前後などで、実際の行動の変化を記録する。
    ③ インタビュー・グループディスカッション: アンケートではわからない、意識の深い部分や具体的な経験を質的に把握する。
    ④ 第三者評価・認証制度: 企業や団体の取り組み自体を評価し、認証する。東京都の制度などがこれにあたる。
    これらの方法はあるものの、社会全体で統一的に比較できる共通の評価指標やフレームワークはまだ存在しない。そのため、より客観的で効果的な評価方法の確立が今後の課題となっている。

  4. IAUD国際デザイン賞

  5. 文部科学省「共生社会の形成に向けた インクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」(2012年7月)

  6. 世界経済フォーラム 「2025年までに、企業が障がい者インクルージョンに取り組むべき理由」(2025年1月)

後藤 博


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。